第125話 《英雄》の力
「はあああッッッ――!!」
「--ッ!!」
開幕の一撃。スピードで勝る《英雄》が横薙ぎに剣を振るい、番野が迎撃する。
一撃必殺と呼べる超高速の斬撃が、衝突する。
「ッ、ぐぅ、……ッ!」
「フン……」
しかし、その力の差は歴然。競り合う両者だが、歯を食いしばって全力を込める番野に対し、彼は涼しい顔で受けている。
「く、ッ……」
この一合で彼には力で勝負しても勝ち目が無いと、番野は理解した。だから、番野は技術での勝負に持ち込んだ。
「フッ――」
《英雄》の力を逃すように、剣の傾きを変える。彼の剣は、番野の剣をレールのように滑って虚空を裂く。
番野は、そこに生じた隙を見逃さない。左足を踏み込み、障害物の無い左側面から斬り込む。
「--シッ!」
「…………」
その一撃を、《英雄》は確実に目視していた。右足を半歩後ろに下げ、体を開く。
次の瞬間、番野の攻撃は彼の体のほんの数ミリ横を通過した。しかし、彼は動じない。冷ややかな目で番野の剣を見送る。
(くそっ……! 余裕見せやがってこの野郎!!)
《英雄》の挙動に注意を向けていた番野は、彼の視線の動きを見て思わず歯噛みした。《英雄》は、相対する番野を見ていなかったのだ。
その時、彼が呟いた。
「こんなものか」
「……ッ!」
凍えきった声。番野は、そこに明確な危険を感じ、反射的に身を屈めた。
次の瞬間、番野の後ろ髪の先端を《英雄》の剣が刈り取った。
「ほう。よくかわした」
「く、そ……っ」
《英雄》の次の行動は分かっている。
(視覚外からの)
番野は、《英雄》の行動を予測していた。予測していて、それを踏まえて回避行動を取る。
「ご、ッ……」
それでもなお、《英雄》の速度が勝っていた。回避行動を取ろうとした番野の頭部に、その動作よりを遥かに上回る速度で回し蹴りを叩き込んだのだ。
防御姿勢を取る暇も無くモロにそれを受けた番野は、勢い良く床を転がっていく。
「ご、はっ……」
彼の体は、部屋の壁に激突することでようやく止まった。背中から猛烈な勢いで叩きつけられたため、衝撃が肺の空気を無理矢理押し出した。
(な、にが……)
番野の視界は、どろどろに溶けていた。脳内はぐちゃぐちゃに混濁して、何が起こったのかすらも理解できないでいた。
(ああ、クソ……。やられた、のか……? いや、まだ、だ)
段々と意識が晴れていく。しかし、まだ体が動かない。動かせても指先だけ。未だ、意識と神経が回復していないのだ。
《英雄》は、依然として伏している番野に失望の眼差しを向ける。
「つまらん。もう終わりか?」
そんなことを言いながら、番野の後ろ襟を掴み軽々と持ち上げた。番野の首に狙いを定め、剣を構える。ちょうど、首を引き切るようになる形だ。
「…………」
殺気をぶつけるも、番野はぐったりとして動かない。
「終わり、か……。無駄に期待させおって、つまらん奴め」
その声に失意を乗せ、《英雄》は言った。無感情に、剣を振るった。
その時だった。
「--ッッ!??」
腕が、宙を舞った。
それは、剣を持ったまま鮮血を撒き散らしながら舞う。その持ち主は--《英雄》は、驚愕して目を見開いた。
「バ、かな……!!」
遅れて、正面に視線を戻す。
そこには、俯いたまま剣を天高く振り上げた番野の姿があった。否、もう力無く俯いてなどいない。確固たる信念を宿した瞳が、《英雄》の姿を射抜いていた。
「フッ!」
「ぬぅっ……!!」
番野が脳天目掛けて剣を振り下ろしたが、《英雄》は咄嗟に襟から手を離し後方に飛んで回避した。飛んだ先、足下に転がっていた自身の腕を拾い上げる。
襟を掴む手が離れて自由になった番野は、首の動きを確かめながら剣に付着した血を払った。
「ぐ、ぬ……!」
《英雄》は服を裂き、傷口に巻いて止血を施した。しかし、傷の程度が酷いためにすぐに血液が染み出してくる。
「うかつだったな」
「くっ……」
まるで注意を促すかのような番野の言葉に、《英雄》は鋭い視線を投げた。
番野は、首の動きを確認しながら《英雄》への言葉を続ける。
「俺なら、あんな無駄なことをせずにさっさと止めを刺してた。あの行動は、覚醒までの時間を稼いだだけだ。現に俺はあの時間に意識を覚醒させたし、剣だって手放していなかった。それなのにアンタは、それに気付きもせず俺に時間を与えた」
「何が、言いたい……!」
《英雄》は、怒りに血走った眼で番野を睨みつけて言った。
それを番野は冷ややかな視線で受け止めて言う。
「アンタ、戦いに関しちゃまだまだ素人だよ」
「な、っ……」
その一言に、《英雄》は言葉を失った。口をぽかんと開き、眼からは一瞬前までの迫力がなくなっている。それどころか、体全体から力が抜けているようにも見える。
番野はそんな彼に対し追い討ちをかける。
「アンタがこれまでどれだけ戦ってきたのか知らねえが、物心ついた時から道場で追い掛け回された俺から言わせればあんなことやってるうちはまだ素人だ。出直してこい、二流が!」
「っ……」
その叱咤を受けた《英雄》は、言葉を詰まらせた。まさか、このような勝負の場で敵から説教を食らうとは夢にも思っていなかったからだ。だから、それから数秒間動けなかった。体を動かすよう命令しようにも、その信号を発するだけのリソースが彼の脳には残っていなかったのだ。そして、指の先する動かすことに難儀している彼が、番野の接近に気付ける筈が無い。
「終わりだ」
先程の説教通り、無慈悲に、余計なことをせずに剣を振るう。確実に仕留めるために、首を狙っていた。
これで、終わるのだ。
「……ふっ」
そう、終わる筈だった。《英雄》が、息を吹き返すまでは。
「なにっ……!?」
「ふ、ふは、は……!」
番野は自身の目を疑った。《英雄》は、完全に停止していた筈だった。自分は、一切の油断をせず、彼の首を落とした筈だった。それなのに、自分の振るった剣は――
「捕らえた、ぞ……!」
《英雄》に、掴み取られていた。
「ば、ッ……!?」
その異常な行動と光景に、流石の番野も動揺を隠しきれなかった。慌てて《英雄》の手から剣を引き離そうとするが、ピクリとも動かない。
(なんて握力だよ……! いくら補正がかかってるからって、これは反則だろう……!)
必死に剣を取り返そうとする番野を見つめながら、《英雄》は言う。
「貴様。確かこの俺様が未熟だと言ったな?」
「それが、どうした……。――がッ!!?」
言葉の途中で、《英雄》が蹴りを入れた。
それをまともに受けた番野は、後方に弾き飛ばされた後、腹部を押さえて苦悶の表情を浮かべる。食道をせり上がってくる胃液を堪えながらだったが、番野はある異変に気付いた。
(コイツ……。もしかして、威力が上がってやがる……? さっきもらった一撃と比べて、インパクトに歴然とした差がある!)
「フフ、フハハハハハハハ!!」
《英雄》が高らかに笑った。まるで、片腕を失っているダメージなど感じさせないほどに。
「良い。良いぞ良いぞ! 実に良い逆境だ! フフフハハハハハハハ!!」
「何を……」
「逆境だ! こんな逆境を、俺様は待っていた!!」
不気味。異様。異常。腕の切断面から血を撒き散らしながら笑うその姿は、それ以外の表現を許さない程に常軌を逸していた。
番野も、言い知れない違和感を感じて剣を構え直す。
《英雄》は、傍らに転がっている片腕を拾い上げるとおもむろに切断面に押し当てた。
「なにをするつもりだ!?」
「フフフ……」
《英雄》が不気味に笑う。その次の瞬間であった。掴んでいた手を離すと、分離していた筈の腕が、床に落下せずにそのままくっついているのだ。番野に切断されたという事実を無視し、彼の腕は元の場所に戻ったのだ。
「バカな……!? どうして!?」
通常ではあり得ない現象を前にして、番野は思わず声を引きつらせた。
《英雄》は不敵な笑みを浮かべながら、愉快な口調で言う。
「ハハ。不思議か? 不思議だろう? 教えてやろう俺様の敵よ! 俺様の《職業》、《英雄》の真の能力。それは、『直面した脅威の度合いに合わせて俺様の全ての能力が底上げされる』というもの! つまり、窮地に陥れば陥るほど俺様は強くなるということだ!」