第78話 護るために
「『何で』と。『何で』と来たか。ハハッ! よもや私に理由を尋ねて来るとは! なかなかに面白い人間ではないか!」
「何がおかしい!」
自分の怒りを笑い飛ばされた番野は噛み付くようにマクスに言った。
しかし、それでもマクスは笑うのを止めようとしない。
いや、その様は笑いが堪え切れないと表現した方が正しいのかもしれない。
「クク、クククハハハハ!! いやすまない。あまりにも想定外な返しだったからな。久し振りだぞこんなに笑ったのは」
「てめえ……!!」
愉しくて仕方がないといった様子のマクスに番野はさらに怒りを募らせる。
柄を握るその手は、今にも剣を抜き放ちそうなほど怒りで震えていた。
番野の剥き出しの怒りを一身に受けるマクスはしかし全く余裕の表情で受け流していた。
むしろ、「興が乗った」と喜んでいる程だ。
そして、愉快そうに口端を吊り上げるマクスは番野に言う。
「良い。今の私は実に気分が良い。故に、貴様の実につまらん質問に答えてやる事にする」
「なに……?」
「フフ」
マクスが笑った。
瞬間、ぞくりと怖気のような感覚を番野は感じ取った。
今から、あの死神が自分にもたらそうとしている物への怖れ。
(嫌な予感がする……)
ゴクリと唾を飲む。
そして、
「ほら、『こいつ』が答えだ」
マクスは片手で『何か』を番野に向けて投げた。
『それ』はびしゃびしゃと何かの液体を辺りに撒き散らしながら宙を舞う。
舞って、『それ』はとすんと軽い音を立てて番野の腕に収まった。
『それ』が何であるか、番野はすぐに理解できなかった。
しかし、『それ』と目が合った時、番野の心には怒りよりも自責の念が湧いた。
(ああ。また、俺は……)
番野が抱き抱えている『それ』は、右腕が肩から千切れかけて、胸から腹部にかけて大きな刃傷が付けられている、全身を血で濡らした石川だったからだ。
「……っ!?」
脇から覗いた夏目も思わずそのあまりの惨さに声を失う。
「それが答えだ! それが貴様の罪だ! その娘は、貴様の無謀な指示によってこの男に立ち向かい、そうして今の状態になっているのだ!
貴様がその娘を私に差し向けなければその娘はそうならずに済んだものを。それは、貴様が手を下したも同然。
失われずとも良い命を失わせた罪は重いぞ、番野護!」
「…………」
罪を糾弾する言葉が次々と番野に浴びせられる。
(やっぱり、俺のせいなのか……。俺の、せいで……)
番野の瞳から光が消える。
そして新たに灯るのは絶望の灯火。
アウセッツ王国で八瀬を失い、道中で美咲が攫われ、そして今度は石川を失ってしまった。
護れなかった。
救わなければならないのに。護らなければならないのに。
ここに来て、既に三人も自分の手をすり抜けてしまっている事実に、番野は今にも崩れ落ちてしまいそうな程の哀しみを感じた。
(俺は、何の為にあの世界から離れる事を望んだ? 何をする為に、俺はこの世界に来た?)
混濁していく頭の中で番野は己に問いを投げる。
(護るためだろうが。自分の大事な奴らを今度こそ護るためだろ! その為に俺はこの世界に来たんだろ! あの時みたいに自分の大切な人を失って、もう泣かなくてもいいように!
なのに。なのにこんなザマじゃあ、何の為にこっちに来たのか分かんねえだろ……!!)
石川を抱く手に思わずチカラが入る。
石川の顔にぽたりと温かな雫が落ち、頬の血糊を洗い流していく。
その後も、二滴、三滴と番野の涙は続けて落ちていく。
「やっぱり俺には、誰も護れない……」
「いいえ。そんな事はありません」
「……え?」
俯いて涙を流す番野が驚いて前を見ると、そこには柔和な微笑みを浮かべた夏目の顔があった。
「眠っている時、わたしは、わたしの過去にいたんです」
「過去に……?」
「はい。わたしの一番嫌だった思い出です。
正直、わたしはもうダメだと思ってました。何度も繰り返して、精神的に追い詰められて、もう死んでもいいやなんて思ってたんです」
「何を言ってーー」
「でもそんな時、番野さんの声が。帰って来いって声が聞こえて来て。それで先生の本当の思いもわかったんです」
まるで独り言のように語る夏目に、番野は困惑の色を示す。
それでもきちんと言っておかなければならないと夏目は意を決して切り出した。
「番野さん。あなたはちゃんとわたしを護ってくれました。あなたはちゃんと誰かを護れるんです! だから。だからどうか、誰も護れないだなんて言わないでください。
あなたには、誰かを護る力があるのですから」
「そう、なのか……? でも俺は、三人も……」
「お忘れですか? 師匠が初めに言われたはずです。『お前らがどうなっても俺はお前らを助けない。だからお前らも俺らを助けるな』と。ですので、あなたが師匠が亡くなった事に負い目を感じるのは違います。
美咲さんは、確かにあなたが原因の一つかもしれません。でも、ちゃんと助けに行くと番野さんは言いました。
石川さんも、自分で言い出した事です。冷たいかもしれませんが、きちんと覚悟はできていたはずです。
それと、一つ訂正を。まだ、石川さんを護れなかった人として数えるのは少し早いと思いますよ」
「それは、どういう……」
尋ねる番野に、夏目は何も言わず目で示す。
それにつられて番野が視線を動かすと、非常に弱々しくはあるものの、番野の服の裾を握る石川の手が視界に入った。
「ほら。まだ石川さんも頑張っているんです。なのに、信じた番野さんが立たないでどうするのですか?」
その夏目の意地の悪い問い掛けに、番野は込み上げてくる嬉しさから笑ってしまいそうになる。
(ああ。ああそうか。まだ俺には、チャンスがあったんだな……)
「夏目。治療魔法は?」
「もちろん。お任せください」
「分かった。起きて早々すまないが、早速仕事を頼まれてくれるか?」
「なんなりと」
「よし……」
真っ直ぐに、覚悟の灯った瞳で夏目は言った。
番野もそれを受けて改めて自分も覚悟を決め直す。
(腑抜けてなんかいられねえ。石川も頑張ってる。そして、この先には美咲が待ってる。もとよりこんなとこで止まってる訳にはいかねえんだったな)
そうして己の目的を再確認し、番野からの指示を今か今かと待っている夏目に、番野は言う。
「夏目は石川の治療を頼む。酷いやられようだが、なんとか繋ぎ留めてくれ。俺はあいつを倒す」
「はい。ちゃんと、生きて帰ってくださいね?」
番野の心意を確かめるような夏目の言葉。
心配と不安が織り交ぜられたその声音に、番野は真っ直ぐ目を見て言った。
「ああ。分かってる。ここが終わったら、美咲を護ってやらねえといけないからな。死んでやるつもりなんか毛頭無えさ」
「わたしは、番野さんなら絶対に大丈夫だって信じていますよ。あなたに助けられた一人が保証します」
「心配し過ぎだ。このっ」
その言葉を言われたのが少し恥ずかしかったのか、番野は照れ隠しに夏目の頭を撫でた。
「ふわっ……」
夏目は初めは驚いたような顔をしていたが、頬を朱に染めて俯いた。
その様子を見て、夏目にはやはりこういった年相応の事をやっていて欲しいと思う番野だが、夏目の覚悟に対して今そんな事を考えるのは些か無礼だったと思い直す。
そして、ひとしきり夏目の頭を撫でた後、番野は心を入れ替えてマクスに向き直った。
「それじゃあ、ちょっと行って来る。石川を頼んだぞ」
「はい。それと番野さん」
「何だ?」
「あの人、初めに会った時と随分雰囲気が異なっています。それに何やら様子も変です。十分気をつけてください」
「分かった。ありがとう」
すると、今まで一部始終を見ていたマクスが、番野らが話を終えたのを見計らって声をかけた。
「お悩み相談は終わったか?」
「随分な言い方だな。ま、否定はしないが」
「そうか。それより、一体何を吹き込まれたかは知らんが、その目つき。期待して良いのだろうな?」
マクスは値踏みするような目で番野の瞳に宿っている光を見定める。
それに対して番野は視線を外さずに答える。
「勝手にしてろ。俺は俺のやるべき事をやるだけだ」
「良い。その状態の貴様と戦えると言うのならば、私もわざわざ降りて来た甲斐があるというもの。貴様という人間の強さを、私に見せてみろ!!」
「第二ラウンドってか? 望むところだ。今度こそ決着つけてやるぜ!!」