Ⅲ
食事を持っていくと、魔女は部屋の隅により、耳を塞いで震えていた。
「おい」
そう声をかけると、魔女の肩が大きく震え、そしてゆっくりと顏を上げた。
その瞳に宿るのは一瞬の怒り。
「あ……」
それがただの食事を運んできた人だとわかったようで、その瞳の炎は消えてしまった。
「い、いただきます」
そんな言葉をどこで覚えたのか、魔女はそう言ってから代わり映えのしない食事に手をつけた。
ついでにと、ちらりと魔法使いの牢に目を向ける。
魔法使いは、先に食事が運ばれてきたにも関わらずほとんど手をつけていなかった。肩で愛ぐように息をし、力なくスプーンを握るその手は病的に細い。
ああ、確かにもう長くない。
だからと言って特に何をしてあげられるわけでもない。ただ、どうせなら静かに、最後だけでも静かに息を引き取って欲しい。そう思った。
研究所から帰る途中、城から数人の男が走って出てきた。
ずいぶんあわてた様子で、男の横を走り抜けていった。
嫌な予感がする。脳内でサイレンが鳴る。
そして、男の足は地下牢へと向かっていった。
「ああ……」
なんてことを。
魔法使いが決して人間に手を出さないことをいいことに、散々なことをしていることは聞いていた。けれども、ここまでするだろうか。
ぐったりと横たわる魔法使い。彼は死んだのだろうか
カチャリと鍵を開ける。彼らの魔法をもってすればこんな鍵はすぐに壊せただろうに。
「……ッ」
ピクリと魔法使いの体が動いた。
生きている。生きている生きている。男は魔法使いの横に膝をついた。
「大丈夫か?」
もう止まりそうな呼吸。傷の手当が先か、それとも……
考えているうちに魔法使いが男の手を握った。そして、うっすらと目をあけて首を振った。
なにもしなくていい。その意思表示なのだろうか。
だとしたら、とんでもなく自分は無力だ。そう思い知らされる。
「……なにか、他に、してほしいことはあるか?」
精いっぱいの言葉だった。
「……あなたは……優しい、のです、ね」
かすれた声が地下牢に響く。
優しくなんかない。本当に優しい奴は、こうなる前になんとか策を考えようとしただろう。かつて自分が愚か者だと蔑んだ友人のように。その言葉を男はぐっとこらえる。
「最後ぐらい、願いを聞いてやるって言ってんだ」
そんな言葉しか吐けない自分が憎らしいが、それでも魔法使いは笑っていた。
「彼女を、せめて彼女だけでも幸せであるように」
そんな魔法使いの瞳から一粒涙がこぼれた。そして、枯れ枝のような手に、小指ほどの大きさの水色の宝石が握られているのに気が付いた。
「それがお前の願いか?」
魔法使いはもう頷くのもおっくうであるようで、瞼を少しだけ閉じて見せた。
男は向かいにある牢屋を見た。黒い宝石がゴロゴロと転がっていて、その中心に毛布にくるまった彼女が寝ていた。
「俺は彼女の幸せを測れないぞ?」
そう言って再び魔法使いを見た。
「……おい」
瞳がもう、ここにとどめておけないと言っている。
呼吸がもう、命を作れないと言っている。
「ありが、とう」
そう唇が動いた気がした。そして、ほんの小さな小さな欠片が指先から零れ落ちる。色はピンク。
男は魔法使いをゆっくり床に降ろすと、零れ落ちた宝石を拾った。水色の宝石は自分のポケットに、そしてピンクの宝石は……
立ち上がり、牢に鍵をかける。そして、振り向いて今度は魔女の牢へと目を向ける。
ピンクの宝石と一緒に檻の柵を掴んだ。
使うときは簡単でいい。念じるだけなのだから。
この宝石には、もともと彼女へ対する愛情が練り込まれている。だから、この魔法を檻にかけることは簡単だった。
翌朝彼女は気付くであろう。この惨劇に。そして絶望するであろう、この世界に。
遠くない未来、この世界は終わる。
自分があの時、友人の作戦にもっと積極的に力を貸していたらこの悲劇は避けられたのだろうか。




