第96話 決着、そして来訪
「これで、チェックメイトだ」
八瀬が、確かな勝利の確信を持って番野に告げた。
何らかの方法で空中に吊し上げられている番野は、右手の剣を手放してはいないものの、既に万策尽きたのか未だ俯いたまま。
誰がどう見ても、八瀬が勝利したと認めざるを得ないだろう。
八瀬自身もそれを十分に理解している。
だからこそ、次の瞬間に番野が発する問い掛けが、八瀬の意表を突くに値したのだろう。
「なあ、八瀬。この状況、お前は本当にチェックメイトだと思ってるのか?」
「……は?」
八瀬は、番野の思いも寄らぬ発言に驚いて目を見開き、一瞬であったが、全ての言葉を失った。
その反応も当然と言えば当然だ。
磔の様な形で宙に吊し上げられている人間が、まだ勝機は残っていると言い出したのだ。むしろ、これを聞いて驚くなと言う方が無理な話と言える。
やがて、思考が正常に機能し始めた八瀬は、込み上げてくるあまりの可笑しさに耐え切れずに声を上げて笑い始めた。
「く、くくく……、あははははは!! オイオイちょっと待ってくれよ! そりゃないぜ! 何言ってんだ、お前!」
「何がおかしい?」
そうして今にも笑い転げそうな勢いで笑っている八瀬に対し、笑われた立場の番野は至って冷静な口調で尋ねた。
八瀬は、何とか笑いを堪えようと努めながら答える。
「いや、だってお前よぉ……くく、そんな状態にされてる奴がだぜ? まだチャンスがある、なんてよ……。そりゃお前、取り方によっちゃあ頭がイカレたんじゃねえかと思われても仕方ねえぞ?」
「まあ、確かにそうだよな。普通に考えればこんな状態でチャンスがあるなんて言い出す奴は、それこそ本当に頭がおかしくなった奴か、アニメの主人公ぐらいだよ。そこら辺、俺もちゃんと自覚してるさ」
「へぇー。それじゃあ、どうしてあんな事言ったんだよ?」
こうして八瀬が番野との会話に興じているのは、既に勝負に勝った者としての余裕からなのだろうか。
もちろんそれもあるだろうが、もう一つの要因としては、番野自身の力では現状で自身を縛っている拘束を解く事は不可能であるという事が挙げられる。
番野も、それは十二分に承知していた。
しかし、それでも番野は八瀬の質問に答える。
「簡単な話だ。ケンカの勝敗って言うのはな、相対してるどちらかが自分の負けを認めるーーつまり、諦めた瞬間に決まるんだよ。だから、俺が美咲の救出を諦めない限り、お前がどれだけ俺を追い詰めようがチェックメイトにはなり得ない」
「……なるほどな。その考えは一理ある。
だが、そんな事を言い出す以上は、何かテメエの中に打開策があるって事だ。最後にチャンスをやるよ。これでダメだったら“今回は”諦めろ」
「ああ。ダメだったらな!」
そう、叫ぶように番野は言った。
しかし、この様な状態で番野にできる事は本当に限られている。
八瀬は、楽観視しながらも番野の行動に目を光らせる。
そんな中で番野が取った行動は、
「剣を……」
右手に持っていた剣を、比較的自由が利く手首で放ったのだ。
「だがーー」
しかし、所詮は一凡人が手首のスナップだけで放った物であるため、余裕で対処できる程の速度しか出ていない。
その証拠に、八瀬は番野が剣を投げるをの見てから手を使って危なげなく対処できた。
「こんな速度じゃあ、例え当たったとしても人は切れねえよ」
こんな程度のもんかよと、若干失望が混じった声で八瀬は言った。
「ーーいいや、そいつの役目はこれで十分なんだよ」
だが、番野の策はまだ終わっていなかった。
「知ってるか? 人間が最も油断し、集中を欠く瞬間を。お前は、人間は怒れば皆集中力が無くなるとか考えてる様だが、俺は違う。俺はな、怒ったら逆に集中力が高まるんだよ。だから、この策を思い付いた」
「お前、何を言ってんーー」
「俺は、この瞬間を狙ってた!! 勝手に勝ったと思い込んだお前が、俺の体を拘束してる“鋼糸”を緩めるこの瞬間を!!」
(俺が鋼糸を武器にしてる事をーーッ! そうか、そこまで記憶が戻ったのか!!)
八瀬が勝利の油断から鋼糸を操る手を使って剣を防いで生じた一瞬の隙に、番野は鋼糸の僅かな緩みを見逃さず、両腕と左足の拘束を振り解く。
「なにィィ!?」
(今ッ!!)
そして、左手で八瀬の肩を逃げないように掴む。
「ぐっ……!? この力……! こいつ、いつの間にテメエの職業の能力まで……!! まさか、もうすべてーー」
ギチリと、拳から音が鳴る。
「行くぞ、八瀬……!!」
右腕を大きく振りかぶり、さらに左足を振り子の様に振り下ろす事で重心を前にずらし、拳に体重を乗せる。
文句無しの全力を、番野はこの一撃に込める。
「歯ァ、食いしばれええええッ!!」
「くっ、そおおおお!!」
そうして、番野の全力の一撃が、八瀬の顔面に突き刺さった。
ーーかに、思われた。
「な……、に……?」
「くくく……」
番野の顔色が一瞬のうちに驚愕に染まる。
その要因は、ひとえに番野の拳が八瀬の顔に当たる寸前に右手首ごと“消えた”事にあるだろう。
だが、痛みは無い。その上、きちんと指が曲がっている感覚を番野は感じ取っている。
では、これは一体何なのか。
唯一そのトリックを知っている八瀬が語る。
「こいつは、俺が空間に仕掛けた落とし穴だよ。お前の拳は、今こいつの中にある。ああ、心配しなくても良いぞ。簡単には抜けねえが、落ちた箇所が消えて無くなる訳じゃねえからよ。
そして、これでーー」
「なっ……!?」
話しながら、八瀬は上着のポケットから折り畳み式のナイフを取り出して、番野の喉元に突きつけた。
「今度こそチェックメイトだ。いくら能力を取り戻したお前でも、このナイフがお前の動脈を切り裂くより速く動く事はできねえ」
「…………」
そう言う八瀬の視線は、もはや友人に向ける物ではなくなっていた。それはまさに、修羅場を経験した事のある人間だけが身に付ける独特の気配を感じさせる。
その視線に射抜かれた番野は、流石に気力を削がれたらしく、大人しく両手を挙げた。
「……クソ。分かったよ。俺の負けだ」
○ ○ ○
同時刻。アウセッツ王国王城内・国王執務室に、とある人物が来訪していた。
その男は、何の前触れも無く執務室に現れると、不遜にも腕を組んで室内を見渡して言う。
「ふむ。新興の国と聞いていたが、なかなか発展しているではないか。俺様の予想を裏切ってみせたな、小国の半吸血鬼よ」
男はそう言うと、プランセスに視線を移した。
そこに立っているだけでただならぬ雰囲気を醸し出す男に見据えられたプランセスだが、表情を一切崩す事無く、冷静に対応する。
「貴方は……。何の用でございまして? 貴方も一国の王であると言うのなら、相応の態度を取るのが常識なくらい分かっていますでしょう?」
「ふん。我が属国の者に何故俺様が敬意を払わねばならぬのだ。貴様こそ居住まいを正せ。俺様に頭を垂れよ」
「ふふふ。初めてですわよ、私が初対面で気が合わないと思ったのは。それで、何の用ですの?」
「ふん」
男は不機嫌そうに鼻を鳴らして言う。
「これより一週間後、我がリュミエールは貴様等四カ国同盟に対して戦争を仕掛ける」
「宣戦布告、ですか」
「そうだ。精々、神にでも祈っておけ。それだけだ」
言うだけ言うと、男は踵を返した。
しかし、男はすぐには帰らず、何かを思い出した様にプランセスに顔だけ向けて言った。
「そうそう。これを言うのを忘れていたぞ。番野護を、必ず連れて来い」
そうして、もう十分だと言いたげに前を向くと、男は執務室から忽然と姿を消した。