第19話 闇へと続く道
一方その頃、夏目達からはぐれた(ただし、まだ気付いていない)番野は路上市のある通りから少し外れた細い路地を歩いていた。
番野は先程まで香ばしい香りを漂わせていた焼鳥が刺さっていた串を指先で弄びながら、すでに胃袋の中にある焼鳥の味を思い出して口元を綻ばせた。
「いや〜美味かったな〜。それにしても、試食にしてはかなり立派なもんくれたよな、あの店。金が入ったら買いに行こうかな」
そんな事を言いながら、見知らぬ道をズンズン進んでいく番野。路地も、活気のある路上市から離れるにつれて、徐々に影が濃くなっていく。
すると、何かおかしいと思った番野は、その場で立ち止まり、ふと思い至った。
(そういや、夏目と美咲はどこ行ったんだ? )
二人からはぐれた事に気付き、慌てて周囲を見る番野。すると、番野の視界には道端に捨ててあるゴミの他に犬か何かの死骸のような物が転がっている様子が入り込んだ。
死んでからどれ程の時間が経過しているのだろうか。ハエがたかっているそれは、ところどころが白骨化し、凄まじい異臭を放っている。
「うっ!! 」
番野は咄嗟に袖で鼻と口を覆い、その空気を直接吸わないようにした。不衛生な環境下で発生する病原体を危惧しての行為だ。
「完璧とは言えないが、直接吸うよりかはマシか。恐らく、ああやって死骸が放置してあるって事は他にもまだあると考えていいな」
最早、元が何の動物だったのか分からない状態になっている死骸に向けて手を合わせる。
「どうか、化けて出ないでくれよ」
そして、再び前を向いた番野は、まだ昼頃だというのに薄暗い闇に浮かぶ路地を見た。
「さて、どうしようか。
ここから先の様子を想像してビビって戻るのもアリだが、ここはあえて冒険してみるのも良いよな……。
よし、奥に進もう。まだ《勇者》のまんまだし、いざとなったらなんとかなるだろ」
割と呆気なく決断を下したが、周囲には細心の注意を払って進む。突然何かに襲われたとしても瞬時に対応するためだ。
進むにつれ、闇はその色を濃くしていき、次第に不穏な空気も漂わせ始めた。
それに伴って、道が陥没やひび割れを起こしていたり、散乱している『物』の数も増えていく。
それはまだ然程時間の経っていない物から、既に全て白骨化している物、あるいはどこかが欠損している物まで様々だ。
番野は、そんな今まで見た事の無い異常な光景を目の当たりにしながら、一つ、それらとは全く種類の物を発見した。
「あれはーー、人か? 」
番野は、痛々しいまでに痩せ細った女性が倒れている場所まで駆けると、傍にしゃがんで生死の確認を行う。
口元に近付けた手に掛かる、今にも消え入りそうな程弱々しい息がこの女性がまだ生きている事を証明していた。
「病院に連れて行かないと……! 」
「ぁ、ぁぁ……」
すると、体を抱え上げようとした番野の腕を女性が突然、とてつもない力でガシリと掴んだ。
「なっ!? 」
番野は、少し叩いただけでも折れてしまいそうな程細い腕のどこにこんな力があるのかという疑問以上に、顔を上げた女性の瞳に思わず戦慄した。
一体何日物を食べていないのか、瞳には光が無く、焦点も定まっていない。
一片の生気も感じられないその瞳だが、その眼光は人間のそれではなく、飢えに飢えた獣のようだ。口から覗く歯も、獲物を噛み砕く肉食獣の犬歯のように見える。
女性は、乾燥した唇を小刻みに震えさせながら掠れたか細い声で言った。
「た、すけて。助けて、くだ、さい。お願い、です。家族、を……」
女性が言った直後、パンパンという二回の乾いた破裂音と共に数人の幼い悲鳴がどこからか響いた。
「ああぁぁぁああああ!! 」
すると、それを聞いた女性は、途端に起き上がって闇の中へと走っていった。
パン、という音と短い悲鳴を番野が聞いたのは、このすぐ後だった。
それから、ようやくその音が銃声だと気付いた番野は、剣を抜いて先程女性が向かった方向へ走った。
「ーーッ」
そして番野は、たった今目の前に広がっている光景に言葉を失った。
壁や地面に、所狭しと並べられた赤黒い塊。それら全てが、まだ年端も行かない子供、自分と同い年くらいの少年少女、大人や老人の変わり果てた姿だと理解するのに番野は数十秒を要した。
「うぅっ」
そう理解した番野を猛烈な吐き気が襲う。
番野は死体の無い場所までよろよろと歩くと、腹からせり上がって来た物を吐き出した。
そして、口を拭い、改めて目の前の惨状に目を向けた。
それら全ては何者かに撃たれてからほとんど時間は経っていない。未だに固まっていないおびただしい量の血液がそれを物語っている。
(なんだ、これは……!? こんな数の人間を、一体誰が? )
よく見ると、先程の女性も同様に倒れていた。弾痕は背中に二つあり、女性は何かに覆い被さっている。女性の体の下には、まだ十歳に至っていないであろう少女と少年がいた。
「た、すけて。助けて、くだ、さい。お願い、です。家族、を……」
その様子を見た番野の頭に、その女性がまるで神にでもすがるような声で言った言葉が蘇った。
誰がこんな事をしたのか分からない。
何故こんな事をしたのか分からない。
ここに倒れている人達がどういう人間だったのかも分からない。
この人達が何をしたのかも分からない。
たまたまこの場に居合わせただけのただの『異世界人』である番野には何も分からない。
だが、番野は気付いていなかった。自分の手が剣の柄へと伸びていた事に。
カチャリと柄に手が触れたその時。先の方から男の話声と足音が聞こえて、番野は咄嗟に壁にもたれ掛かっている死体の横に移動すると、体の力を抜いて座り込んだ。
「いや〜、久し振りにここに来てみましたが、こいつらまた数が増えてましたね〜」
「ああそうだな。だが、お陰で日頃のストレスが発散できたから、ある意味こいつらには感謝してる」
「うっわ、悪いですね〜。ほんと、“王国の憲兵団副団長様”のお言葉とはとても思えません」
(何? 今、なんて……? )
「それはお前もだろう、“王国の憲兵団員”さん? “消毒”した数だけで言えば、お前の方が私より多いい」
「数はそうかもしれないですけど、やり方とか標的とかは副団長の方が断然趣味悪いです」
「ハッ。ここにいる子供連中は優先的に食料なんかを貰ってるからな、活きが良いんだよ。逃げ回るのを仕留めるのは楽しい」
「いやはや、とんでもない副団長様ですね」
それ以降も、その二人の男は同じ様な事を話し合いながら歩いて行った。
(ああ、そうか。そういう事か、八瀬。お前達の気持ちが少しだけでも分かった気がするぜ……)
二人が行ったのを確認して、番野はあの女性の元へ向かい、「すまなかった」と一言言ってこの惨劇を後にした。