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俺が《フリーター》で彼女は《勇者》で。  作者: 鷹津翔
第七章 リュミエール皇国
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第130話『呪法』

 美咲の剣が、衣服に食い込んだ。そしてそれらを容易に切り裂き、剣は番野の皮膚へ到達する。


「ッッ……!!」


 美咲は、力強く剣を横に一閃した。


「……?」


 ところが、あまりにも味気ない手応えに首を傾げた。人体を――肉と骨を切り裂いたにしては、まるで素振りとほとんど変わらない感触であった。


「っぶねぇ~……」

「っ」


 背後から聞こえてきた声に、美咲は一瞬驚きを見せた。しかし、標的の生存から、先程の手応えの理由を理解した。簡単なことだ。切れていないのだから、手応えが無かっただけ。

 対する番野は、腹部にうっすらと付いた傷を指でなぞりながら、額に脂汗を浮かべていた。

 間一髪だった。美咲の振るった剣が皮膚を切り裂く寸前、番野は自身の腹部に『穴』を展開させ、剣を回避したのだ。


(やっべぇ……。ぶっつけ本番で今まで試そうなんて思ったこともなかったが、案外イケるもんだな……)


 初めての試みが成功したことで、番野の表情には自信が戻っていた。剣を握り直し、一時的に昂った呼吸を正常に整える。


(ま、もう二度とやりたくねぇけど……)


 番野は内心で泣き言を漏らし、口の端を引きつらせた。顔には幾筋も汗が流れた跡があり、心拍も未だ落ち着いていない。

 シュヴェルトと夏目が魔法に詳しい人物を呼びに行ってから三分ほどが経過した。この間、美咲を傷付ける訳にいかず、彼女の攻撃を捌き続けていた番野の集中力は限界に近付いていた。ただでさえ、相手の攻撃を捌き続けるのには多大な集中力が必要なのだ。それが美咲ほどの実力者ともなれば、集中力が削られるスピードは尋常ではない。もう、先程のような繊細な作業に回せるだけの余裕は残っていないだろう。


「アアッ!!」

「くそっ……」


 しかし、今の美咲にはそのようなことは関係ない。番野を殺せばよい彼女にとっては、むしろ都合が良いのだ。

 的確に急所を狙った、無駄のない攻撃。振り向きざまの、回転を使った首への攻撃だ。番野はそれを目視で視認し、体を反って回避した。けれども、薄皮一枚。裂かれた傷口に血が滲む。


(くそ! いつまでかかる!? いくらなんでも、このままじゃ俺もそう長くは持たないぞ!)


 動きも鈍ってきている。初めは回避しきれていたはずの攻撃も、今では掠るようになっている。美咲の剣が番野の肉体を完全に捉えるのも時間の問題だ。


「シッ--」


 続く、顔面狙いの突き。番野はそれになんとか反応し、刀を立てて軌道を逸らそうと試みる。


「く、ぅおっ――」


 しかし、ミートの瞬間、番野の刀が突きの威力に押される。軌道を逸らしきれず、剣先が頬を浅く抉った。


「っつ……!!」


 痛みに顔を歪めながら、番野は刀をもう一度立てる。突きの威力に、疲労した腕がガクガクと震えている。


「う、ぁぁあああ!!」


 軸を曲げられ、態勢を崩されながらも、足腰を回転させて突きをいなした。

 美咲は、突きの勢いと番野の体の回転によって後方に押し出される。そこに生じる多少の隙。番野にとっては、ここで一度距離を取って呼吸を整えられなければ非常に危険な状況となってしまう。


「う、そだろ!!?」


 ところが、美咲は二歩目のよろめきを、地面が少し凹んでしまうほどに強い踏み込みにすることで強引に止めたのだ。次の行動は、酸欠気味の番野の頭でも容易に想像できた。


(振り返ってからの、即座の切り返し……!!)


 わかってはいる。それでも、それを確実に捌けるかというと、別の話だ。


(……やるしかねえ!!)


 番野は、刀を地面に突き刺した。狙うは、組み付きによる制圧。これ以上、美咲の攻撃を受け続けることは不可能だと判断した彼の苦肉の策だった。


(だが、勝算はある。前、美咲と訓練で試合をしたときにも組手に持ち込んで勝てたように、美咲には組手の経験が無い! 最悪切られるだろうが、致命傷を避けて、組み付けさえすればコッチのもんだ!)


 美咲が振り返る。左足を軸にして、時計回りに。


(想定通り!)


 そうして振り返ることを番野はあらかじめ予想していた。横薙ぎの攻撃を警戒して、身を低くして突っ込んでいく。そして、そのままタックルを決めて地面に倒し、シュヴェルトと夏目が戻るまで抑え込んでおけばそれでいい。番野の勝ちだ。


「--かっ」


 そのとき、番野は突然膝から崩れ落ちるようにして、転倒した。


(なにが……)


 何が起こったかわからないまま、番野は自身が地面に倒れたことを自覚した。

 脳が揺れているような感覚。視界がぐらりぐらりと振れて、焦点が定まらない。体に思うように力が入らない。顎から、僅かにジンジンと響くような痛みがあった。


「まさ、か」


 鞘だった。番野が組み付く刹那、彼の顎を美咲の剣の鞘が的確に一閃したのだ。態勢を低くし、目線がかなり下にあった番野には、ちょうど彼女が鞘を振るうのが見えなかったのだ。タイミング、場所、威力。何れもが完璧な一撃だった。


(意識無くされて操られてるにしちゃあ、よく動くじゃねえか……)


 体を起こそうと手に力を入れようとしたが、まるで番野の物ではないかのように手は彼の意思を受け付けない。それにしても、脳を揺らされて意識が飛んでいなかったのは幸か不幸か。なんとか首を動かして正面を見ると、すぐ目の前には美咲の足があった。


(これ、さすがにやばい……!)


 番野の視点からは、見えて美咲の足先がやっとだ。それでも、自身に刃が突きつけられていることは直感で感じ取っていた。逃げ出さなければと、もがく。足掻く。しかし、手も足もロクに動かせないせいで凶刃の射程からはちっとも逃れられない。


「ぐぅっ」


 ゾッッ、と、ひと際凄まじい寒気が番野を襲った。感じたのは、あまりにも濃厚な殺意。それは、美咲がこのような状態になってから、初めて番野に向けた感情だった。


(冗談じゃねえ。笑顔どころか、最後に向けられたのが殺意だなんて最悪なんてもんじゃねえ!)


 未だに身体の感覚は回復しない。そのため、僅かに身をよじることしかできない。こんなことならば、いっそのこと意識が無いまま一思いに殺してほしかったと、番野は内心で嘆いた。

 頭上で、何かが動く気配を感じた。美咲が、剣先の狙いを番野の首に定めたのだ。


(死ん――)


 直後、そこに生まれた音。


「させはしない」


 肉が裂かれ、骨を砕く音でも、断末魔でもない。確固たる信念と、同時に諭すような口調の声だった。


「君に、彼を殺させはしない!」


 すでにその身に雷光を纏ったシュヴェルトが、美咲の剣を素手で受け止めていた。無論、刃を直接握っている手からは血が滴っている。当の本人は涼しい顔で、まるで痛みを感じていないかにも思えるほどだ。

 自身の唯一の武器を掴まれた美咲は、無言ながらもシュヴェルトの手を剣から離そうと抵抗する。が、電気による肉体強化を行ったシュヴェルトには力では劣るようで、剣はビクともしていない。


「シュヴェル、ト……」

「すまない、遅くなった。彼女の状態に詳しい人物を連れてきたから、後方で話を聞くといい。その間は、私が彼女を抑えておく」

「い、や。みさき、は」

「心得た!」


 シュヴェルトはそう言い、掴んだ剣を美咲ごと強引に放り投げた。

 美咲はシュヴェルトの腕力に為す術なく後方に投げられるが、空中で姿勢を整えて着地態勢を取る。しかし、そこに金色の雷が肉薄した。着地の瞬間を狙った、シュヴェルトの突進だった。


「おやおや、酷いやられようだねぇ」


 まるで、シュヴェルトと美咲が離れたのを見計らったようなタイミングで、その場にもう一人分の人影が現れた。その人影は徐々に色付いて、アルゼレイの姿を表した。


「アルゼレイ、か……」

「ぴんぽーん! 夏目ちゃんと元憲兵隊長殿に頼まれてね。それに、君に死なれると困るしね」

「……?」


 番野は、アルゼレイの言葉に疑問符を漏らした。が、それはアルゼレイには届いていなかったようで、答えは何も返さなかった。

 アルゼレイは番野の傍らにしゃがむと、番野の背中に手を置いて何ごとかを彼には聞き取れないほどの早口で唱えた。次の瞬間、番野の体を森林のようなあたたかい淡い緑色の光が包んだ。


「は、ぁ……!」


 その光に包まれて数秒すると、番野の体にあった傷がみるみるうちに消えていく。傷が塞がっていくというよりかは、傷を消しているような。傷口の端から砂のようなものが生じながら、傷が消されていく。それは治療ではなく、結果の上書きだ。受傷したという結果を、無かったことにしているのだ。


「痛いだろうね。受けた傷の痛みをもう一度味わっているんだから、無理もない。けれど、これを乗り越えれば、君の受けた傷は無かったことになる」

「く、ぁが……!!」

「我慢するんだ。意識を手放してしまえば、呪法は完成しない。意識をしっかり持つんだ」

「ぐぅ、があああああ!!」


 今回行ってきた戦闘で負った傷の痛みの全てが、極短時間のうちに襲い掛かってくる。その苛烈に過ぎる苦痛に、番野はその場でのたうち回る。


「もう少しだ」


 絶えず苦悶と悲鳴を口にする番野に、アルゼレイがそう声を掛ける。声色は半ば挑発的であり、表情からは楽しんでいるような、そんな感情が見て取れる。

 それから十秒ほどが経過して、番野を包み込んでいた光は空気に溶けるようにして消えた。それに伴って、番野を苛んでいた痛みも無くなったようで、今ではあれだけもがいていた様子が嘘のような落ち着きを見せている。


「終わったよ」


 アルゼレイは、地面に倒れたまま動かない番野に言った。しかしながら、番野に反応は無い。


「やれやれ」


 アルゼレイは、仕方ないといったように首を振り、番野の鳩尾を軽く押した。


「--かはぁッ!?」


 それによって、肺に残っていた空気のすべてを吐き出させられた番野は、鳩尾を押されたショックも相まって息を吹き返した。


「痛みのショックで気絶してたようだね。ま、呪法が完成した後だったから良かったけど」

「かはっ、ごほっ、ごほっ……! ありがとう、アルゼレイ――ごほっ!」

「まあまあ、構わないよ。まずは呼吸を整えるといい」

「あ、ああ」


 アルゼレイに言われて、番野は大きく深呼吸を始める。その間に手を二、三度握る。


「うん」


 実際に握りこんだ手から伝わってきた確かな力に、番野は一度、大きく頷いた。

 その様子を見て、アルゼレイはニヤニヤと思わせぶりな笑顔を向けながら声を掛けた。


「どうだい?」

「まるでダメージと疲れを感じない。朝起きたばっかりみたいだ」

「そうだろうね。あの呪法は、対象者にもう一度傷の痛みを味わってもらう代わりにすべての傷と疲労を無かったことにする呪法だよ」

「アルゼレイ。その、じゅほうってのは、なんなんだ?」

「うん。これから向き合わなければならない力に、あらかじめ触れておいた方が良いだろうと思ってね。その方がサワリだけしか説明できなくても性質なんかを理解し易いだろう? ま、事実として僕らには時間が無いし、サワリしか説明しないんだけどね」

「わかった」


 番野が答えると、アルゼレイは「よし」と確認をして語り始めた。


「まず、この呪法というのは出自を東方に持つ魔法形式なんだ。僕らがよく目にする魔法は西方式と呼べる形式になる。まず西方式は、魔力を代償にして超常の現象を引き起こすことができる。けれど、使うには魔力が必要になるから誰でも習得できる訳じゃない。次に東方式だ。東方式は、行使者か対象者の何かを代償にして、特に人間に対して格別な効力を発揮する魔法形式だ。例えば、恨めしい人間を模した人形を作って、それに恨めしい人間の髪なんかを入れて、完成したものに釘を打ったりだとかね。そして、東方式の場合は西方式と違って方法さえ知っていれば誰でも使うことができる。ここまではいいかな?」

「ああ。つまり、東方式ってのは、お百度参りとかそんなのと同じようなものだって考えればいいんだよな」

「お百度参り……。僕は聞いたことがないけど、君が今思い浮かべているもので間違いはないと思うよ。そして、東方式の特徴としては、西方式の魔法では干渉ができないというものがある。例えば、西方式でいう『解呪(ディスペル)』では無効化ができないんだ。方式がそもそも異なるからね。けどその反面、誰にでも使えるために無効化も誰にでも手軽に行えるという弱点があるんだ。さっき僕が君に使っていたものだと、君が途中で気絶して痛みを感じなくなってしまっていたら失敗していた。あれは、対象者の苦痛を代償としている呪法だからね。苦痛を感じなくなってしまった時点で失敗なのさ」

「そ、そうだったのか」

「そう。だから、あと一瞬でも気絶するのが早かったら失敗して、再挑戦になっていたんだよ」


 そう嘯くアルゼレイの表情は、なんともサディスティックなものであった。「そうなっていたら、それはそれで面白かったのに」、とでも言いたげにも見える。

 番野は、彼のその表情に寒気を覚えながらも会話を進める。


「ま、まあそれで、その呪法と美咲の状態となんの関係があるんだ?」

「つまり、美咲ちゃんに仕込まれているのも呪法の一種だということだよ。それも、とびきり強力なのがね。まったく、専門家の仕業かと疑うほどだよ。《英雄》お抱えの魔女は、どうやらかなり東方式の研究をしていたようだね」

「ソーサレアの仕業か……!」


 魔女――ソーサレア=マナチャイルドのことを聞いて、番野の眉間に力が入る。思い出したのは、屈辱の記憶だ。あと一歩で美咲に届いた手を、彼女には寸前で叩き落とされた。そのときの痛みが蘇るように、体がむず痒くなった。

 そんな番野の様子を横から見ていたアルゼレイは、彼を窘める。


「そうだ。けれど、君も感じたかもしれないけど、彼女は現憲兵団長の手で打倒された。今気にするべきは、そこじゃないはずだ」

「アルゼレイ……」

「目を向けるべきものを間違えてはいけないよ。間違えた途端に、意思はブレて、弱くなってしまうからね」

「そう、だな。確かにそうだ。今は、美咲を救うのが最優先だ」

「整理はできたかい?」

「できた。ありがとう。また助けられたな」

「気にすることはないさ。これは君が君自身に課した任務であり、同時に()()()()()()()()()()。僕は、そのちょっとしたサポートをしただけさ」


 そう言って、先程のサディスティックな笑みとは異なるにこやかな笑顔を浮かべるアルゼレイ。その変わりようは、まるで仮面を着け変えたかのようだ。それも、彼が真祖として過ごしてきた永い時の経験の賜物か。

 彼は、その笑顔を少し和らげて番野に言う。


「それで、君には美咲ちゃんに掛けられた呪法を解くためにやってもらいたいことがある。もちろん、拒否権は無い」

「望むところだ!」


 番野の大きな頷きを伴った返事に、アルゼレイは満足そうに頷きを返した。 


「良い返事だ。それじゃあ君にやってもらいたいことを伝えるけど、さっきも言った通り拒否はできないからね」

「お、おう。わかってるよ」


 アルゼレイの妙な念押しに、さすがの番野も肩に力が入る。そんな彼の緊張をほぐそうとしてか、アルゼレイは彼の肩に手を回して耳打ちをする。


「な、なんだよ」

「やってもらいたいことっていうのがね……」


 そうして、アルゼレイは番野にやるべきことを伝えた。楽しそうに、楽しんでいるように、友達と悪企みをしている子供のような表情で。


「--ば、ばっかじゃねえのおおお!?」


 聞かされたその()()に、番野は自身が居る場所が緊迫した戦場だということも構わず大声でツッコんでしまったのだった。

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