第83話 神が悪い
四方四カ国同盟独立執行官、マクス=ジャッジウェルの撃破。その大勝利の余韻に浸る暇はしかし番野達には無い。
番野は倒れているマクスの傍にしゃがむと、マクスの体を揺すって意識を引き戻そうとする。
すると、軽く揺すっても効果が無いと判断するや激しく揺すり出した番野にマクスは堪らず目を覚ました。
「そ、そんなに揺する必要はありませんよ……。私も、それなりには頑丈なので」
「その喋り方、どうやら戻ったみたいだな」
「ええ。お陰様で。“彼”が何も言ってこないという事は、とても酷くやってくれたようですね。その上私の能力まで……。一体どんな手を使ったので?」
「そんな事より先に約束を果たせ。そっちの方が優先だ」
急かす番野にマクスは口元で笑う。
「承知しました。敗者は黙って勝者に従いますとも。《魔法使い》の少女を呼んでいただけますか?」
「ああ。夏目」
「はい」
その要求に番野は答える。
夏目の『空間跳躍魔法』の精度の高さを考えての事だった。
小走りで近寄って来た夏目に、マクスは手を差し出すよう指示する。
こくんと頷いて夏目が掌を差し出すと、マクスは夏目の掌に指先で何やらなぞり始めた。
夏目は神妙な面持ちでそれを見つめ、番野は不思議そうにその様子を眺める。
それが終わると、マクスは夏目に言った。
「これが、貴方達の向かうべき場所の座標です。そこにあの少女は囚われています。きちんと連れて行ってください」
「わかりました。ありがとうございます」
「礼は不要ですよ。これは敗者の義務ですから」
「そうですか」
それだけ言うと、夏目は立ち上がった。
番野が石川を呼ぼうと振り向くと、そこにはすでに石川が立って待っていた。
そして、番野は最後にマクスに問うた。
「で、お前の聞きたい事ってのは?」
その番野の問いが不可解だったのか、マクスが疑問を投げる。
「何故、私の問いを?」
「当然だろ。敗者が勝者の要求に応えねえとならないんなら、強い奴は弱い奴に指南ぐらいしてやるのが強者の義務ってもんだからな」
「ふふ。では、私があなたの弱点を聞いたとしてもお答えいただけるのですか?」
「んなもん教えるか。いいからとっとと本当の事を言え」
「では一つだけ。あなたは、本気であの少女を救う気でいますか?」
そう問うマクスの瞳は真剣そのものだ。
返答次第では今度こそ殺してやる。そう、訴えかけてくる瞳に番野は逆に睨み返すような勢いで答えた。
「当たり前だ。俺が何のためにお前と戦ったと思ってる?」
「いえ、ただ確認が取りたかっただけなんですよ。どんな結果になるか分からなくても、己の命を落とす事になったとしても、成し遂げようとする意思があるかの確認を」
「何度も言わせるな。これは俺の役割だ。ここに来た理由だ。俺は俺の務めを果たす」
「役割、理由、務めですか。……クク、フフフフ」
番野の話した言葉を呟き、嗤い出したマクスに番野は低く、ドスの効いた声で尋ねる。
「何がおかしい……?」
「……いえ、なんでもありませんよ。ええ。貴方の覚悟は十分に分かりました。引き止めてしまい、申し訳ありませんでした」
「……?」
番野は不可解だと言いたげに眉をひそめた。
そして、番野は別れを告げる。
「じゃあな」
「ええ。健闘を祈ります」
そうして番野は踵を返した。
気持ちを切り替える。
数度、自分の両頬を張っていよいよ迫ってきた目標に向けて気合を入れる。
「よし。そんじゃ夏目、頼む」
「はい。いよいよですね!」
「ま、ここまで来たんだから私も最後まで付き合うよ」
「ああ。ありがとう石川」
すると、三人を囲むようにして魔法陣が展開された。
夏目の『空間跳躍魔法』の物だ。
足下の魔法陣が完全に展開されると、杖を構えた夏目が目を閉じて準備を始めた。
「座標設定、完了。出現地点誤差、一ミリ以内に抑えます。『空間跳躍魔法』発動準備完了しました、いつでもいけます」
「よし。それじゃあ早速頼む」
「はい。跳びます!」
夏目が言い、魔法陣の輝きが一層増して目を覆いたくなるような光を放ったと思うと、次の瞬間には番野達三人の姿は忽然と消えていた。
「はああああ……」
マクスはそれを確認すると力尽きたように地面に体を大の字に投げ出した。
あの三人を見送った以上、油断すれば今にも途絶えてしまいそうだった意識を保っておく必要は無い。しばらく休もうかとマクスが目を閉じたその時だった。
マクスの脳が聴覚を通さず直接何者かの声を聞き取った。
『あのまま行かせても良かったのか?』
「おや、貴方ですか。どうも今回は勝手に私の体を使ってくれたようで。戦闘の後にダメージを受けるのは私の方なんですよ?」
『ああ分かっておる分かっておる。すまぬな。つい戦いたくなってしまった故、許可無く借りてしまった。次からは気をつける』
ほとんど謝罪の意思の無い謝罪にマクスはやれやれと息を吐く。
「はあ。まあ、他にもいろいろと言いたい事がありますが、それはまた後にしましょう。それで、行かせても良かったのか、とはどういう事でしょうか?」
『何を惚けた事を言っておる。番野護の追っている娘がどこに送られたか主は知っておるだろうに』
「ああ、その事ですか」
マクスはようやく得心した様子で、ぽんと手を打とうとするが、腕に上手く力が入らないので仕方なく苦笑した。
「四方四カ国同盟が成立される所以となった、四方を四カ国に囲まれた、音に聞く《英雄》の治める光の国『リュミエール』ですか。まさか、あれだけ素直に我々に従っていたここの盗賊共がよもや裏切るとは思っていませんでしたがーー」
『そうではないだろう。着目すべきはそこではない。彼奴等の追っている娘がそこに送られて、彼奴等がそれを助け出そうとしているという事はだ。どこかの過程で必ずあの《英雄》と衝突するという事だぞ』
「そうなりますね」
『っ……、主よ、私の言いたい事が分かっておるのか?』
「ええ、十分過ぎる程に。要は、貴方は今の彼らの、いや番野護の実力では彼は《英雄》に殺されると言いたいのでしょう?」
『う、うむ。そうなのだが。主よ、やけにあっさりしておるのだな。主の心はこれ程までに彼奴と争いたいと願っておるのに』
と、柄にも無くマクスの中にいる『死神』が心配そうな声で言った。
しかしマクスは、その心配を一蹴するように笑って言う。
「く、クククク。確かに私は彼とまた戦いたいと願っている。体さえ動けば、今からでも追っていきたい程です。ですが、貴方が負けてしまった以上は手出しをするのは礼儀知らずの阿呆のやる事です。
それに、あそこで死んだら死んだでその程度の者であったと言う事です。その時は、素直に諦めますとも」
その、やや自分への当てつけが混じった言葉を聞いた『死神』は最後に嫌な事でも言ってやろうと思った。
『それは、彼奴を“信じる”と取っても良いのか?』
「貴方も、神が悪い」
そう、マクスは自虐的に言って、眠りに落ちた。