第30話 地下牢の姫
「あ、たた……。頭打ったぁ……」
痛みで目を覚ました美咲は、半泣きになりながら後頭部をさする。
番野は意地の悪い笑みを浮かべて美咲に言う。
「自業自得だな」
「う、うるさい。ちょっと瞑想してただけよっ」
「瞑想、ねぇ〜」
立ち上がった美咲はニヤニヤと笑う番野を、キッと睨み付けるとイスを立ててそこに座った。
そして、八瀬は美咲が座ったのを確認すると、パンと手を叩いて注目を集める。
「さ、ちょっとした話も終わったところで、これからの予定を決めようじゃないか」
○ ○ ○
一方、王城地下ーー地下牢。
カチャリカチャリと手元から金属が触れ合う音を響かせながら、憲兵団長は部下に引かれて歩いていた。
錠に繋がれているロープを引く部下の顔は何とも申し訳なさそうにしているのに対し、憲兵団長の顔は至って平静とした様子だ。
しかし、決して彼女が異常なまでに冷静だと言う訳ではない。彼女は知っていた。こうなるであろう事を。
すると、執務室からいつまでも無言で歩き続けていることに耐えきれなくなったのか、ロープを引く男の憲兵が声を発した。
「すごく、冷静なんですね」
「いや、そうでもないぞ? 取り乱してこそいないが、あの無能さに少し苛立っている。それよりもお前の方がこんな事を任されていい迷惑なんじゃないか?」
「いえ、そんな事は……」
「ま、どちらでも良いが。
あーそうそう。牢はなるべく居心地の良いところを選んでくれよ? こんなジメッとした暗〜い場所で十日間も暮らさないといけないんだ。一応上司でもあるんだから、それくらいの融通は利かせてくれても良いだろう? 」
「まあ、善処します……」
そして、それを境に再びカチャリカチャリと金属の触れ合う音と冷たい床を叩く二人の足音が響き始めた。
無駄に広いな、と歩きながら憲兵団長は未だに自分の入る牢に到着できない事に辟易した。
(やれやれ。いくら憲兵団長だからと言っても時には失敗ぐらいするって事を分かって欲しいな、あの王様には。ま、失敗しないのが一番なのは分かるが、それだけで十日も牢に入らないといけないとは……)
大事な時期に体が鈍ってしまう、と嘆息する。
しばらく歩いていると、ロープを引いていた男の憲兵が立ち止まり言った。
「ここです」
視線の先には冷たい石畳の地面に藁を編み込んだだけで作られた簡素過ぎる寝具、そして、そこの奥にある小さな穴のような物が便所だろうか。
(はは。予想していたのより随分酷いな)
だがしかし、それでもわら周りの牢のように白骨や着込まれていた衣服などが放置されていないだけマシだろう。
はあ、と諦めたようなため息を吐いた憲兵団長は扉の前へ歩いて行った。
男の憲兵はそれに付随するように前へ出て、ズボンのポケットから鍵束を取り出すと扉の錠を外す。するとふと、男の憲兵は鍵を開けながら憲兵団長に向けて言った。
「居心地は悪いかもしれませんが、“先客がいらっしゃる”ので退屈はしないかと思いますよ」
「先客? 誰なんだ、そいつは?」
問いに男の憲兵は答えない。
だが、憲兵団長は特に気を悪くした風も無く開けられた扉の中へ入って行った。
扉が閉められ重苦しい鉄の音が響くと、次には何とも軽い音がして鍵が掛けられる。
「はあ〜」
本日二度目の重いため息を吐くと、憲兵団長はその場に座り込んだ。
「と、それより先客がいると言っていたな。誰かそこにいるのか? 」
思い出したように先の見えない闇に声を掛ける。
特別声を張った訳でもないが、その声は広い地下牢全体に響き渡って行く。
「…………? 」
だが、待てど暮らせどどこからも返答が来ない事に憲兵団長は思わず苦笑した。
(やはりな。生きている人間などここには私以外にはいなかった。物言わぬ骸と駄弁り込んで十日の暇を潰せとは、なかなかに面白い事を言うやつじゃないか。……戻ったら苛め倒してやる)
そして、憲兵団長は訪れた静寂に任せるように目を閉じた。
「ふわぁ〜あ……。あら、新しい人がいらしてたのね」
「誰だ」
突然牢の奥から響いて来た“少女”の物と思しき声に、眠りを享受し始めていた憲兵団長の頭を支配していた眠気はそれ以上の驚きによって彼方へと吹き飛ばされた。
思わず臨戦態勢に入る彼女をその気配で感じ取ったのか、その“少女”は宥めるような口調で言った。
「驚かせてしまって申し訳ありません。ええ。そんなに構えなくとも私はあなたのことを襲いませんし、そんな力も持っていません。
持っているとすれば、“少しばかり吸血鬼の血”とそれによって得た少女の身体と容姿だけ。
そのせいで、ここにいる事を余儀無くされたのですが」
「……? 」
何を言っている? そう、表情だけで言う憲兵団長に“少女”は「まあいいです」と言って話を続ける。
「前置きが長くなりましたね。ご機嫌麗しゅう、シュヴェルト=リッター=ブリッツ憲兵団長。私はプランセス=フローレ。本来なら既にこの国の統治者となっていた筈の人間です」