第131話 最終決戦、幕よ開け
番野は、ソーサレアの呪法に操られている美咲を救うという最終目標を前にして思い悩んでいた。彼の名誉のために述べておくと、間違えても決心が揺らいだ訳ではない。すべての原因は、アルゼレイが伝えた作戦の内容にあった。
『キッス……。キッスだよ……。そう、毒林檎で眠らされたヒロインを目覚めさせるのは、いつだって主人公のキスと相場が決まっている』
アルゼレイは、大仕事を前にした番野に対してそんな作戦を、まるでメロドラマで俳優がヒロインを口説くときのような官能的で悦に入った声で伝えたのだ。
(冗談じゃねえ……。よりにもよってそんな方法で解除しなけりゃいけないのか? そもそも、キスじゃないとダメなのか? いや、別に美咲のキスできるから緊張してる訳じゃねえし……)
キス以外の方法を聞こうにも、当の彼は「じゃ、僕はやることがあるから」とだけ言ってさっさと影に潜って消えてしまった。つまり、番野が切ることのできるカードは『キス』しか残されていない。後には引けない。思うところはあろうと、やらなければならないのだ。
(そうしないと。俺が絶対に美咲をここで止めねえと、美咲はきっと殺される。そのために、たとえ美咲と本当にき、キスをすることになっても!)
キスをすると意識すればするほど、悶々とした気持ちが胸中を覆っていく。そのような心持で戦闘に臨んではいけないと分かっていながらも、番野は感情を制御できないでいた。彼の年頃を考慮すればそれは仕方ないことではあるのだが、にやけはもう少し抑えた方がいいのではないだろうか。
〇 〇 〇
一方、アルゼレイが番野に作戦を伝達する間に美咲を抑えていたシュヴェルトは、徐々に彼女の猛攻に押され始めていた。いくら『雷の戦乙女』状態になったシュヴェルトといえども、蓄積した疲労までは御しきれなかった。
「くっ……!」
もしも相手が普通の敵であったならば、疲労が限界に達することを危惧して短期決戦に持ち込んでいただろう。しかし、今はそれができず、そのうえ自分から攻撃することもできない。今は『雷の戦乙女』の電気でほとんど強制的に筋肉を動作させているためになんとか美咲の連撃についていけているが、通常の状態であったならばとうに勝負は決していただろう。
(まったく、まるで容赦がないな……! それに、防御しかできないことがここまで困難なことだったとは……!)
さらに付け加えるならば、運が悪かったのはシュヴェルトが得意とするスタイルには相手の力を受け流すいなしが無いため、美咲の攻撃をすべて受け止めるか、同じかそれ以上の力を以て弾き返すことしかできない。また、剣の形状的特性として掛かる力を受け流すことに向いていないことも重なってスタミナの消耗が激しいのだ。
対する美咲は、叩き斬ることに特化した剣の特徴を存分に活かすことができる。ソーサレアに呪法を打ち込まれる以前も、彼女は息をつかせぬ連撃を基に自分のペースに相手を落とし込む戦法を得意としていた。今は、それが万全に発揮できてしまっていた。
切れ間の無い連撃。シュヴェルトの体に刻まれる傷は、十合に一つ、七合に一つ、五合に一つと増えていく。
「ぐっ! クソ……」
ぽろりと、シュヴェルトの口から弱音が零れた。
そのとき、斬撃吹き荒れる間合いに飛び込んだ風が一つ。
「ッ――」
その風は、疲労しているとはいえ『雷の戦乙女』となったシュヴェルトでさえ止めるのに手を焼いた美咲の連撃を止めて見せた。
「弱音なんて似合いませんぜ、姐さん!」
「ヤングか……!」
「はい、そうですと、もおッッ!!」
美咲の剣撃を止めたヤングは、双剣で挟んだ剣を横に投げるように流した。
それによって大きく態勢を崩された美咲は、受け身を取って素早く態勢を立て直す。しかし、すぐには反撃せずに想定外の乱入者を警戒してか一度距離を取った。
美咲の行動を見て、シュヴェルトは苦い表情を浮かべる。
「ふんっ……。操られているにしては、いやに理性的な判断をするではないか」
恐らく、実力者二人を相手にすることを危険と判断しての行動なのだろう。呪法によって意識を取り除かれていても、判断力は衰えていないようだ。
距離は一時的に開いたものの、二人が緊張を切らせることはない。視線は美咲から外さず、睨み合いを続けながら、ヤングはシュヴェルトに問いかける。
「姐さん、彼女が……」
「そうだ。何かしらの方法で操られているようだ。だが、くれぐれも傷付けることのないようにな」
「それ、どういうことですか」
「さあな。ただ、傷物にすれば最悪の場合、ツガノに殺されるとだけ言っておこう」
「……なるほど、そういうことですか。でもそれって、けっこう難しいと思いますよ。彼女、めちゃくちゃに強いですし」
「そんなことは分かっているさ。だが、それをなんとかしてみせるのが私達の仕事だ。オマエも分かって助太刀に入ったのだろう?」
「その聞き方、選択肢一つしかないやつじゃないですか! でも、まあいいですよ。そういうことにしておきます」
そう言ったヤングの表情には余裕が無い。笑みこそ浮かべているが、引きつったような無理矢理なものだ。それも、先程の美咲とのやり取りがそうさせているのだろう。
「それで、姐さん。作戦はどうするんです? たぶんオレたち二人がかりでかかっても抑えるの難しいですよ」
「だろうな。だったら、もう一人にも参加してもらうとしよう。すぅぅ……」
〇 〇 〇
『ツガノーーーー!!』
「うおッ……!?」
突如として聞こえた、森中の空気が震えたのではないかと錯覚するほどの大声。それが自身の名前を呼んだものだったため、番野はビクリと肩を強張らせた。
(呼ばれた、か。……なら、さすがに覚悟決めなくちゃな)
番野自身の見立てでも、今の美咲を止め切るには最低でも三人は必要だろうという推測となっていた。
向こうではその推測通りの展開となっていることを、番野は確信した。
(そうだよ。美咲をキスをするって考えるから良くないんだ! これは、美咲を救うために必要なことだ。だから、やましいことなんてありはしない! そうだ、これは言うなれば医療行為みたいなもんだからな!)
人を助けるために口づけをする点で、非常時の人工呼吸となんの違いがあろうか。番野護は、そう自分に言い聞かせながら、戦場に帰還する。
番野は納めていた刀を抜き、互いに睨み合う二人と一人のもとへ歩みを進めた。未だ拮抗した様子の二人の背に、声をかける。
「二人とも、ごめん。待たせた」
言って、横に並び立った番野にシュヴェルトは困ったような笑みを見せた。
「ふん。随分と遅い決断だったではないか」
「そうだぜ、番野よ……! 危うく二人していじめられるところだったんだぜ?」
ヤングの放った冗談に、番野は「さすがに盛り過ぎだろ」と思いながらも、喉まで出かかった正論をぐっと飲みこんだ。
「いや、たしかにそうだな。覚悟ひとつ決めるのに、時間をかけ過ぎちまった」
「お、おう。なんだ、やけに素直じゃねーか」
「そういうこともあるさ」
思わぬ肩すかしを喰らったヤングに短く言った番野は、視線を美咲に移す。
「――――」
美咲の状態は、一つの負傷も無く、息切れも無し。それに対する三人は、各々が大小の負傷をいくつも負っており、呼吸も荒い。
「だが、これで対等だ……!」
負傷しているとはいえ、同盟を代表する戦力が三人集まってようやく対等。シュヴェルトが誇示するように言った言葉を聞いてか、心なしか美咲の雰囲気もより引き締まったように思える。
いよいよ、本番。
「二人は、美咲の動きを一瞬でもいい。止めてくれ。その間に、俺が終わらせる」
「了解だ……」
「わかった!」
ここからが、最終局面にして運命の分水嶺だ。
「さあ、いくぞッ!!」
最終決戦、幕よ開け。