第115話 異変
「では、続きと行こうか」
ガーランドは、戦意を喪失したヤングをちらと見てから言った。
「こちらが望む事は二つ。同盟への加盟と、今回の戦争を未然に防ぐ事だ。お前達が我々の加盟を認可した場合、我々の所有している魔法技術を提供しよう」
「なん、だって……!?」
すると、ガーランドの提示した条件に八瀬が大きく反応した。
彼は、王国憲兵団団長に就任してから間もないながらに四方四カ国同盟のおおよその欠点を理解していた。商業、軍事、工業、娯楽。同盟は、それら全ての要素を兼ね備えており、瞬く間に強大な力を得た。しかし、そんな彼らに足りなかった物。それは、即ち魔法技術。
一口にそう言っても、エーテル石の運用や、魔力を帯びた道具を作成するのに必要な魔力炉の開発など多岐に渡る。
現在、同盟に加盟している四カ国の中に、少なくともそれについての専門的な知識を有している国は無い。あって、初歩的な入門編といったところだ。
ところが、リュミエール皇国は、突然現れた謎の魔女ソーサレア=マナチャイルドによって、新興国にも関わらず、他国を突き放す程の勢いで発展した。その裏には、ソーサレアのもたらした超高度な魔法技術が関係していると噂されている。
だから、その事を理解している八瀬は、ここまであからさまな反応をしたのだ。いや、実際のところ、番野を除く他の人員もこれには相当な衝撃を受けたに違いない。
(魔法技術の提供、ねぇ。そっち方面の技術に乏しい俺らとしては実に美味しい話だが……何かしら、裏がある筈だ。同盟に加盟するって事以外に、何か……)
八瀬が顎に手をやる。
するとそこで、ファレスが手を挙げた。
「お主は、同盟への加盟と引き換えに魔法技術を提供すると言ったが、おおよそ何割を提供するつもりじゃ? 流石に全てとはいかんじゃろう?」
「もちろんだ。我々も馬鹿ではないからな。全てを譲り渡してしまえば、そのあとはもう捨てられて終わり、それぐらいは心得ている。まあ、“可能な限りは提供しよう”」
「ふむ……」
ガーランドの返答を受け、ファレスは未だ納得した様子は見せないものの、一旦引き下がる。
(“可能な限り”、と来たか。具体的にどの程度かってのが分からねえから判断が難しい……。まあ、聞いても無駄なんだろうけどよ……。だが)
八瀬は、ゴクリと唾を呑み、シュヴェルトからの質問に答えているガーランドを見る。
依然として彼は、強気な態度で応答している様に見える。
しかし、八瀬は、そんな彼に対して胸の内で何かの予感を感じていた。
(にしても、何だ、この感じ……。特に根拠は無いが、何か、嫌な予感がする……)
ガーランドは、そんな八瀬の考えなど気にもせず、シュヴェルトの質問に答えてどっかりと椅子に背を預けた。
(だが、見た限り奴におかしな所は見当たらねえ。ただの思い過ごしであってくれるとありがたいんだがな)
八瀬は、どこか気懸りのありそうな表情をしてその事について考えるのを止めた。
そして、周囲から問い掛けの気配が消えたのを見計らってガーランドがうんざりとした様子で言う。
「……聞きたい事はそれだけか? なら、俺からも話したい事があるのだが」
「ちょっと、待ってくれっ……。まだ聞きたい事がある」
そう、彼の言葉を遮るように言い出したのは番野だった。
ガーランドは、そんな番野を一度睨みつけて問い掛けを許可した。
「番野護、か。まあいい。早くしろ」
「分かった。じゃあ、単刀直入に聞く。このままアンタらとの講和が成立した場合、アンタらんとこの《英雄》に連れ去られた俺の仲間、美咲は帰って来るのか? それだけはなんとしても知りたい……!」
「ふむ……」
ガーランドが、番野の要求を受けて唸った。
番野は、その様子を今か今かと食い入るように見つめる。その唸りから得られる答えを。見透さんばかりに。
しかし。
「いや、すまん。それは俺も預かり知らん事だ。だが、我が王にはその旨伝えておこう。そして、なるべく貴様の要望が通るよう掛け合おう」
「そ、そう、か……。ああいや、ありがとう。頼む」
「先に断っておくが、絶対的な保証は無い。それでも構わんな?」
「ああ。頼んだ」
「よし」
そう小気味好く返事をして、ガーランドは懐から取り出した紙に何やら書き込んで行く。それは、無論先のやり取りだろう。
彼の回答に一度は残念そうにした番野だったが、その真摯な対応に評価を改めた。
(この男が言っているように、こんな物に絶対の保証は無い。だが、どうしてだかそれを信じてしまうのは、やっぱりそれだけ徳ってやつを積んでるからなんだろうか……? ま、これも漠然とした感想でしかないんだが)
そして、ガーランドがメモを取る手を止める。
すると、それまで静観を決めていたプランセスが口を開いた。
「もう、互いに言い争う事はありませんわね?」
その問いに対し、全員が沈黙で答える。
場の意見が出揃った。皆が自国の被害を最小限に抑えるために動き、前に進もうとしている。
(なんて、良いのでしょうか……。もっと早く、こうして……)
「それでは、四方四カ国同盟とリュミエール皇国間における戦争の講和会議を始めまーー」
それがもし、この場に居ない人間もそうだったとしたら。きっと、こんな事態は起こっていなかっただろう。
ーーぐじゅり。
「が、ば……??」
突然、肉の潰れる音と、痛みを孕んだ困惑の声。
突然だった。
反対側に座っていたプランセスの顔にも、点々と熱い紅化粧がされた。
「そん、な……」
そして、番野は見た。ガーランド=クロムウェルの分厚い胸板から、幾本もの鉄槍が突き出ているのを。
「……オイオイオイ!! なんだよこりゃあっ!!?」
八瀬が、目の前の光景に半狂乱の声を上げ、その波紋は一挙に場を振動させる。
「これは……、ワシの目の前でなにが起こっとるんじゃあっ!?」
「なにが、急に槍が……」
「ふむ……」
しかし、半狂乱状態の三人とは裏腹に、異常なまでに落ち着いた様子を見せる二人が居た。シュヴェルトとアルゼレイだ。
シュヴェルトは、アルゼレイの側まで歩み寄って耳打ちする。
「アルゼレイ殿。貴殿はこれをどう見る?」
「……うん。これは、完全にあちらさんの『魔女』にしてやられたと考えて良いだろうね。あれはどう見ても何らかの魔法による物だろうけど、ボクにも魔力反応が一切感知できなかった。いろいろ方法は考えられるけれど、今はそれよりもこれによって物事が最悪の方向に進んでしまう事に目を向ける方が賢明だろう」
「なるほど。やはり貴殿も私と同じ意見でしたか。では、あとは向こうの思惑ですが……」
「簡単に言えば大義名分作りだろう。『交渉に向かわせた特使が敵方の城内で殺害された』って……これ以上無いくらいに完璧な大義名分だよね、これ」
「ええ。そして、最悪の事態はこれに他の国までもが触発されて私達の敵に回るという事です。正直、リュミエールに他の国の戦力が加わるとなるとかなり勝算が薄くなります」
「証拠さえ掴めれば良かったんだけどねぇ……。まったく、舐めた真似をしてくれたもんだ……」
そう呟いたアルゼレイは、凍土の如く冷酷な微笑を浮かべていた。
「ガーランド!!」
「ごはっっ……」
二人がそうしている内にも事態は加速して行く。
ガーランドが、口から大量の血の塊を吐き、清純そのものだった円卓が血に染まった。そこに番野がすかさず駆け寄って治癒魔法を掛けようとするが、ガーランドがその手を止めた。
「止めろ……」
「なんでだ!」
「恐らくこの様子では、俺の体にまだ何やら仕込まれているやもしれん……。だ、から、止めておけ……」
「くっ……」
「は、はっ……。俺は、体良く……利用、されたということ、か……」
その時ガーランドは、自虐に頬を緩めた。いつの時代も、愚かな平和主義者はカモにされるのがオチなのだろうと。王に進言したあの日の自分を嗤った。
そして、彼は言葉を紡ぐ。最期まで、失血に震える筋肉を必死に動かして。伝えるべき事を、今度こそ国を救ってくれると信じた人物に伝えようと。
「『魔女』、だ……」
「なに?」
「あの『魔女』、が……王を変え、た……。やつが、すべ、て、を……ッッ!!?」
ーーどずどずっ。
ところが、無情にもその言葉は胸に生えた新たな二本の槍によって途切れた。ガーランドは、ぐったりと突然糸の切れた操り人形のように前に崩れ落ちる。
「な、おいっ……!?」
番野は、すかさずその体を支え、口元に手をやる。
--しかし、待ち望んだ結果は得られず。ただ、その腕には人間の純粋な重みだけがのしかかってきた。
番野は、命が消えて行く感覚を肌で味わった。
そうして次の瞬間、彼の内に込み上げて来たのは憤りだった。何故、こんなにも正しい人間が利用されて死ななければならないのか。 そんな、あまりにも正直で真っ直ぐな憤りだった。
「なん、で……。なんで、アンタが……! アンタは、国民の事を思ってここに来た筈なのに……なんでアンタが殺されるんだよっ……!!」
『リュミエール皇国親衛隊長』ガーランド=クロムウェルの変死。この事実は、同盟と皇国間における戦争の開戦を加速させる意味合いと同時に、さらなる激戦へと誘う最大の布石となるのだった。