第92話 真実の記憶へ
アウセッツ王国が新興の国家であるにも関わらず、現在第一三代が健在しているクラレス第一帝国やその他の長い歴史を持つ三国とまったく対等な同盟を結ぶ事ができたのには、大きく二つの理由がある。
一つは、アウセッツ王国が建国されて間も無く、四方四カ国のちょうど中心に、かの《英雄》の治めるリュミエール皇国が建国された事。
二つは、憲兵団という名を冠した軍隊の練度が新興国であるにも関わらず他の三国にほとんど引けを取らなかった事が挙げられる。
そして、その功績は、ひとえに短期間でそれらを育て上げた『紫電』の異名を持つ憲兵団長、シュヴェルト=リッター=ブリッツの物だと言えるだろう。
ーーそして今。
『心配するな、大丈夫だ』、『もちろん手加減するさ』、『口答えが多い。黙って付いて来い』などといったシュヴェルトの口八丁で番野はまるで引きずられるように、憲兵団の根幹を担う精鋭団員が訓練をしているエリアに連れて来られていた。
至る所から気合の入った怒声と掛け声が聞こえてくるそこでは、一般団員よエリアとは異なって、実に屈強な男達が互いの技術を競い合っている。
もちろん、精鋭という事もあって振るわれる剣はより鋭く、離れて見ている番野にも身の危険を感じさせる程だった。
(て言うか、なんで真剣でやってんだよ! 訓練で死人出しても仕方無いだろ!)
番野はその過酷さに驚いて、内心で思わずツッコんだ。
「うむ。まあ、これにも理由があるのだ」
「読まれてる!?」
そして、隣に立っているシュヴェルトの心を読んだような切り出し方に番野はまたも驚いて横を向く。
すると、シュヴェルトが視線は訓練の様子を見ながら話を続ける。
「『己在る処、常に戦場なり』。これは私の受け売りなんだがな、短期間での兵の育成にはこれが一番適していると思ってな?
それに、真剣で訓練をすれば訓練中はいつでも死の危険と隣り合わせになるから、兵達は死にたくない一心で技術と力を付け、同時に精神力も身に付けていく、という訳だ」
「ちょ、超スパルタなんですね……」
「ん? すぱるた、と言うのはよく分からないが、褒め言葉と受け取っておこう。
とまあ、創設時は全員にそうさせていたが、同盟を結んでからは確かな実力が付いていない一般団員には木剣を、精鋭は真剣をといったようにも区別している」
シュヴェルトの言に番野はうんうんと頷いて納得する。
「なるほど。確かに実力が同じくらいの人と訓練した方が力の伸びが良いですし、素人だと寸止めが上手くいかなかった時が怖いですからね」
「その通りだ。そして、まあ話は変わるんだが……。今から私が君を鍛えてやろーー」
「無理無理無理! 無理ですって! 本当に俺戦い方とか知らないですから!」
「手加減ならすると言ったじゃないか」
と、どうしても乗り気でない番野にシュヴェルトは少しむくれた顔をする。
その、普段の凜然とした態度とのギャップに番野は一瞬動揺したが、すぐに持ち直して反論しようとする。
「そういう問題ではなくてですね……」
「ならば、どういう問題なのだ? 真剣が嫌だと言うのなら木剣にするが」
そこで番野はシュヴェルトに何か言おうとしたが、シュヴェルトの反応から何を言っても無駄だと察してため息に変えた。
「……分かりました。よろしくお願いします」
シュヴェルトは、番野の諦めた末の要請を受けて嬉しそうに言う。
「よし分かった。それではすぐ帰ってくるから少し待っていてくれ」
「あ、はい」
番野が返事をした途端、番野の横でバチッと放電音が鳴って番野が驚いてシュヴェルトがいた場所を見るが、そこにはすでにシュヴェルトの姿は無かった。
(な、なんだ、今の……? 隣で何か音がしたかと思ったら、瞬きの間にシュヴェルトさんがいなくなっていた。これが、あの人の技なのか……?)
そう思い、番野は以前自分が一度シュヴェルトを打倒した事を聞かされたのを思い出して苦笑が漏れた。
(俺、あんな人を倒してたのかよ……。自分の事ながら恐ろしい事だ……)
すると、また番野の横で同じ放電音が鳴り、いつの間にかそこにはシュヴェルトが二振りの木剣を持って立っていた。
先程の事が気になっていた番野は何事も無い風に立っているシュヴェルトに尋ねる。
「シュヴェルトさん。その移動みたいなの、どうやってるんですか?」
「ん? ああ、あれか?」
そう言うと、シュヴェルトは腰に提げている剣の柄に触れて続ける。
「こいつが少し特殊な剣でね。雷竜と呼ばれる竜の強力な発電器官を精錬の際に使用している。そのお陰で、この剣は雷竜の行うそれと同等の放電を行う事ができる。さっきやったのは、電流で筋肉を刺激し、一時的に肉体を強化したのだよ」
「肉体強化、ですか……」
そう繰り返すように言った番野は、シュヴェルトの言葉にどこか違和感を感じていた。
(まあ、電流で筋肉を刺激して肉体を強化したっていうのはまだ分からないでもない。だが、それだけであんな移動ができるとは思えない。あんなの、普通の人間ができる範囲を完全に超えている)
などと、なるべく表情には出さないように少し眉をひそめるだけに止めて考えていた番野だったが、シュヴェルトが待ちきれないといった様子で木剣を差し出してきた事で思考を中断した。
「ほら、どうした? 早く取らないか」
「あ、はい」
番野は返事をして木剣を手に取る。
シュヴェルトはそれを確認すると、その木剣から手を離した。
すると、
「ーーっと、うお!?」
木剣の予想外の重量に番野は木剣を取り落としそうになるが、とっさに両手に持ち替えて落下を防いだ。
その様子を見たシュヴェルトは、番野に注意を促す。
しかし、そこで番野は衝撃の事実を知ることになる。
「ああ、それは木剣と言っても、重量は普通の剣と同じになるように作られている。君は二週間ほど動いていなかったんだ。十分気を付けて扱うんだぞ」
「え……?」
「なんだ? どうかしたか?」
驚きのあまり開口して固まっていた番野だったが、シュヴェルトに言われて何とか言葉を紡ぎ出す。
「あ、あの、シュヴェルトさん……。お、俺はもしかして、二週間もずっと、その、眠っていたんですか……?」
「んむ? ああ、そうだが? 確かにあの致死量に匹敵する傷と出血を鑑みれば無理もないと思うがな。まあ、それもこれもーー、って、コラ! どうしたのだ急に!」
シュヴェルトが叫んだ。
その原因は無論、番野が木剣を放り出して城の方へ突然走り出したからだ。
しかし、自分が二週間も眠り続けていたという事実。その事実が、番野を突き動かしたのだった。
以前の事は未だ何も思い出す事ができていない。
けれども、番野の心に巻き起こった、何か大切な物を失ってしまうかもしれないという危機感こそが今番野を動かしている物の正体だった。
そして、番野はこの後まず何をすべきかを知っている。
(まずは、あの八瀬って奴の所に行って、本当の事を聞き出す! 何としてでも!)
駆ける少年の目指す場所はただ一つ。
アウセッツ王国の前国王が退位してから新王即位までの非常に短い期間で頭角を現し、新編成された憲兵団で前団長のシュヴェルトを抑えて団長に上り詰めた、【異端の智慧】と称される天才ーー八瀬巧の下へ。
「ふむ。流石と言うべきか何と言うべきか……」
番野が立ち去った事で一人になってしまったシュヴェルトは、地面に投げ出された木剣を拾い上げながら喜びとも苦笑とも取れる笑みを浮かべてどこかに向けて呟く。
「やはり、彼は早い段階で勘付いたようだぞ。さて、君はどうやって彼を止める?」