第34話 決着
「すぅー、はぁー。……よし」
番野はその場で大きく深呼吸をして、ゆっくりと歩き始めた。先にも仕掛けてあるであろう八瀬の罠にかかる為に。
しかし、何も考えが無いままにこのような無謀に挑んではいない。
(あいつの仕掛けた罠に自分からかかりに行って、仕掛け方の癖を探す。
いくら頭がキレると言っても、あいつも人間だ。仕掛け方にも必ず癖や傾向がある筈。それさえ見つけてしまえば、あいつが今いる場所におおかたの見当が着く)
だが、この作戦には八瀬が仕掛けた罠に必ず数回、それで気付けなければそれ以上もの回数かからなければならないというリスクがある。
かかりに行く罠が初めのような落とし穴だけだという保証はまず無い為、そのリスクはどこまでも跳ね上がる。
(流石にあいつも本気で死ぬレベルの罠を仕掛けていないと思うが、それもまた保証は無い。とにかく、まずは罠にかからないと)
番野は、心臓はバクバクと大きく鳴らしながら足を一歩踏み出した。
○ ○ ○
『うおあぁぁああああ!!? 』
「うおっ。やけにデカい声だな。嫌がらせシリーズにでもかかったか? 」
森の中を木霊して来た獣の鳴き声のような悲鳴に、淡々と罠を設置していた八瀬が顔を上げた。
彼が今設置しているのは、仕掛けにかかった標的の両足首を瞬時に締めて宙に吊るし上げるという古典的で、軽い嫌がらせに向いている罠だ。
八瀬は、罠の要であるロープを巻き終えると、起点となる細い糸を張る。
「と、そろそろ持って来た糸が尽きてきたな。ここらで嫌がらせも止めにしてやるか。まあ、最悪近接戦になっても良いように準備はしとくか」
そう言った八瀬は、腰に巻いている小型のポーチから綺麗に折り畳まれた、丈夫そうな革の手袋を取り出し、両手にはめた。
「残りあと約五分。さて、時間内に俺の『テーマパーク』を抜け出せれーー」
『どわぁぁあああ!!? 』
「抜け出せーー」
『ぎゃぁぁあああ!! 』
「ぬ、抜け出ーー」
『ギェェェエエエ!!? 』
「…………」
『イヤァァアアア!!! 』
「あの野郎……! 」
自分のセリフの邪魔をされた八瀬は、ギリと奥歯を噛む。
敵が自分の仕掛けた罠にまんまとかかるのは面白がる八瀬だが、その際の悲鳴などでセリフを邪魔されるのは気に入らないようだ。
(野郎、半殺しにしてやる……)
それに、番野の悲鳴がまるでふざけているような奇声だったのも相まって八瀬の機嫌は一気に悪くなった。
○ ○ ○
「はぁ……、はぁ……、あいつ、なんて数の罠を……。それに、死亡ルート直行の罠以外ほとんど嫌がらせ目的の罠じゃないか……! 」
体のいたるところに傷を負い、体中を水で濡らし、ところどころをヌメリとした粘性の液体が付着しているなどなど、肉体と精神を苛んでいる物の数を挙げればキリが無い程にボロボロの状態になっている番野はしかし、その眼の光だけは鈍っていなかった。
約五分という短い時間の間に一体どれだけの数の罠にかかっただろう、と番野は考える。
大きな落とし穴に水が張ってあったり、頭上から得体の知れない虫が降ってきたり、大きな落とし穴に何やら生臭い粘性の液体が張ってあったり、泥に顔から突っ込まされたりと、そのバラエティーに富んだ罠の数々が番野の脳裏をよぎる。
今はそれらは全て過ぎ去った昔の事。
しかし、それら凶悪な罠の数々があったからこそ
(だが、あんな予想の斜め上を行く数の罠があったからこそ、掴めたぜ。お前の癖と居場所が!)
番野は、剣からねっとりとした液体を振り払うと、おもむろに自身の右側を斬りつけた。
すると、僅かに剣先に何かが当たる感触の後、そのちょうど真下の地面に突然、人一人分の穴が開いた。
その中はと言うと、体中をドロドロの粘液で覆う、カラフルなミミズのような虫がうねうねと無数に動き回っていた。
番野は、込み上げて来る吐き気と言い知れぬ殺意を喉元に止め、その場を駆け出した。
目指すは一つ。八瀬ただ一人。
(もう罠の傾向も癖もほぼ掴んだ。なら後は、逆算して罠の張られていない道を走るだけ! 待ってろよ、四十秒で向かってやる! )
強化の施された脚を最大限に利用して地面だけではなく、木の枝や幹さえも足場とする。
番野は、一陣の風と化していた。
そして、周囲の草木を揺らす程の風と共に、番野は八瀬の前へと姿を現した。
「へっ。待たせたな」
「なんだ、その酷い格好は? 途中で熊にでも襲われたか? 」
「悪魔みたいな罠には襲われたね! 」
剣を両手で持ち、言葉と共に番野は突進する。
「だが、こうやって俺が間近にいる今、お前は肝心の罠は張れない! 」
「そうかな? 」
すると、突進の勢いを利用して放った番野の剣による横薙ぎの一撃が
「なにっ!? 」
八瀬に直撃する直前に、ピタリとその動きを止めた。
八瀬は、自分の体に接触しかけているそれを横目で見ると、頬に汗を一筋流しながら言う。
「オイオイ、酷い事するじゃねぇか。当たったら死んでたぞ……? 」
「あれだけの数の趣味の悪い罠を仕掛けまくっといてよく言うぜ……! だが安心しろ。刃は当てない。その代わり、腹で思いっきり殴らせてもらうぜ! 」
「ハッ。お前の腹は何かを殴れるのか? 」
「うるせえっ!」
そう言った番野が剣を戻そうとした、その時。
勢いよく振った番野の右腕に裂傷が幾つも走った。
「ぐあっ……!! ぐ、……。なんで!? 」
「ちょっとした手品だ。あと、ジタバタ動き回らないことを勧めるぞ」
「クソ……! 」
番野は、一度後方に跳んで距離を取る。
(なんだ、あれは? 何をした? 八瀬は俺と相対した時から一歩も動いてないし、腕も動かしてない。
なのに、俺の右腕に斬られたような傷が……。いや、そもそもあいつは武器を持ってない。また不確定要素が増えた……)
どうやら、まだ気付かれてはいないようだな、と八瀬は右腕から血を流しながら不可解な顔をする番野を見て思った。
(なら、こいつには十分勝てるっ……!! )
そして、少しだけ口元が緩んだ八瀬に、番野は苦笑いを浮かべて言う。
「もう、勝った気でいるのか? 」
「八割くらいはな」
「そうかい。フラグ建築どうも! 」
言い終わると同時、番野は思い切り地面を蹴った。
正面からの突進。だが、その行動は言わば吊り。番野の本当の狙いは、
(横合いから八瀬の死角を狙う……! )
「そのスピードでフェイントかよ。筋肉どうなってんだよ一体ーー!!」
ガクン、と番野の体が突然横に傾く。
「まさかーーッ!! 」
「そのまさかだよ。穴に嵌ってずっこけろ」
バランスを崩した番野の体はそのまま地面を滑る。
番野は途中で受け身を取って体勢を立て直すと、顔に付着した泥を拭き取った。
(なんでここにも落とし穴が……? また俺の動きを計算して仕掛けておいたって言うのか? それにしては位置が正確過ぎる。これじゃあ未来予知だぞ)
ハァ、ハァ、と息を切らす番野に八瀬は余裕の表情で告げる。
「あと一分」
「マジかよ。それじゃあ、もうこうするしかないな! 」
そして、再び番野は正面から八瀬に突進する。
(またフェイント? いや、縦の大振りかッ)
「ハァァアアア!! 」
高速で振られた剣は、しかし、八瀬に命中する前に動きを止めた。
番野の渾身の力を込めた一撃は、またも八瀬には届かなかった。
「ぐッ!! 」
傷に響いたのか、番野はその手から剣を取り落とす。
「……俺の勝ち」
手放された剣は、空中で半回転し、その切っ先を地面へと向けて落下する。
「まだだ! 」
「は? 」
しかし、剣の向かう先には、まだ地面に着いていない番野の右足があるのみだ。このままでは、番野の右足はあえなく己の剣によって貫かれるのみ。
「自爆か? 」
「違う!」
次の瞬間。重力に引かれた剣が、そのまま番野の足に突き刺さった。
だが、正確に言えば肉を貫いてはいない。貫いたのは履いている靴だ。
八瀬は番野に言う。
「で、それがどうした? ただ運が良かっただけだろ? 」
「そうか? じゃあもし、俺が“こいつ”を狙って落としたとしたら? 」
「“こいつ”? 」
そこで八瀬は気付く。
番野の靴を貫いた剣。通常であれば既に地面に落ちている筈のそれが、未だ番野の靴に突き立った状態で静止している事に。
「そして、もしも俺にここからの攻撃手段があるとしたら? 」
「足の指でっ……!? 」
「結構キツイけどな。だが、こいつで終わりだぜ! 」
言い終える前に番野は右膝を思い切り伸ばす。
すると、それによって高速で打ち出された剣の柄が八瀬の顎を真っ直ぐ捉え、
「が、アッ……!! 」
衝撃で脳を揺らされた八瀬は、力無く後ろに倒れた。