第80話 謎の声と白い世界
「やはり人間は、運命には抗えぬ。少しだけ。本当に少しだけ、期待していたのだがな……」
悲愴に呟くマクスの前には血溜まりに身を浮かべる番野の姿があった。
致命傷は左肩。見るに鮮やかな切断面から今も止めどなく生々しい光沢を放つ血液が流れ出ている。
《勇者》が、死んだ。
○ ○ ○
「ーーはっ!? こ、ここは!?」
今まで呼吸を我慢していたような様子で目を覚ました番野は、まず自分の居場所を確認する。
上を見て、下を見て、前、横、後ろ、斜め。
「は……?」
しかし、目に映る物は全て白。物としての輪郭がある訳でもないただの白。今自分がいわゆる地面と呼べる物に足を着けているのか、はたまた宙に浮いているのかすら判別できない真白な空間に番野はいた。
「白いな、ここ……。どこまでも白だ……」
その場で、見える筈のない地平線を眺めながら番野は呆然と立ち尽くす。
「て、そうじゃなくて! 俺はさっきまで森でマクスと戦ってた筈だ! 間違ってもこんな場所でなんか……」
そこで番野は、はたと気付く。
もしかすると、これはマクスの能力に囚われてしまったのではないかと。
(そうだ。それなら説明がつく。いつの間に仕掛けたのか全然分かんなかったけど、まんまと術中に嵌っちまったって事か)
『いいや、それは違うよ』
「ーー誰だッ!!」
どこからか聞こえてきた謎の声に、番野は剣に手を添えて最大の警戒を放つ。
すると、謎の声はおどけた口調で返す。
『おお、怖い怖い。良い殺気だね。でも、安心してよ。ボクは君の敵じゃあない』
「……俺がそれを信用できる根拠は?」
『ボクがその気なら君はもう死んでる。いや、正確には“消えてる”かな?』
「…………。つまり、俺がここにいるって事がお前が俺の敵じゃないって事の証明だと?」
『そういう事。いやぁ〜、物分りが良くて助かる助かる』
番野の殺気を受けてもなお調子を崩さない謎の声の主張に番野は気に入らなそうに眉をひそめる。
(誰だか知らないが、随分となめられたもんだ)
すると、謎の声が申し訳なそうに言う。
『ごめんね〜。これ、ボクの性分なんだよ。だから、ちょっとだけ我慢してよ。ね?』
「お前、なに人の心の眺め読んでんだよ。プライベートゾーンだぞ」
『それについてもごめんね〜。ここ、ボクの生み出した空間だから、中にいる人の心の中が読めちゃうんだ』
「そんな余計な機能付けるな。変なこと考えられねえだろが」
『あはは。やっぱり面白いね、君。気に入ったよ』
気に入ってもらえて良かったよと番野は吐き棄てるように言う。
そして同時に、自分がこういった状況に対してあまり動揺しなくなっている事に微かな不安を覚えた。
会話が途切れた事で、番野は「ところで」と話題を変える。
「何だって俺は今こんなとこにいるんだ? 俺は今の今まで森で戦ってた筈だぞ」
『そうだね。確かに君は今の今まであの死神混じりの《裁定官》マクス=ジャッジウェルと戦って“いた”』
「やけに含みを持たせた言い方だな。それに死神混じりってーー」
『そこで、君は一体どうなったか覚えているかい?』
(俺がどうなったか、だって……?)
言葉を遮られた事に少し苛立ちを覚えながらも謎の声の言う通りに番野は思い出そうと試みる。
「ううっ……!?」
すると、途端に猛烈な吐き気と左肩にこの世で受け得る物とは思えないような激痛が走った。
そして、番野は完全に思い出した。
あの戦闘の最後、自分がマクスに左腕を落とされて失血死した事を。
「はあ……は、はあ……!! 俺、が、死んだ……!? マクスに、殺された……!?」
(じ、じゃあ夏目は!? あの二人は今どうなってる!?)
両手を地面に着いて吐き気を我慢する番野に、謎の声は心配そうに言う。
『うん。ようやく思い出したみたいだね。辛かったと思うけど、まあこれも必要なステップなのさ』
「んな事は、はあ……、今はどうでも、いい! それより、夏目と石川ーー俺と一緒にいた二人はどうなった!?」
『それについては心配いらないよ。なにせここは君のような消える寸前の魂が来る場所。ほら、実際の時間と夢の中で過ぎた時間とじゃあ差が出るでしょ? それと同じだよ』
「よく意味が分からねえ……。その理論とあいつらが無事だって言うお前の言葉のどこに接点があるんだ?」
『つまりはね? 肉体が死んで、魂ーー精神だけの状態になった君は、言わば夢を見ている状態と同じなんだ。だから、君が今感じている時間は実際の時間とは大きく異なる。
ここじゃあそこそこの時間が経ったと思うけど、現実ではコンマ一秒すら経っていないだろうね』
「それじゃあ、本当に、俺は……」
『じゃあ、本題の方に入ろうか』
謎の声は悔しそうに呟く番野を尻目に話を続ける。
『ボクが君をここに呼んだのにはね、ちゃんとした理由があるからなんだ。君のような消えるに惜しい命を導いて復活のチャンスを与える、それがボクの役割だからだよ』
「導いて、復活……? 何言ってんだ?」
『まあとは言ってもボクはアドバイスを送るだけなんだけどね。復活するかどうかは君次第だ』
「なら、なら今すぐ教えろっ!! その復活の方法を!!」
謎の声に番野は吼えたてるように言った。
それに、謎の声は呆れたように言う。
『まあ少し落ち着きなよ。時間はまだたくさんあるんだし。それに、これは落ち着きの無い状態だと成功が難しい問題なんだ』
「そ、そうなのか。分かった」
『うんうん。良いね、そういう素直なところ。嫌いじゃないよ』
「うるせえ。そういう無駄な時間は今は必要無い」
『やれやれ』
そして、謎の声は一呼吸入れて話し出した。
『君は、どれだけ《フリーター》の能力を理解している?』
「《フリーター》の能力? まあ、他の職業になれたりとかだな」
『まあそんなとこだろうね』
「あ?」
『それじゃあ、使い用では素晴らしい職業の《フリーター》を上手く扱えていない無知な君に一つ知識を授けよう。
君が「転職」と呼んでいるシステムの本当の力についてね』
「『転職』の、本当の力……?」
『そうさ。君があれについてどう考えてるか知らないけど、どうせ正しく認識はしてないだろうからそれを正すね。
あのシステムの真骨頂は、一度その力を見た職業になる事ができるって事なんだ。つまり、今の君は《勇者》、《罠師》、《魔法使い》の三つになれるはずなんだ。
それなのに君は無謀にも接近戦を挑んで無様に死んでしまったと言う訳だよ。ああいうガチガチの近接戦闘使いには遠距離からチクチク攻撃していくって相場は決まってるだろうに』
「ま、待て。ちょっと待ってくれ」
『なんだい?』
謎の声は、その反応には予想が付いていたと言わんばかりに愉快そうな調子で問うた。
しかし、普段ならいざ知らず、今の番野にはそんな事をいちいち気にしている暇は無かった。
「一度見た職業になれるって、そんなのどうすりゃ良いんだよ? それに、なんでお前がそんな事知ってるんだ?」
『ふむ。まあ、そう来るよね。それじゃあボクからはこう言わせてもらうよ。君はまだ知らなくても良い』
「そんなので! そんなので信用しろってのか! 俺に余裕が無いのは俺を呼んだお前が一番よく分かってる筈だ」
『それでも君は目の前に見える小さな光に手を伸ばすしかない。そう。君には余裕が無いんだから。本当はこんな弱みに付け込むような事はしたくないんだけど、君はこうでもしないと信じてくれないだろうからね。
さあ、どうする?』
「くそ……」
番野は声の主が初めからこうするつもりだったのだと理解してますます苛立ちを募らせた。
が、それでも余裕が無く、その心情も相手に筒抜けになっている今、声の主に無駄に反抗しても意味は無い。尚更に時間が浪費されるだけだと怒りを理性で抑え込んだ番野は、悪態をつきながらも答えを出す。
「……分かった。力を貸してくれ」
『よし来た。後悔はさせないよ。絶対にね。
それじゃあまずは、《魔法使い》になってみる事から始めよう。その後は、とある魔法を教えてあげる』