第58話 脱出
「はぁ、はぁ、はぁ……」
苦しそうに息を切らしながら、美咲は戦場を立ち回っていた。
いくら《勇者》の力で総合的な身体能力が何倍にも上がっているとはいえ、必ず限界がある。
今、継続してフルで動いていた為に美咲の体力は限界を迎えようとしていた。それに準ずるように、初めはキレがあって素早かった動きにも徐々に粗が目立ち始めた。
「くっ……!」
力任せに振り下ろされる巨大な戦斧を美咲は何とか横に受け流す。が、兵士の凄まじい腕力に押され、細い体がよろめく。
そこをすかさず周りにいた兵士が剣や槍等、様々な武器で襲う。
「ーーふっ!」
ほぼ同時に迫るそれらを美咲はそれらよりも速く動く事で一つずつ確実に打ち落そうとする。
その急激で無茶な加速に、既に限界間近の筋肉が悲鳴を上げるのを美咲自身感じ取った。
だが、ここで倒れる訳にはいかない。目の前の脅威を、自分を信じて後ろで待つ仲間の下へ通してはならないのだと自身に言い聞かせ、体を無理矢理動かす。
「はあああああ!!」
まず目の前から迫る槍のけら首を断ち、続く動作で穂先の無くなった槍の先端を蹴って、持つ兵士ごと後方に飛ばした。
そして、銃弾を躱し、剣を弾き、矢を払う。
(ここ!)
攻撃の全てを無力化すると、一瞬のうちに周りの兵士全員に一撃を加えた。
どさりどさりと次々と兵士が倒れ、その中心で美咲も危うく膝をつきかける。
「もらっ、がっ……!」
その時、美咲の背後で小さな破裂音がして、それと同時に短刀を持った兵士が呻き声を上げて倒れた。
「どうした。もう終いか?」
と、美咲の背後に立つシュヴェルトが挑発するように言った。
美咲は、シュヴェルトに息を整えながら礼を言った。
「あ、ありがとうございます……。あと少しで私、やられてましたね……」
「そうだな。だから私が来た。君達を助けるとのたまっておいて死なせる訳にはいかないからな。ああそれと、私は今二つ程情報を持っているのだが、良い方と悪い方どっちから聞きたい?」
「……じゃあ、悪い方からで」
「分かった」
そして、シュヴェルトは言葉の途中で斬り掛かって来た兵士を何となしに斬り捨てると、続きを話し始めた。
「では悪い方から。王都の周りを包囲していた軍団が動き始めた。もうすぐ、王都にも雪崩れ込んで来るだろう。それでは、良い方の情報だ。君達の術式の完成まで残り三〇秒を切ったぞ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。頃合いだ。この場は私に任せて君は行け」
「は、はい! ありがとうございました!」
「いや、礼は要らない。これは私が勝手に始めた事だからな。ほら、早く行け」
そう言って、シュヴェルトは美咲の背中を押した。
「シュヴェルトさん。また、どこかで会いましょう!」
そして、美咲は城へ向けて走り出した。
すると、美咲を逃すまいと残る兵士が殺到する。
が、彼らの前には当然シュヴェルトが立ちはだかった。
兵士達は、シュヴェルトのただならぬ気配を正面から受けてその場に縫い止められたかのように一斉に動きを止めた。
「憲兵団長、そこを退いてください!」
先頭に立つ若い兵士が必死に絞り出したその言葉を、シュヴェルトは一笑に付した。
「ははっ。君はもっと人の話を聞くべきだ。私は言った筈だぞ? ここは通さんとな。それでも通りたいのであれば、私を殺して通れ」
「ぐ……」
退く意思を見せないシュヴェルトに、その兵士はゆっくりと引き下がった。
(勝てないと判断したか。懸命な判断だ)
シュヴェルトはその行動を侮蔑する事なく、逆に賞賛していた。
(さて、あとは彼らが脱出するだけだな)
そして、シュヴェルトはふっと笑った。
○ ○ ○
バン! と大きな音を立てて開いた扉に、夏目を除く三人は驚いて顔を上げた。
そこには、肩で息をする美咲が笑顔を浮かべて立っていた。
「美咲!!」
「あはは……。なんとかなったって感じかな」
「まったくだ。さあ、もう準備が終わるぞ。早く来いよ」
「ええ!」
番野に言われて小走りで四人の下へ美咲は行った。
すると、ところどころ傷付いている美咲を見てプランセスが言った。
「あらあら。終わったらきちんと治療しておかないと傷が残りますわよ?」
「はい。ありがとうございます」
「皆さん。準備、整いました。いつでも行けますよ!」
そう、夏目は顔を上げて告げた。
それを受けて、番野達四人の表情も自然と明るくなる。
そして、番野は痛みも忘れてその場に立ち上がって言った。
「よし、それじゃ行こうぜ! 皆、準備は出来てるよな?」
「バッチリよ!」
「おう……」
「?」
すると、少し元気の無い返事をする八瀬に番野が心配そうに言う。
「おい、どうしたんだよ八瀬。なんでそんなに元気無いんだよ」
「ああ、いや、なんでもない。大丈夫だぜ」
「おう、そうか。なら、良いんだけどさ」
「と、夏目。ちょっと肩借りるぞ」
「あ、どうぞ」
そう言って、八瀬は夏目の肩を支えにして立ち上がった。
それに続いて夏目も立ち上がる。
「それでは、術式を展開します」
そして、夏目が両手を広げると紫色の大きな魔法陣が床に現れた。
それと同時にプランセスは魔法陣の外に出ると、安堵したように微笑んだ。
「行かれるのですね」
「ああ。ま、まだ帰る予定は無いからまた会う機会もあるだろうぜ。その時には、ここが良い国になってる事を期待してるぜ」
「ええ、ええ。是非とも、その期待に応えられるよう努力致しますわ」
そうして、プランセスは軽く会釈した。
すると、それに合わせて夏目が言った。
「目的地、四方同盟の影響外の土地。跳躍します!」
直後、世界がぐにゃりと歪み、暗転する。
まるで遊園地のトラップハウスのような感覚が襲うが、それはほんの一瞬で、瞬きの後に世界は元の色彩を取り戻していた。
「ーー。ここは?」
少し警戒しながら周囲を見回す。
生い茂る草木とそこら中から聞こえて来る獣や虫の鳴き声。どうやら番野達はどこかの森の中に転移したらしい。
「皆、大丈夫か?」
番野が問い掛けると、すぐそばからそれぞれが答えた。
「ええ、大丈夫よ」
「はい。わたしも大丈夫です」
が、何故かあと一人いる筈の人物からの返事が無い。
少し離れたところにいるのかと思った番野は、先程よりも大きめの声で言った。
「おーい、八瀬ー! 大丈夫なのかー?」
呼び掛けるも返事は無い。
「どういう事だ?」
「分かりません。でも、あれだけ時間を掛けて練った魔法なのでそうそう狂う事もないですし、そもそもそんな事わたしは起こしません」
「だよな。だとしたらどこに……、ん?」
「どうしました? 何か心当たりでも?」
「いや、そうじゃない。だが、一つ気になる事を今見つけてな」
「それは何ですか?」
すると、興味ありげな夏目の肩を指差して番野は言った。
「そのお前の肩に付いてるのって、なんだ?」
「え?」
と、突然指摘された夏目は驚きながらローブを脱いで番野が指摘した箇所を検めた。
するとそこには、赤い染料を用いた人の手のような模様がこびり付いていた。それに、満遍なく色が付着しているのではなく、手の形に合わせてムラがあり、とてもリアルだ。
(こんな模様ありましたっけ……?)
不思議に思った夏目は首を傾げる。
「ちょっと貸してみてくれ」
「あ、はい」
夏目はそうして頼んできた番野にローブを渡す。
すると、それを受け取った番野はその模様の辺りを無造作に嗅ぎ始めた。
「ちょ、ちょっと!?」
「え、ウソ。番野君そんな趣味が……?」
二人が番野の突然の行動に対して言うが、番野は気にする事なく続行する。
「これ、これって……」
すると、信じられないような顔をする番野に美咲と夏目が若干引き気味に言った。
「どうしたの、急に? 好きな臭いだったの?」
「え……? 違い、ますよね?」
「違うに決まってるだろ! いや、そうじょなくて。ここに付いてるこれな? どうも人の血液みたいなんだ。それもまだ付着して時間が経ってない」
「人の血? 一体そんな物どこで付くって言うのよ。夏目ちゃんはずっと城の中にいたのよ?」
「確かにそうだ。それにたとえ戦闘になっても、後衛タイプの夏目に返り血が付く事は滅多にない。だが、実際にこんな場所に付いてて手形までもがはっきり分かるって事は、誰かが血の付いた手で夏目の肩に触ったって事になる。だけど、そんな奴いるのか?」
「私の見た限りだと、そんな血だらけの手で夏目ちゃんの肩に触った人なんていないけど。夏目ちゃんはどうなの? 誰かに触られた記憶とかあるかしら?」
「え?」
急に話を振られた夏目は少し言葉に詰まるものの、すぐに首を横に振って否定しようとする。
「いえ、特にーー」
が、その時夏目の脳裏にある引っかかりが生じた。
(わたしは、本当に誰にも肩に手を置かれていませんでしたっけ?)
そう思い、記憶を遡るとーー。
いた。
遡ると表現する程遠くない過去にその人物はいた。
(あの時師匠は、わたしの肩を支えにして立ち上がった。あの時手を置いた肩と血の付いている肩は同じで、手を置いた場所もまったく同じ。まさかーー)
その可能性に行き着き、夏目の顔からサーっと血の気が失せる。
「どうしたの? 大丈夫?」
その様子を心配してか、美咲が夏目に声を掛ける。
が、番野は違った。
夏目のただならぬ表情を見て、番野も気付いた。
「おいおい……。マジかよ、ウソだろ……? 八瀬。お前、いつからだったんだよ……?」
「あ、ああ……」
その時、ぽつりと小さな雫が落ちた。