第124話 決戦開始
ギギィ、と、重い音を立てて城の大扉が開く。
「来たわね」
そこから現れたのは、二人の戦士の姿。片や国を護るため、片や愛する者を救い出すため。それぞれが、己に課せられた使命を果たすためにこの場に集った。
目前に因縁の魔女を認めて、番野は言った。
「なに言ってやがる。アンタの方から誘ったんだろうがよ」
そして、一歩。二人はとうとう、《英雄》の本拠地へと足を踏み入れた。それと共に、城の大扉がひとりでに閉じた。
八瀬の連れて来た兵が城内に立ち入るのを許さないように。
二人が逃げ出すことの無いように。
外界からの接触を途絶するかのように。
つまり、番野と八瀬の二人は敵の本拠地で孤立したのだ。しかし、そんな状況に陥ってもなお、二人は動揺した素振りを見せない。何故と言うのなら、それは、ここまで来て、今更憶することなどあってはならないからだ。
八瀬が、妖艶に笑うソーサレアを見据えながら言う。
「どうやら、魔法ってのは使い方次第でなんでもできるらしいな。今ので、この城の周りに何かしらの結界を張ったんだろ? 援軍が手を出せないように」
「あら、分かるの? あなたには魔法の心得は無いものと、勝手に思ってたわ。ごめんなさいね」
「なに、そんな感じがしただけさ。だから謝る必要は無い」
「そう? じゃあ、もういいわね」
ソーサレアは、ふぅ、と、息を吐く。その一挙動一挙動が、やはり妖艶だ。胸元を大きく露出させ、程よく締まった肉体と美しい脚線美をくっきりとさせる煽情的な恰好。並の男性ならば、そんな彼女の魅力に圧倒され、すぐさま彼女の虜となることだろう。
しかし、番野と八瀬には、そのような姦策は通用しない。それどころか、己の使命を必ず全うしてみせるという確固たる意志を持ったこの二人には、それはただの隙でしかない。
「ッ――」
刹那、番野の姿が掻き消える。一息で、ソーサレアとの間合いを詰めた。これは、既に剣の間合い。一撃で、敵を屠ることを可能とする距離だ。
ソーサレアは突如として眼前に現れた番野に驚き、目を見開く。
「アス――」
対応のためか呪文を口にしようとするが、遅い。あとは、彼女の体が両断されるのみ。ものの一瞬で、片が付いた、かに思われた。
ソーサレアは、笑っていた。自棄になった笑いではなく、してやったり、とでも言わんばかりの笑みだった。
その時、ソーサレアを斬りつけようとする番野の眼前に一枚の小さな紙が現れた。そこに、赤で何らかの模様が描かれているのを番野は見た。それが何を意味するのか、彼には分からなかった。だが、模様が突如として輝き始めたのを見て、身の危険を感じ取った。
「ぐ、っ!」
番野は、反射的に身を退こうとする。そんな時、後方から彼に向けて檄が飛んできた。
「お前は構わず斬れ! ソイツは俺に任せろ!」
次の瞬間、赤から紅に輝きが変わり出していたその紙が、突然空中に出現した『暗黒』に飲まれ、跡形もなく消失した。誰あろう、八瀬の仕業だ。
「はああああ!!」
「--トラル!」
眼前の脅威を除かれた番野は、体勢を立て直して斬りかかる。ところが、一瞬の隙を与えてしまったためだろう。番野の剣がソーサレアの体に触れた途端、彼女の体は霧散し、剣の間合いの外で再び実体を成した。
衣服に付着した埃を払い、ソーサレアは、八瀬を睨みつけて言う。
「ふう、危なかったわ。ところであなた、変わった技を持っているのね?」
「まあな。使いこなすまでに時間こそかかったが、今ではあんな芸当も朝飯前だ。なら俺も一つ聞いてみるんだが。お前がさっき使ったの、ありゃあ、符か?」
「ご名答よ。私、少し東方の魔法にも興味があってね。多少は扱えるのよ」
「へえ。そりゃまた勉強熱心なことで」
「……八瀬」
八瀬とソーサレアが互いに牽制し合う中、その間に立つ番野は指示を仰ぐように八瀬を横目で見た。八瀬はソーサレアの行動を警戒しながら、番野に指示を出す。
「ここは俺に任せろ。番野、お前はとっとと先に行ってお姫様を助けてこい!」
「……ああ! 任せたぜ!」
聞くなり、番野はその場を駆け出した。
八瀬はソーサレアの動向に注意を向ける。しかし、肝心の彼女は、番野が自身の横を通ってその先に行く事を止めもせずにただ不敵に笑っていた。
「止めねえんだな?」
「当然よ。だって、彼があの方に届く筈がありませんもの。あなたも彼も、あの方の実力を理解していない」
「……そいつは、大した信頼だな」
「ま、この戦争も始めから結果は決まっていたのだけれどね」
そう言って、ソーサレアは空中に手を差し出した。すると、その手元に杖が現出し、彼女はそれを構えた。
(杖を出した……。ということは、やはり本気で来るか……!)
彼女のその動作を見て、八瀬は尚更身構えた。緊張からか、眉間にシワが寄る。腰の短剣に手を伸ばし、スパートの用意をする。
「……うふふ」
ソーサレアはそれまでの余裕そうな表情から、目にするだけで背筋が震えそうなまでに冷酷で嗜虐的な笑みを浮かべる。まるで我が子を愛でるように杖を撫でつつ、八瀬に言う。
「さあ、始めましょう? この子も私も、久しぶりにこんなに昂っているから……ぁァ、壊れてしまったら、ごめんなさいね?」
「……まったく、ゾッとさせてくれる」
〇 〇 〇
同時刻。城外の戦場では、ソーサレアの召喚した不死の兵隊によって様相が熾烈を極めていた。
不死というモノは、生死のやり取りが行われる戦場において多大な影響を及ぼすらしく、アウセッツ王国以外の軍も徐々に戦線を後退させざるを得ない状況に追いやられていた。ただ、アルゼレイの軍勢は死者によって編成されているためか、戦線を維持することが出来ていた。
(一体あたりは力も弱く、大した相手ではないが……。こうも数が多く、かつ死なずに傷も再生するとなると……正直、かなり面倒な手合いだ)
アウセッツ王国担当範囲に現れた不死の兵隊を一手に引き受けていたシュヴェルトにも、流石に疲れが出始めていた。心なしか剣筋のキレが落ちているようにも思える。
幾重にも襲い掛かる不死の兵隊の攻撃を捌いていたその時である。シュヴェルトの耳に、ザザッ、というノイズのような音が聞こえてきた。これは、事前に夏目が全体に仕込んでいた通信用の魔法が起動した際に発する音だ。すると、シュヴェルトの鼓膜をやや枯れたバリトンの声が叩いた。
『シュヴェルト、どうじゃあ調子は!! 何やら正体不明の輩が現れておるが、もしや既にやられてしまった訳ではあるまい!?』
「--っ」
シュヴェルトは、突然大声を聞かされたためか、キィィィン、という耳鳴りとともに痛む耳に顔をしかめる。そして、やや苦しそうな声音で通信相手に返す。
「……ファレス殿。貴殿の声はよく響くので、少々音量を下げてはくれないか?」
『がっはっは!! そいつはすまなかったなあ!! じゃが、元気そうで何よりじゃわい!!』
「…………」
苦言を呈したが、当の本人は改善する気は無いようだ。シュヴェルトは、諦めたように目を伏せた。
『姐さん! 大丈夫ですか!?』
「--っっ。君もか、ヤング。耳に響くから、声を落としてくれ」
次に声を聞かせてきたのは、ヤングだった。ヤングもファレス同様に声を張り上げたため、シュヴェルトはまたも苦しげにな声を上げた。ヤングは『すみません……』と謝罪した後、再びシュヴェルトに心配の言葉を投げかける。
『姐さん。そちらは大丈夫ですか?』
「もちろんだ。私を誰だと思っている。君の方こそどうなんだ?」
『俺の方も、俺が出てなんとか戦線を保てている状態です。かなり厳しい状況です』
「そうか。引き続き頑張ってくれ」
『あ、ちょっ、あね――』
ヤングが止めようとするのを、シュヴェルトは構わずに通信を切った。
「オオオオオ!!」
シュヴェルトの注意が一瞬逸れたのを見計らって不死の兵隊が剣を振り下ろす。しかし、洗練されているとは言えない攻撃は、不意を突いたとしても彼女に届くことはない。
「フッ――」
シュヴェルトはその攻撃を身を僅かによじって紙一重で躱す。続く動作で空振りした兵隊の腕を斬り飛ばし、そのまま地面に彼を突き倒した。
「今しがたいいことを思いついた。実験台になってくれ」
そう、倒れた不死の兵隊に言うと、シュヴェルトは斬り飛ばした兵隊の腕を掲げた。
「フンッ!」
そして、シュヴェルトはその腕ごと剣で兵隊の体を刺し貫き、刃を地面にまで貫通させた。
「グ、ッ、ゴ……」
「斬っても斬っても再生して立ち上がって来るのなら、もう立ち上がれないようにしてやれば良い。こうして地面深くまで刺し込んでやれば、容易に抜くことはできんだろう」
なんとか逃れようともがくも抜け出せない兵隊を尻目に、シュヴェルトは次の目標に向けて動き出した。
「さて……」
『これは、ボクも大声で話した方が良いかな?』
と、次の兵隊に斬りかかったところで、茶化すような口調の声がシュヴェルトの鼓膜を揺さぶった。シュヴェルトは、懇願に近い声音でアルゼレイに返す。
「頼むから止してくれ、アルゼレイ殿……。それで、貴殿は私に何の用だ?」
『うん。こちらも、向こうと同じように不死の兵隊を出そうと思ってね』
「と、言うと?」
『この戦場に、ボク特製の隷属魔法を展開しようと思ってね。このままだと、ボクの方は大丈夫だけど、キミ達が大変だろう? だから、それを使ってキミ達の負担を減らしてあげる、と提案してるんだ。幸い、「材料」はここにはたっくさんあるからね』
「本当に趣味が悪いな、貴殿は」
楽しそうに話すアルゼレイに、シュヴェルトは心底嫌そうな声で言った。
その返事を受けて、アルゼレイは高らかに笑う。
『あっははははは!! いやいや、それは褒めすぎだよ。ま、冗談はこの辺にして、早速行使させてもらうよ。このままだと、いくらキミ達と言えどもジリ貧になってしまう。それは避けなければならないからね』
「初めからやるつもりだったのではないか……。なら、私に意見を聞く必要は無かったと思うのだが」
「なに、キミの反応を知りたかっただけだよ。じゃ、ボクはこの辺で』
そう言うと、アルゼレイは一方的に通信を切った。
シュヴェルトは呆れたように息を吐き、兵隊の攻撃を捌いて斬った。
「彼はやはり、変わってい、る……ッ!!」
二体目を片付けて、短く息を吐く。漏れる息が、白く色づいている。
(確かに、ジリ貧だな。団長殿、ツガノ、急げ)
シュヴェルトは、迫る数体の不死の兵隊を見て、目を細めた。
○ ○ ○
バタン、と、大きな音を立てて扉が開かれた。部屋の奥には、玉座に座して不敵に笑う《英雄》の姿があった。彼は、荒々しく部屋に侵入してきた賊に、頬杖をついたまま言う。
「少しは行儀良くすることはできぬのか?」
「お生憎様、ドレスコードも知らないんでな。そこらへんは期待しないでくれ」
「フハハハハ!! 良い、許す。どのみち。貴様は俺様が手ずから葬るのだからな」
《英雄》は、そう言って玉座から立ち上がった。流れるように腰の剣を抜き、そのまま部屋の中心へと歩んで行く。
それに呼応するように番野も剣を構え、中心へ向かう。
そして、互いの間合いが触れ合うギリギリの距離で立ち止まる。
しばらく探るように互いに見つめ合った後、番野が口火を切った。
「お前で最後だ」
「ほう? 準備運動は済んだのか?」
「--ああ。あとはお前を倒して、美咲を救い出すだけだ!!」
「ではやってみるがいい!! 貴様の力が、俺様に届くかどうか!!」
間合いが触れ、まったく同時に斬り出す。
決戦の火蓋が、斬って落とされた。