第123話 魔力障壁突破戦
番野らが城の目前にまで辿り着いた頃、城内では一人の大魔女によって、ある大規模な作戦が決行されようとしていた。
(坊やと生意気な憲兵団長は上手く釣れた。あとは、私達の四方を固めている同盟各国の軍を潰せばそれで済むわ。ええ。今度は、こちらから仕掛けさせていただくわ)
魔女は、その蠱惑的な胸元から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには通常の言語とは異なる文字が、何かの記号を表すように書かれている。すると、彼女はそれを空中に放る。宙に放られたそれは、ひらひらと舞って床に落ちると思われたが、どういう原理か空中に留まっている。
「ふふ……」
魔女は妖しく笑い、羊皮紙に指を這わせる。そして、指が記号を一周すると、羊皮紙が真紅に輝き出した。
「--終わらぬ惨劇を、今ここに。彼の者らの行く先は黄泉でなく、無でなく、死でもない。永遠に留まりし残滓の兵らよ、我が下に集え。『幻影の敗残兵』、起動」
魔女がそう唱えるのと同時に、羊皮紙が空中で燃え、塵も残らず尽き果てた。
「逆転の策は、今、ここに成った。どうしようもない現に潰えるがいい、愚か者らよ。く、くくくははははは……」
魔女は笑った。地上に現出した地獄で敵が奮闘し、そして無残にも討ち果たされる様を想像して、そのあまりの可笑しさ、愉悦を堪えきれなくなったのだ。
「はぁ……、さて」
一頻り笑い終えた魔女は、自身の正面にある、城の大扉が開き始めたのを見た。
「ようやく、来たのね」
呟く。覚悟は決まっている。あとは、滅ぼすだけ。
魔女は、大扉がゆっくりと開かれるのを眺めながら、小さく妖艶に笑った。
〇 〇 〇
一方、同時刻、皇国軍包囲網・アウセッツ王国軍担当域。
ここは、シュヴェルトの大きな活躍によって皇国軍との戦闘を優位に運べていた。このまま順調にいけばと思われていたところに、とある異変が起こった。
「--副団長ぉぉぉ!!」
「む」
シュヴェルトの下に、一人の憲兵が駆け寄って来た。瞳孔が開き、呼吸も正常ではない。見るからに、只ならぬ様子だ。一種の恐慌状態だ。
シュヴェルトは腰の水筒を彼に投げ渡し、襲い掛かって来た皇国兵を迎えながら言う。
「まず飲め。そして、落ち着けッ。ふっ! 私なら大丈夫だ。しっかりと落ち着いて、確かなッ、報告をしろぉぉッ!」
「は、了解しました……! んぐっ……」
言われると、憲兵は水筒に入っている水を一口分含んで飲み込んだ。
「--っはぁぁ」
「よし。落ち着いたッ、か?」
「はい。ありがとうございます!」
「ならそいつを返せ」
「す、すみません!」
シュヴェルトに言われて、憲兵は水筒を返す。そして、一息吸って呼吸を整え、報告を始める。
「では、報告いたします! 突如、敵軍の数が増加し、戦線が押され始めています!」
「伏兵か?」
「不明です。しかし、新たに出現した敵軍には特徴があり、それに苦戦させられています!」
「ふむ。何だ、その特徴というのは?」
「はい。死なないんです! 斬っても、撃っても、何をしても何事も無かったかのように立ち上がってくるんです!」
「なんだ、それは?」
「わ、我々にもさっぱりです!」
シュヴェルトの質問に、憲兵は首を横に振る。
(いまいち要領を得ないな。どうやら、自分の目で確かめるのが一番早そうだ)
訝しげに目を細めたシュヴェルトは、一つ前の戦線に向かって飛び出した。
そして、件の戦線に到着したシュヴェルトは、そこで巻き起こっている異常な事態を目にする。
「なんだ、これは……」
流石のシュヴェルトも、その光景には絶句せざるを得なかった。そこは、もはや戦場ではなかった。
「くそっ、くそっ、なんでだなん--ぐ、ああああ!?」
「どうして倒れないんだぁぁぁああああがあああああ!!?」
「ぎ、ぐぎぁぁぁあああああ!!?」
そこは、地獄だった。斬られ、撃たれ、潰された者が立ち上がり、憲兵に襲い掛かる。およそ現実ではありえない筈の光景が、起こっていた。
(これが、報告にあった死なない敵兵……)
そんな光景を前にして、シュヴェルトは思わず立ち尽くした。
すると、その時。
「オオオオオ――」
皇国兵が、シュヴェルトの背後から剣で斬りかかって来た。
「なめるな。この程度のことで集中を欠く私ではない」
「グ、ゴ……」
しかし、後ろに突き出されたシュヴェルトの剣によって皇国兵は体を貫かれ、動作を停止させられた――かに思われた。
「ォォォオオオオ!!」
「--ッ!!?」
それでも皇国兵は前進し、シュヴェルトに攻撃を浴びせようとする。
「良い根性だ! だがッッ!」
雷が弾ける。瞬きの瞬間に、シュヴェルトは体を反転させて剣を持ち替える。
「はああああ!!」
「ゴ、ウオ……ッ」
そのまま斬り上げて、皇国兵の上半身を縦に断った。当然のように、皇国兵は力を失って倒れた。
ところが。その次の瞬間。
「グ、ゴ……」
無残な様になって倒れた皇国兵だったが、シュヴェルトに断ち斬られた上半身が、みるみるうちに引っ付いていくのだ。
「ほう……」
その速度たるや、完全に割られた上半身を一〇秒程度で完治させてしまう程だ。皇国兵は、再生を終えると、再びシュヴェルトに襲い掛かって行く。
「オオオオオオ!!」
「なるほど。こうして何度も立ち上がってくる訳か」
ピシャッ、と、剣に付いた血液を払い、構える。そして、シュヴェルトは、永遠に縛られた敗残兵達に向かって言う。
「では、この私が何度でも刻んでやろう」
竜が、幻影に牙を剥いた。
〇 〇 〇
「--ぐ、ッ」
「つぐめちゃん!!」
ルキウスに弾き飛ばされた石川が、苦悶の声を上げる。
石川の名を呼びつつ、夏目はルキウスに魔法で攻撃を仕掛ける。
「『灼熱よ』!!」
夏目の魔力によって形成された灼熱の火炎球が、ルキウスに飛んで行く。
「ふん」
対するルキウスは、回避はおろか、迎撃する姿勢すら見せない。
直撃する。
「……分からん奴だ」
しかし、爆炎の中から現れたのは、纏う鎧に煤の一つすら付着していないルキウスの呆れ顔だった。
夏目は、苦い顔をして言う。
「くっ……。なんて強力な魔力障壁ですか……」
「当然だ。貴様如きの魔法で私の魔力障壁を突破できるとでも思っていたのか? まあ、先刻私に浴びせた魔法はタイミング、威力共に素晴らしかったと評価している」
そう。先程、夏目の放った魔法は完璧にルキウスの不意を突いていた。魔法による防御壁を展開する暇も無かった。ルキウスは、夏目の渾身の攻撃をほぼノーガードで受けたのだ。
そして、受け切った。無傷で。
(ですが、必ず限界があるはず。彼の魔力が尽きるか、障壁自体の耐久が尽きれば。その時こそがチャンスになるはず……ッ!)
夏目は、次の作戦を考えながら移動を始める。
「行くぜッッ!!」
すると、体勢を立て直した石川が、ルキウスに向かって飛び出した。
「来い! 怪盗の娘よ!」
「はああああ!!」
無闇にフェイントをしても効果が無いことを初めのやり取りで学んだ石川は、無駄に動かず、ルキウスに直接勝負を挑む。両手の短剣を逆手に持ち替え、殺傷力を上げる。
「正面から来るか! 面白い!」
ルキウスは、石川の挑戦を受けた。正面から突進してくる石川を迎え撃つため、戦斧を振り上げた。
その挙動を目にした石川は、次にルキウスが取るであろう行動を予測する。答えを出し、回避に移る。
(力も、経験も、魔力もコイツの方が上。だけど、スピードと手数の多さなら私が勝ってる! これを活かしきらないと、私はコイツには勝てない……!)
「ふんッ!」
戦斧が振り下ろされるのに合わせて、急加速する。続いて身を屈め、追撃を防止。そして、その狙いはもう一つ。
(股下に入り込んで、死角に!)
「やあああっ!」
「ぬぅっ」
一瞬でルキウスの股下に潜り込んだ石川は、通り抜ける瞬間にルキウスの脚を二度切りつけた。しかし、それは例によって魔力障壁に防がれてしまう。だが、それは些細なこと。石川の本当の狙いは――。
(とにかく連撃を叩き込んで、魔力障壁の耐久を削ぐこと!! 見せてやる。《怪盗》の華麗な身のこなしを!!)
潜り抜けた後、急停止。
「はああああああああッッ!!」
気合一喝。次の瞬間、ふくらはぎ、膝、腿、臀部、腰、背、腕、肩、首、頭部と、ルキウスの体の後ろ半分が余すところなく石川に斬られた。
「くっ、貴様!!」
ルキウスが初めて、明確な怒りを露わにした。
傷は無い。しかし、魔力障壁を全身に巡らせていなければ確実に死んでいた。ルキウスのプライドが許せなかったのだ。年端もいかない少女にこうも良いようにやられて良いのか、と。
ルキウスは戦斧から手を放し、振り向きざまに石川を岩のような拳で殴りつける。
「--おっ、と」
石川は、それを身を翻して紙一重で躱すと、なんとルキウスの腕の上に着地してみせた。
「馬鹿な!?」
「《怪盗》、なめんなよ!!」
ルキウスに啖呵を切った石川は、両手の短剣を思いきりルキウスの腕に突き立てた。
二つの刃と魔力障壁がぶつかり、紫色の火花が舞う。
「ぐ、ぉぉおおおおおお!!」
「き、さまあああっ!!」
何か危機を感じたルキウスが、もう一方の手で石川を捕えにかかる。
「--ッ!? な、に……!!?」
しかし、ルキウスの動きが途中で不自然に停止する。
この現象に心当たりを感じたルキウスは、眼でその少女を見た。
「させませんよ! わたしに、もう少し注意を向けておくべきでしたね!」
「ク、ソがぁぁぁ……!!」
「おおおおおおおおお!!」
バインドを解こうと、ルキウスは全身に力を込める。
石川は、魔力障壁を破壊すべく、さらに短剣を突き立てる手に力を入れる。
ルキウスが早いか、石川が早いか。この争いの趨勢が、戦闘の行方を分ける。
「させる、ものかぁぁぁぁあああああああああああああ!!」
「うううううぉぉぉおおおおおあああああああああああ!!」
その時。
ミシリ、と。ルキウスを縛る拘束が悲鳴を上げた。
「ふ、ふははははははははははっ!! 解ける、ぞおおお!!」
次々と千切れ行く黄金の鎖を目にして、ルキウスは大きな笑いを上げる。
夏目は、ルキウスの魔力障壁に先程までは無かった『色』が付いているのを見た。熱した鉄のような、赤。それは、何よりも魔力障壁の限界が迫っていることを表していた。故に、夏目は決心した。
「させ、ません……!! させる、ものです、か……!! わたしの魔力、体、精神、わたしの、全霊を以てッッ!! 止める……!! あなたを、止めてみせますッッ!! ルキウス=エスカレドス!!!」
夏目は、体の底から魔力を絞り出す。すると、ルキウスを縛る黄金の鎖の数が一気に増加した。
「な、んだ、とおおおお!!?」
首や顔すら、文字通り全身に渡って拘束されたルキウスには、もう指先すら動かすことすら叶わない。
全身の至るところから何かが千切れる音を聞きながら、夏目は拘束を続ける。ついにはその瞳から真っ赤な血を流しながら、叫んだ。
「つぐめちゃん!! いっけぇぇぇええええええええええ!!!!」
「つら、ぬ、けええええええええええええええ!!!!」
「ぐ、うおおおおおおおおおおおお!!?」
夏目の覚悟の咆哮を耳にして、石川も全身の力を、刃の先一点に集める。
そうして、その決死の攻防は、ガラスが割れるような破砕音と共に終結した。