第67話 少女のストレス
「ところで」
と、夏目が空中の石川に視線を移して言った。
「アレは一体どうするのですか? このまま放置でもするのですか?」
「いやいやいや、そんな事する訳ないだろ。それより、いくらなんでも可哀想だからアレ呼ばわりは止めてやれ」
「分かりました。それで、どうするおつもりですか?」
「ああ。とりあえず連れて帰って説教と聞き込みだな。まあ、今日はもう遅いからそれらは明日に回すつもりだが」
「なるほど。では、あのまま移動させるのが最善ですね。いつ目を覚ますやもしれませんし」
「頼む」
番野が言うと、夏目は分かりましたと返す。
そこでふと、そういえばと番野は何か思い当たったかのように声を上げた。
「夏目。一つ、良いか?」
「はい? なんでしょう?」
「ああ。まあ別にどうでもいい事かもしれないんだが……。あいつ、お前の結界に衝突したっきり死んだように動かないんだが、どっか変なところとか打ったりしてないよな?」
「心配いりません」
不安そうな声で尋ねる番野に、夏目は普段通りの調子で言う。
「あの結界は特別製で、内側から破ろうとしたりすると、結界に仕込んである昏倒術式が作動して内部の人間が気絶するように張りました。
なので、彼女が目を覚まさないのはそのせいかと。
とはいえ、役目はあくまでも気絶させるだけなので放っておけばじき目を覚ますでしょう」
「そうか……って、お前結構えげつない事するなあ」
「熟睡していたところを無理矢理起こされたのを考慮すれば、これくらいはされて当然かと」
「ま、まあ、そうなのか?」
まあ、そこらへんは個人の尺度だろうと番野は割り切った。
そして、番野はシーラの家に足を向けた。
「じゃ、帰るか」
「はい。寝直しましょう」
○ ○ ○
翌朝。
「うがああああああ!!」
シーラ家の人間は皆、ニワトリならぬイシカワの鳴き声で眠りから覚めた。
「なんの騒ぎだ……?」
三人の中でもいち早く目を覚ました番野が眠気まなこを擦りながらベッドから起き上がる。
「そういや、あいつ一階にいるんだったな……。催しでもしたか?」
そう呟き、番野は寝惚けた頭を総動員して部屋から出る。
すると、同時に自室から出た夏目と目が合い、軽く挨拶を交わす。
「……おはよう。やけにうるさい朝だな」
「おはようございます。実に腹立たしい朝ですね」
相変わらず辛辣だなあという感想を番野は内心で止め、階段を下りる。
一階に下りると、顔を真っ赤に染め上げて番野と夏目を怒りの眼差しで見据える石川の姿があった。
石川は下腹部を押さえながらやや前のめりの態勢で二人に訴える。
「ちょっと、いつまで閉じ込めとくつもりだ!?」
その悲痛にも懇願にも聞こえる訴えを、夏目は特に気に止める様子もなく答える。
「あなたが盗みを働かないという確証が得られるまでですが」
「うぐ……。だ、大丈夫だって! もう盗まないって!」
「本当ですかあ?」
「ほ、本当だよ」
「…………。番野さん、この子、目を逸らしました。信用できません」
「うーん。そうか〜?」
突然振られ、首を傾げて誤魔化すように番野は答えた。
「ぅぅぅぅ〜〜」
それらの態度に石川は目に僅かに涙を浮かべて唸った。
その様子に、番野は少し後ろめたさを感じながらも石川に尋ねる。
「石川。お前、もしかしてトイレに行きたいのか?」
「うっ……、そ、そうだよ……」
問われた石川は一瞬驚いて、こくりと頷いた。
それを受け、番野は超然とした態度を取っている夏目に言う。
「て事らしい。一時的にだけでも出してやったらどうだ?」
「まったく。甘いですね、番野さんは。分かりました。では、わたしが付いて行きましょう」
「んな、なんでお前も来るんだよっ!?」
「当然です。トイレに行きたいと言っておいて、こちらが目を離している隙に逃げられたら困りますから」
「とことん信用無いんだな、私」
「あなたが私達の信用を得られるような行動を取った覚えはありませんが。まあ、やっぱり行きたくないと言うのであればよろしいですが」
「いやいやウソウソ! 行きたいです! 行かせてください!」
と、石川が大慌てで弁明すると、夏目がため息を吐きながら石川を連れて行った。
(なんか凄え、人が変わったように当たりが強いな夏目のやつ。自分より下の立場の人間ができたから、普段溜まってるモノでも晴らしてるのだろうか?)
やっぱりこいつもこいつでストレスを感じてるんだなと、番野は滅多な事以外では感情を表に出さない夏目の内面に不安を感じた。
この世界で二年以上寝食を共にしてきた八瀬との別れは、彼と家族のように接してきた夏目の心に大きな傷を残した。
八瀬と別れ、番野らの前で初めて涙を流して以来そういった素振りを見せなかった夏目だが、家族同然の存在を亡くした悲しみがそう簡単に癒える筈もなく、ずっと蓄積され続けている。
こうして石川に強く当たっている今も、解消されている一方でそれと同等かそれ以上のスピードでストレスは溜まっているのだ。
それを分かっている番野は、分かっているのに何もしてやる事ができない己の不甲斐なさに歯嚙みした。
(このままじゃ、夏目のストレスは溜まる一方だ。そして、いつかそれは爆発してしまう。
だが、俺は何もしてやれない……。
あいつの代わりをしてやろうにも、俺じゃあ埋めてやる事はできないし、かえって夏目を悲しませかねない。
俺は、どうすれば良いんだ……)
そうして番野が物思いに耽っていると、夏目が横から声をかける。
「あの、どうされました? あの子ならきちんと捕まえていますよ」
「ぐうう……。別に中まで入って来なくても良いじゃないかよぉ……」
言いつつ夏目は顔を赤くしたままの石川を引き出して番野に見せる。
すると、番野はいきなり意識を現実に引き戻されたせいで多少困惑し、遅れて返事を返す。
「お、おう、そうか。ありがとうな」
隣で石川がブツブツと顔を真っ赤にして呟いてるのが気になるがと内心で付け足して、
「じゃあシーラさん起こして、朝メシ食べながら情報聞き出すとするか」