第126話『明かされることはない』
(ピンチになればなるほど、強くなるってのかよ……!)
番野は、《英雄》の言った言葉を自身の中で反芻した。彼の言葉を聞いただけでは、その能力を理解することができなかったからだ。
その言葉を聞いて、先程目の前で起こった出来事を照らし合わせて初めて理解に至った。
(何言ってるかわからなかったが、なるほど理解できた。一体どんな魔法を使ったのかと思ったが、単に腕を落とされてピンチになった分だけコイツが強くなったってことだろ)
そして、それはある事実を明らかにした。
(つまり、コイツはダメージを受ける度に強くなる。まったく厄介ってレベルじゃねえぞ……!)
そう。その事実は、戦闘が長引けばそれだけ自身が不利になることを意味していた。長期戦になれば、いずれ番野でも手がつけられなくなるだろう。
そうなれば最後。美咲を救うという目的も果たせなくなる。
一撃で《英雄》を墜とす。自然と番野に残された道は、そんな無理難題だった。
(それを遂げるには不意打ちが一番やり易いんだがな。さっきので、コイツはもうこれ以降あんな隙は見せないだろう)
ピンチだな、と番野は思った。
「ハッ――」
しかし、番野の表情に現れたのは笑みだった。自信に満ちた、挑戦的な笑みだった。
「熟考は済んだか?」
それが答えを求めた質問でないことは、《英雄》がその身を以って証明した。言い終えた直後、番野に斬りかかった。
「シュ――」
番野は、不意打ちに近いその一撃にしっかりと反応した。もはや目視できない《英雄》の剣の軌道に自身の剣を合わせ、その攻撃を相殺した。
○ ○ ○
―リュミエール皇城。一階・大広間―
そこでは、八瀬とソーサレアの戦闘が繰り広げられていた。
「『フロスト・スピア』! 行きなさい!」
「甘いぜ、そのコースは!」
ソーサレアが撃ち出した氷の槍を、八瀬が短剣で受ける。八瀬の振るう短剣は威力、速度共に申し分なく、氷の槍三本を打ち落とした。その技術を目にして、ソーサレアが笑った。
「あら、意外とやるのね」
「まだまだこんなもんじゃねえさ。剣は、ウチの斬り込み隊長にみっちり仕込まれたからなあ!」
短剣を構え直し、八瀬は前に飛び出した。
(速いっ!!)
その動きを見て、ソーサレアは慌てて魔力障壁の準備に入る。
そのとき八瀬は、何を思ったか正面に構えていた短剣を後ろ手に回した。
(甘いわね。一撃で障壁を破ろうって魂胆でしょうけれど、その動きは、私に展開の隙を与えるだけよ!)
焦っていたソーサレアの顔に笑みが浮かぶ。
「おおおおお!」
八瀬が気合とともに短剣を打ち込む。体幹のバネをフルで使い、殴るように突き出した。八瀬の手に硬い感触が伝わる。人体は貫いていない。短剣は、空中で透き通った紫色の壁に阻まれて止まっていた。
いや、完全には止められていない。障壁には、短剣の切っ先を中心にヒビが生じていた。ソーサレアは、八瀬の攻撃をギリギリのところで防いだ。
「悪手だったわね、坊や! あのまま直接攻撃していれば、障壁の展開に間に合ったかもしれないのに!」
ソーサレアが嗤う。八瀬の愚を。自分を傷つけることができたかもしれないチャンスを逃した八瀬を。
「いいや、まだだぜ」
八瀬が嗤った。
「――ッ」
否。まだ、チャンスは逃していなかった。
そう言うと、八瀬は短剣から手を離した。障壁に突き刺さった短剣は、八瀬の手を離れても空中に留まる。
八瀬は、そこからさらに身体を捻った。
「なにを」
その動作に、ソーサレアが不可解そうな声を上げる。
分かる筈は無いだろう。八瀬のその行動が、自分自身の性質を利用した物であることなど。
八瀬が左足で地面を蹴り、自身の体を宙に浮かせる。それは、攻撃の予備動作。
(まさか!)
ここまできて、ようやくソーサレアは八瀬が何をしようとしているかを理解した。しかし、もはや手遅れ。
「せああああっ!!」
八瀬は、障壁に刺さったままの短剣に回し蹴りを放った。しっかりと狙いが定められ、万全の予備動作を以て放たれた蹴りは、的確に短剣の柄頭に命中した。
そして、渾身の蹴りを受けた短剣は、障壁のヒビをさらに広げて――
「な、あっ――!」
完全に粉砕した。
障壁を破壊した短剣は、ソーサレアの胸に飛ぶ。
「く、あっ……」
ソーサレアは、胸への命中は間一髪のところで避けたものの、肩口を切り裂かれて小さく呻いた。
八瀬は、ソーサレアが痛みに目を瞑った一瞬を見逃さない。着地すると、すぐさま追撃に出た。あらかじめ短剣に仕込んでおいたワイヤーを指で引いて短剣を止め、彼女の背後に回って掴み取る。
「決める!!」
「させない……!!」
八瀬が攻撃に移ろうとしたところで、ソーサレアが背後に土の壁を隆起させて妨害する。完全に攻撃のタイミングを外されたように思われたが、八瀬はそれに対応してみせる。床が隆起を始めた瞬間、片足を壁の縁に置いて妨害を乗り越えた。
「決めてみせる!!」
八瀬は壁から飛び、ソーサレアの頭上から急襲をかける。
「なにっ!?」
しかし、八瀬の手に伝わってきたのは、またしても硬い感触。ソーサレアがすんでのところで頭上からの八瀬の攻撃を障壁で防いだのだ。
「『スペース・ロック』」
「……!」
ぽつりとソーサレアが呟いた。その瞬間、八瀬の動きが停止する。体の動きだけでなく、着ている衣服までもがその動きを止めた。
「よくも、やってくれたわね……」
恨みの念が込められた言葉が、八瀬の真下にいるソーサレアの口から発せられた。八瀬の短剣が掠った彼女の肩口からは、今も途切れず血が流れ出ている。
「よくも……よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもっっ!!」
奈落の底から湧き上がった恨みは、ソーサレアの口から滝のように溢れ出す。
身体の自由を封じられたままだが、八瀬は身の危険を感じた。
ソーサレアは肩の傷に手を当てた。僅かな切り傷ながらもそこから流れ出る血は、たった一瞬の接触でも彼女の手をべっとりと赤に染めた。
「私は決めている……」
真っ赤に染まった自身の手を見つめながら、ソーサレアは言う。
「私の身体を傷つけた人間は、すべからく消すと!!」
そう言ってソーサレアは振り向き、八瀬に向かって手をかざした。
八瀬にはわかった。それが、魔法発動の動作であると。
「『トレーヴァス――」
それは、魔法の属性を意味する詠唱。しかし同時に、八本もの闇を湛えた剣がソーサレアの周囲に出現した。その八本の剣は、すべて主人の敵に狙いを定める。
「エスパーダ』!!」
それは、魔法の核を表す詠唱であり、魔法の発動を意味する。ソーサレアが詠唱を終えた瞬間、八本の剣が同時に八瀬に向かって射出された。
「ッッ……!!」
恐らくは、そのときソーサレアが八瀬だけに魔力を割いていれば、勝負は決していただろう。
剣が八瀬を貫く寸前、彼を繋ぎ止めていたソーサレアの『スペース・ロック』が解除された。
「ッ……、間に合え!!」
身体が自由になった瞬間、八瀬は早急に向かってくる剣に合わせて『穴』を展開する。
(同時に複数展開すんのは慣れてねえが、やるしかねえ!!)
しかし、全てを防ぎきることはできなかった。二本の剣が八瀬の腹と右胸に突き刺さった。
「ぐ、あがぁッ……!!」
攻撃を受けてバランスを崩した八瀬は、無様に床に転がる。それとともに、役目を終えた剣は魔力の粒子となって空気に消えた。
「さ、て……」
足元でうずくまる八瀬にソーサレアは冷酷な眼差しを向けた。
「とっ!」
そして、足を振り上げたかと思うと靴のヒールで八瀬の脇腹を蹴りつけ、捻じ込むように執拗に捻る。
「ぐ、ああぁあぁぁあああ……!」
「あは、あはははははははっっ!!」
ヒールで蹴られた衝撃が腹部の傷に響いて激痛を生み出し、八瀬は絶叫した。ソーサレアはその様子を嬉々として見つめ、狂気的な笑い声を上げる。それだけに止まらず、彼女は身体を傷付けられた憂さを晴らすように何度も何度も八瀬の腹を蹴る。その度に八瀬は叫び声を上げ、痛みに身を震わせる。
「ほら、ほら、ほら、ほら、ほぉらぁ! あははははは! どう? 死ぬ? 死んじゃいそうでしょう? 死んじゃいなさいよぉ、ほらあっ!」
「う、ぐ……ごふっ……」
ソーサレアはなおも八瀬を蹴り続ける。そうしていると、やがて八瀬の口からは叫びではなく小さな呻き声が漏れ出すようになっていった。
「く、ふ……」
「どうしたのぉ? 元気が無くなってきたじゃないぃ?」
「ぅ……」
しばらくして、八瀬はソーサレアが何度蹴ろうとも呻くことすらなくなった。壮絶な痛みに身体を捻じ曲げられたまま、まったく動かなくなった。
「あらぁ? 死んじゃったのかしらぁ……?」
ソーサレアはその場にかがんで、八瀬の生死を確かめようとおもむろに顔を近づける。
その時だった。
「あ……、ァか……!?」
つい一瞬前まで余裕綽々といった表情を浮かべていたソーサレアが、突然苦しみ出し、床に力無く倒れこんだのだ。ソーサレアは、まるで苦しみの要因を掻き出そうとするかのように自身の喉を強く掴む。しかし、そんなことで彼女を苦しめている何かが解消されるはずもなく、泡を吹いて昏倒した。
それと同時に。
「――ふ、ぅぅっ……!!?」
八瀬が、息を吹き返した。
「う、ごほっ、おほっ……ぺっ」
上半身を起こして、喉に絡みついた血を吐き捨てた八瀬は、傍らに横たわるソーサレアを目にして安堵の息を吐いた。
「はぁ……。やっと、効いてくれたか」
そう言って、八瀬は自身の胸のあたりを探って、そこから黒色の袋を取り出した。それは、八瀬が夏目に作ってもらっていた魔力で作った簡易AEDのようなものだ。着用者の心臓停止を合図に起動し、一度だけ魔力で強制的に心臓を動かして蘇生をするという代物である。だが、彼が効いたと言ったのはこれのことではない。
八瀬は、床に放られている短剣に目を向けた。その瞬間。
「あ、まい、わね……!」
意識を取り戻したソーサレアが、しめたとばかりに言った。ところが、八瀬は不意打ちに近いタイミングで彼女が復活したのにも関わらずいたって落ち着いた様子で返した。
「甘い? いったいなんのことだ?」
「っ、う……!」
八瀬の言葉と共に、ソーサレアは首にチクリと鋭い痛みを感じた。
いや、首だけではない。全身に巻き付くようにして、何かが彼女の周囲を取り囲んでいた。
「これ、は……」
「ワイヤーだ。もうお前を中心にして、ソイツで結界を張ってる。バラバラになりたくなきゃ、下手に動かねえこった」
「く……なるほど……」
自身の敗北を確信したソーサレアは、意外にも素直に八瀬の言葉に従った。
「なんだ。存外に素直じゃねえか」
それは八瀬にも予想外だったようで、動揺は隠しながらも彼女にそう指摘した。
ソーサレアは、その指摘に対して何か言うことなく、八瀬に質問をする。
「結界、と言ったわね。いったい、いつの間に張ってくれたのかしら……?」
「お前と戦ってる間中、ずっとだよ。俺が片手しか使ってなかったのは、もう片方の手で必死にワイヤーを設置してたからだ。ま、とは言っても最悪コイツがハマらなくとも勝負は決してたんだがな」
言いながら、八瀬は床の短剣を拾い上げた。
ソーサレアは、八瀬のその行動を見て彼の言葉に合点がいったかのように笑った。
「あ、はは。もしかして、それに毒でも塗ってあったのかしら」
「ご名答」
そう答えて、八瀬はそれを腰の鞘に納めた。そして、先の自身の返答に補足を付け加える。
「刃には、あらかじめ俺特性のブレンド毒を仕込んでたんだよ。原液一滴で、そこらへんの猛獣ならぽっくりだ。ま、今回はそれを何倍にも希釈してた訳なんだがな」
「どうして、そんなことしたのかしら?」
「そりゃあ、お前を生きたまま捕縛するためだ。お前には、聞かなければならないことがいくつもあるからな。今回の戦争のことや、特に『賢人大戦』と『イデアーレ旅団』に関してはじっくりと話を聞かせてもらうつもりだ」
「あらあら……」
『賢人大戦』、『イデアーレ旅団』という単語を聞いた瞬間、ソーサレアはそれまでのやわらかい笑顔とは異なり、にやりとした笑みを浮かべた。そして、できる限り八瀬に近付き、絡みつくような口調で言う。
「あらぁ。そのこと、いったい誰から聞いたのかしらぁ? 特に『賢人大戦』に関しては、坊やが来るよりずっと前の出来事の筈よぉ?」
「それについても、ゆっくり聞かせてもらうさ」
そう言って、八瀬はポーチから透明の液体の入った小瓶を取り出した。そして、ソーサレアの傍に座ってその蓋を開けた。
ソーサレアは、その液体が何であるかを理解して、くっくっ、と喉を鳴らした。
八瀬は、彼女のその行為がこちらを精一杯嗤ったものであると直感し、強めの口調で尋ねる。
「何が可笑しい?」
「は、ぁ……」
しかし、かなり毒が回っているらしく、ソーサレアは八瀬の問に答えることができない。そんな状態であるにも関わらず、どうしても何かを伝えておきたいのだろう。彼女は、肌にワイヤーが食い込んで傷付くのも構わずに八瀬に向かって腕を伸ばす。
八瀬は、もう彼女にはこちらに危害を加える程の力は残っていないと判断してそれを受け入れる。
ソーサレアは、やっと八瀬の右手を取って、手の甲に指を這わせる。声が出ないため、文字で意図を伝えようというのだろう。毒に全身を侵されて小刻みに指を震わせながらではあるものの、しっかりと八瀬の手に文字を刻む。
そして、伝えたいことを伝えきったのだろう、ソーサレアは再びぐったりと床に倒れた。
「…………」
八瀬は、今度こそ完全に昏倒したソーサレアを見ながら、手の甲になぞられた文字を頭の中でつなげ合わせる。そうして浮かび上がったのは、まるで予言のような一言だった。
「『明かされることはない』……。なん、ぁ……」
そこで、八瀬も力尽きたように倒れた。ソーサレアに蹴り続けられ、絶命の危機にあった彼を救ったあの道具は、あくまでも着用者の心臓を再び動かすだけの効果しかない。つまり、それまでに彼女に付けられた傷はそのままだった。
大量出血による意識の混濁。問答無用で閉じようとする意識の中で、八瀬は思った。
(コイツが動けなくなってる間に、持って来てた治療薬、使っときゃ良かっ、た……)
それを最後に、八瀬は完全に意識を失った。