第22話《罠師》の仕込み
アウセッツ王国、王都中央。
ここは、王国の中でも有数の資産家が軒を連ねる、所謂高級住宅地と言われる区域だ。
ここに建つ豪邸の数々はどれを取っても感嘆の吐息が漏れる程の優美さを誇っており、他の区域と比較してみるとまるで別世界に来たかのような錯覚に襲われる。
そして、この区域のさらに中央。周囲の豪邸に囲まれるようにして聳え立つ建造物こそ、王国の発展と国力の象徴たる王城だ。
普段であれば、城へと続く道や城の内部には憲兵団の精鋭達が侵入者に常に目を光らせているが、今この時間帯だけは違っていた。
城の外を見回る兵だけでなく、城の内部の兵の数も少なくなっており、若干警備が手薄になっている。
見回りの兵士のローテーションだ。
そして、まさに今、この時を待っていたと言わんばかりに一人の人影が見張りの兵がいなくなった一瞬を狙って忍び込んだ。
八瀬だ。
城の敷地内に入った八瀬は、芝の敷いてある道を選んで移動し、城壁に張り付くと、城壁の一部を押してあらかじめ空けておいた小さな穴を露わにする。
(よし。こっからが勝負だな)
城内に侵入した八瀬は、これまで侵入してきた経験から今回の目的地への最短ルートを割り出し、急ぎ足で且つ足音を立てないようにその道を行く。
無論、この城の内部も他の例に洩れず大変入り組んだ構造になっている。しかし、これまで城に侵入することおよそ七回。
そのおかげか八瀬は既に城の内部をほぼ記憶しているため、一度も道に迷って立ち止まるということは無い。
もう慣れちまったなぁ、と八瀬は直線の通路を駆け抜けながら思う。
(元々持ち場に着いていた兵士が完全に詰所に戻り切るまで早くて十分。そして、次の兵士全員がそれぞれの持ち場に着くまでも約十分。
もう三分程経ってる。残りの約十七分で今日の仕事を終わらせるぞ)
八瀬は、一段飛ばしで一気に階段を駆け上がる。
目指すは四階。城の最上階にして、王の私室のある階層だ。
二階、三階と上がり、四階に到着した。
しかし、次の瞬間、八瀬は自らの心臓が停止したかと思う程の衝撃を受けることになる。
階段を上がり切った八瀬の目の前に、長い勤務時間から解放され、ようやく休息が取れると詰所に戻ろうとしていたであろう男の兵士が現れたのだ。
男の兵士も、まさか侵入者がいるとは思っていなかっただろうし、ましてや自分がバッタリ出くわしてしまうなどとは露ほども思っていなかったのだろう。
兵士も八瀬と同様、一瞬の出来事に度肝を抜かれていたが、自分の役目を思い出したのか仲間を呼ぶために踊り場から通路に出ようとする。
(まずい! 今ここで増援を呼ばれたら計画が台無しになっちまう! )
八瀬は、焦りの余り背を向けた兵士の襟を咄嗟に掴んで引き寄せ、首に腕を回して裸締めの要領で一気に締め上げる。
「ぐ、が、……、ぁ……」
気道と動脈を完全に塞がれた兵士は、初めこそ苦しそうに呻いていたが、ものの三秒程で落ちてしまった。
八瀬は、意識を失ってぐったりとしている兵士をそっと床に寝かせた。
(クソ! 想定外だぜ。いや、流石にこの階には何人か兵士がいると予想してはいたが、まさかバッタリ真正面から出くわしちまうとは思わなかった。
この段階で他の奴らにバレなかったのは良かったものの、この先はちと慎重に進むか、仕事を分けるかしねぇと危険だな)
八瀬は、兵士がまだ気を失っているか確認すると、曲がり角の陰から通路の様子を伺う。
(やっぱ、特別な部屋がある階だけあって警備が厳重だな。たぶん、普段ならこれにあと二、三人はいるだろう。ここはちと厳しいか……)
警備レベルを鑑みた八瀬は、この階に仕掛けるのは無理だと早急に判断すると、残り時間を別の階に回すことにした。
(あと約十五分。移動の時間を加味しても、これだけあれば一つの階層に手を加えるには充分だ)
そう考えた八瀬は、階段を降りて一階へと向かった。
「報告します。現在、例の人間がまたもや城内に侵入しているとの情報が入りました。団長、如何されますか? 」
「ふむ、そうか。攻撃の意図は見えるか? 」
「いえ、今すぐ何か事を起こそうという気は無いようです。ただ、何やら工作を施している模様です」
「なるほど。ならば今は泳がせておけ。ただし、ただ泳がせるだけではダメだぞ? 奴がいかな工作を施しているのか観察しろ」
城内、一階通路ーー。
(やれやれ。毎度思うが、ここの警備は一体どうなってんだ? こうも毎回侵入されるなんて、もしも本気なら憲兵団を再構成した方が良いと思うぜ。
気付いた上で泳がせてるって線もあるがな。まあどちらにせよ、作戦を実行するのは変わらんが)
八瀬は、廊下に配置されている花瓶の一つに近づくと、その場にしゃがんで、中から黒っぽい粉の入った小瓶を取り出した。
八瀬は、粉末が必要以上に振動しないように慎重に瓶を揺らして粉末が湿気ていないか確認する。
うっかり過剰に刺激を与えてしまって、お手製の爆弾が文字通り爆発してしまわないように、ゆっくりと慎重に揺らす。
(ふぅ、良かったぜ。ここは湿気てなかったか。とりあえずここはオーケー、と。次の場所に移るか)
時間は残り十分。仕事熱心な兵士ならば、そろそろ持ち場に着き始める時間だ。特にここは一階。全ての兵士が必ず通る場所だ。
(まだもう少し作業は出来そうだが、どうする? 今日のところは一旦退いて、ーーッ! )
身を翻して柱の陰に隠れる。
八瀬の耳が、通路の向こうから微かに聞こえてきた靴音を捉えたのだ。
それも、音は一つではない。およそ五、六人程の靴音が通路に響いて伝わってくる。
(クソ。よりにもよって一本道の廊下を歩いて来なくても良いだろうがっ。ええい、こうなったら一番古典的な方法で撒いてやる)
八瀬は柱と一体になるべく、柱に背をぴたりと付け、呼吸を止めて気配を殺す。
コツ、コツ、と冷たい靴音が段々と近付いて来る。
(頼む。どうかそのまま通り過ぎてくれ……! )
そして、その音の集団は、一度も途絶えること無くまた奥へと進んで行った。
「はぁぁぁ…………」
と、深い安堵の息を吐く。
ドクドクと今も高鳴る鼓動を感じながら、八瀬は自らの幸運と通り過ぎて行った兵士達に感謝した。
(やれやれ。一時はどうなるかと思ったが、とりあえず何とかなって良かったぜ。今のが良い例だし、今日のところはここで切り上げるとしますかね)
そうして、八瀬は早急に侵入口まで戻ると、そこから脱兎の如き走りで城外へと脱出した。
八瀬は、またもや自らの幸運に頭を垂れることとなった。