第122話 決戦へ
「つぐめちゃん!」
「あいよ!」
夏目が合図し、石川は一度、彼女の側まで退がる。
石川が一飛びで後退すると、夏目は彼女の肩に手を置き、何やら言葉を口にし始めた。すると、二人の周囲をぼんやりとした光が包み、幻想的な光景を作り上げていた。
(何か仕込んだな……?)
その様子を見たルキウスは、夏目が何かしらの魔法を石川に仕込んだことを察知した。どのような魔法を仕込んだのかは不明だが、おおよその見当を彼はつけていた。
「すぅぅ……」
夏目の仕込みが終わった。彼女の手が肩から離れると、石川は両手に繊細な意匠の施された白い短剣を構える。
それを見たルキウスは、石川を嘲るような口調で言う。
「何だ、その短剣は。美術品は、戦闘には向かない。フッ。だが、観賞用としても、些か問題ではあるか」
「ハッ。コイツの良さが分からないようじゃ、アンタの美的センスなんて……タカが知れてらぁっ!!」
ルキウスに挑発を返すのと同時に、石川は地面を蹴り出した。その勢いは番野のスピードには及ばずとも、一般的な範疇を逸脱している。
(速いっ……。だが!)
ルキウスは、石川の動きに目を凝らす。体の小さな彼女は、ルキウスに捉えられれば一巻の終わりだ。そのため、減速、加速、停止、方向転換などあらゆるフェイントを用いて、狙いを付けさせまいとする。
しかし、ルキウスが彼女と同じようなタイプとの戦闘経験が無い筈が無い。
(わかっている。貴様のような手合いの動きは……)
「----」
不規則な軌道で動く石川を目で追い、豊富な経験からその先を予測する。
「そこだ!」
大声と共に、ルキウスが戦斧を振るう。しかし、そこには誰もいない。戦斧はそのまま地面に深く突き立った。
(かかったっっ!!)
その時、石川の姿はルキウスの背後にあった。
石川は、右手の短剣を逆手に持ち替える。刃をルキウスの首に向け、狙いを定めた。この一撃で、決着させるつもりなのだ。
「はあああ!!」
「阿呆が。かかったのは、貴様の方だ!」
一喝。それと共に、ルキウスは背後に手を伸ばした。
「危ないっ!!」
「なっ――」
夏目が声を上げるが、既に遅い。
その手は、石川の手首を掴んだ。渾身の攻撃を、見るもあっさりと止められた。
思わぬ行動に、石川は狼狽する。完全にルキウスの不意を突いたと思い込んでいたからだ。
「ふんっ」
「く、そっ。離せ!」
ルキウスは一息に戦斧を地面から引き抜くと、ジタバタと暴れる石川を目の前に持ってくる。
(こ、いつ、なんて力だ……! こんなに暴れてるってのに、全然隙ができない!)
そして、戦斧を掲げ、石川に言う。
「戦士となったからには、女も子供も関係ない。故に、私は貴様らに対し容赦をしない。死ぬがいい」
「ぁ……く……!!」
「つぐめちゃん、離脱っ!」
その時、後方の夏目が叫んだ。
瞬間、それを合図にして、石川がルキウスの手からスルリと抜け出した。
「馬鹿な」
不可解な表情をして、ルキウスは石川の手首を掴んでいた手を確認する。そこにはやはり石川の手は無く、代わりに彼女の手を模して造られたと思われるゴム質の袋、のような物が握られていた。つまり、ルキウスが握っていたのはダミーの手首だったのだ。
石川は、地面に着地するとルキウスの足元から急いで離れた。少し距離を取ると、夏目に大声で指示を飛ばす。
「さっちん! やっちまえ!」
「--紅蓮の業火、煉獄の暴風を、今ここに!! ストームエクスプロージョン!!」
「しま、っ……」
豪雷が地上に落ちたかのような爆発。暴嵐のような爆風。ルキウスの言葉は、それらによって呆気なく搔き消された。
○ ○ ○
夏目と石川がルキウスとの戦闘を始めて少しの時間が経過した。番野らは、なるべく敵との交戦を避けながら城へと進行していた。
そして、それは順調に進んでいた。
事実、敵との大きな衝突はルキウスとのものだけだ。一部隊との遭遇戦などの微々たる接敵はあったが、何れもごくわずかな時間で決している。順調だ。非常にスムーズに、八瀬の思い通りに、事が運んでいる。
(八瀬の作戦が上手いからか? ただ、運良く作戦がハマってるだけか? 何か、違和感を感じる……)
番野は、横を馬で駆ける八瀬に、今しがた浮かんだ疑念を打ち明ける。
「八瀬。お前は、何か違和感を感じないか? この、上手く事が運び過ぎている状況に。確かに、お前の作戦は正しい。戦闘を避けるのは、先に向けて損耗を抑えるのに実に理にかなった考えだよ。だが、いくら何でも敵に会わなすぎる! 俺は、コイツに妙な違和感がしてならないんだ……」
番野に問われ、八瀬はそれに答える。しかし、番野が不安げな表情で語ったのと対照的に、八瀬は軽い口調で言い放った。
「敵に会わないだって? そんなの、当然だろ。俺達は既に、いやもっと前から、あちらさんの用意した道を走らされてたんだよ」
「なんだって……!?」
そう、あっさりと、あっけらかんと、なんとなしに言い放った。
「お前、そりゃ本当なのか……!? だとしたら、なんで黙ってた!」
「いや、これには俺も今気付いたんだ。すまない、俺の落ち度だ」
「クソ……」
「だが、向こうから案内してくれるんだ。お誘いに乗ってやるさ。もう、引き返せないだろうしな」
「引き返せないって――」
八瀬の含めるような言い方に釣られるように、番野は後ろを振り返った。すると、何やら不可解な感覚が彼の脳に侵入してきた。
(あ、れ……道が……)
今まで走って来た道が、視えなくなっていた。
見えてはいる。ただ、景色として見えるだけで、視認、認識ができなくなっていた。
「なん、だ……これ……」
燃えるような熱砂の只中で、蜃気楼のオアシスを眺めているような不思議な感覚。
「よせ、番野」
「--ッ」
呆けていた頭が、八瀬の声で再覚醒する。
「それ以上振り向くな。魔女に完全に掌握されちまうぞ。ただでさえ、俺達は『これこそ正しい道だ』と思い込んで誘われたんだからな。これ以上は危険だ」
「……ああ、ありがとう」
八瀬は、前方にうっすらと現れてきた城を見据えながら言う。
「奴らが何を目的に俺達を誘い込んだのかは分からねえ。だが、心配はいらねえよ。アイツらは上手くやる。俺達は、自分の心配だけしてりゃ良いんだよ」
「丸投げか。無責任だな」
「はっはっ! 辛辣だなぁ、おい。信頼していると言ってくれよ」
番野の指摘を愉快に笑い飛ばした八瀬だったが、その表情はすぐに引き締まったものになる。目の前に、とうとうそれが現れたからだ。
「いよいよ、だな」
八瀬が緊迫感に満ちた声で言った。
番野は、改めて《英雄》と初めて顔を合わせた時のことを思い返す。
(あのとき感じたアイツの雰囲気は、ただならないものだった。まったく太刀打ちできないんじゃないかと思う程、圧倒的だった。今の俺は、果たしてアイツと渡り合えるだけの実力を持っているのだろうか。……いや、もうそんなこと考えても仕方ないな)
フン、と番野は鼻で笑い、その場から一歩踏み出した。
「もういいのか、番野?」
その背中に、八瀬が呼び掛けた。それに、番野は振り返らずに答える。
「ああ。とっとと行って、とっとと片づけちまおうぜ」
「やれやれ。簡単に言ってくれるぜ、勇者様はよ」
「うるせえよ。俺は、《フリーター》だ」
城を真っ直ぐに見据えたまま、番野は笑った。
いよいよ、最大の決戦が幕を開けようとしていた。