第52話 準備完了
「ところでよ、お姫様」
「はい。何でしょう?」
ふと、番野はプランセスに声をかけた。
それに、プランセスは小首を傾げて返事をする。
「一体どうやったのかは分からないんだが、俺達にここに集まれって指示を出したのはアンタだよな?」
「そうですわ」
「だとしたら、八瀬のやつ来るのがちょっと遅過ぎやしないか? 事前に色々と仕掛けてたあいつの事だから、もうとっくに仕事を終えてる筈だと思うんだが……」
「さあ、どうなんでしょう?」
「さあ、ってアンターー」
仲間の安否を心配しての問いかけに、まるではぐらかすような返しをするプランセスに番野は何か言いかけたが、すんでのところで止めた。
それまで番野は気付いていなかったのだ。この作戦を完遂させるという事は、国王、つまりプランセスの父親を殺すという事なのだ。
もちろん、彼女もその事は承知の上なのだろうが、先程の番野の言い方はいささか軽率だった。
(そうだ。いくら無茶苦茶な事をしてるからってお姫様の父親だという事に変わりはない。少し無神経だったな……)
俯いた番野は、プランセスに申し訳なさそうに言う。
「悪い。俺が無神経だった」
「いいえ、お気になさらず。私もその事は重々承知していますわ。誰であれ、民を守り、導くのが国の主導者としての在り方。それを怠り、私欲の為に王という位置に座すなど言語道断ですもの」
そう、キッパリと言い放つプランセスの表情には一切の迷いが無かった。
続けてプランセスは言う。
「まあ私自身、父に対してそこまでの思い入れはありません。むしろ思い切りやって頂けた方がスッキリいたしますし」
「あのー。それって、私欲なんじゃ……?」
「何の事ですの?」
「…………」
ーー城内、一階踊り場ーー
そこには、床に敷かれたカーペットと寄りかかっている壁に模様を作りながら歩く少年がいた。
「か、あ……。ぅぐ、……」
少年は、息も絶え絶えになりながら歩く。
もはや、少年の意識は消失しかけていた。穴で繋がってしまった背腹からは呼吸する度に血液が漏れ出し、足には立っている状態を維持しておくだけの力すらなく、今にも崩れ落ちそうにガクガクと震えている。
末端の神経系も失血の為かほとんど麻痺しかけていた。
「行か、ねえと……」
しかし、それでも倒れず、その上歩けているのは少年の意地か背負った義務感からか。
ふと、少年は思った。
(このまま行ったら、あいつが心配しちまうだろうな。多分、あいつは脱出用の魔法の準備に取り掛かってる筈だ。俺のせいで作業が滞るのは避けたい)
ではどうしようか。
行かない、という選択肢はまず除外された。それは論外であるからだ。
(そんじゃあーー)
と、朦朧とした視界にチラッと床に倒れている憲兵の姿が映った。憲兵は完全に気を失っており、ちょっとやそっと動かしても心配はなさそうだ。
(そうだ。こいつを使おう)
○ ○ ○
その時。
「ーー!!」
ゾワリとした悪寒に近い奇妙な感覚が魔法の準備をしていた夏目の全身を駆け抜けた。
(この感覚は……)
夏目は眉をひそめた。
先程の感覚にはいくつか心当たりがあった。
一つは、王都に張り巡らせた結界内で自分以外の誰かが魔法かあるいは魔術を行使した可能性。
一つは、単に誤作動を起こした可能性。
(うっ……。これはわたしのプライドに傷が……)
そして、もう一つはーー。
顔を上げた夏目に、待っていましたと言わんばかりにプランセスが言う。
「夏目ちゃん」
「はい。連合軍の王都周辺への転移、展開が始まりました……」
「ウソ!?」
「マズイぞ! 八瀬がまだ来てない!」
夏目の言葉に、番野と美咲は一様に顔を見合わせる。
夏目も、表情には出していないものの、内心では相当揺れていた。
(なぜ? 一体どうしたのですか、師匠?)
ーー王都外周ーー
クーデターが起こっているにしてはあまりにも静か過ぎ
る王都を前にして、その男はあと数時間もしないうちに訪れるであろう喝采と栄誉を讃える声を想像して思わず口元を緩ませた。
その様子に、隣に立っている従者と思しき少女が言った。
「如何されましたか? 何か愉快な事でも?」
「いやいや。これから国の役に立てると思うと嬉しくてな。だが、賊共の実力が未だ計り知れない以上、こちらから無闇に突撃する訳にはいかんからな。まずはこちらの展開を待つ。討伐はそれからだ」
「御意に。父上」
ふふ、と男は微笑んだ。
(もう少しだ……。もうあと少しで、俺は……!!)
○ ○ ○
「あいつ、一体何してるんだ……! 連合軍はもう目の前に迫ってるんだぞ……!」
それまで何とか抑えていた番野も、とうとう苛立ちを露わにし始めた。
その苛立ちは、未だ現れない八瀬に対するものだけでなく、単純な焦りも原因の一つだ。
しかし、それも無理からぬ事だ。もしこのまま八瀬が現れずにいたずらに時間が過ぎれば、辺りを包囲し終えた連合軍が雪崩れ込んで来ることは確実だ。
その上、連合軍には他国の精鋭が集められている為、いくら番野らが相手取ったとしても今の彼らではそう保つ事はないだろう。
それが分かっているのは番野だけではない。美咲も、夏目も同じ事を考えていた。
握る拳にグッと力が入る。
(何やってるんだ……! 余裕ぶっこいてる暇はもう無いんだ。時間が無いんだぞ……!)
「八瀬ええええええ!!」
その時、ガチャリという音と共に開いたドアから一人の少年が部屋に入って来た。
その少年は、何故か上に憲兵団の制服を着ている以外は、番野らのよく知る人物だった。
その少年は、驚いている様子の番野らを見ると、元気そうに笑って言った。
「悪ぃ。待たせた」
「八瀬!」
「八瀬君!」
「師匠!? ああ、良かった……」
「…………」
三人が歓喜している中で(一名殴りかかろうとしている者がいたが)、一人だけ、プランセスは暗い顔をしていた。