第112話 死神の足音
同日、夜。
とある魔法使いは、自室で研究に没頭していた。
それは、人を殺すための研究。対象を呪い、その果てに周囲の人間諸共を破壊し尽くす邪法の極致。
全ては復讐のため。
彼の少年を絶望に落とすため。
世界でたった一人の男を、自らの手に取り戻すため。
目の前であの憎たらしい少女が惨たらしく散り果てる様を見れば、彼は自分の元に戻って来る筈だ。
そう信じ、嫉妬に狂った魔女は今日も研究に励む。
全ては復讐のため。
世界最高の《英雄》を、自らの手にするため。
日付が変わる。
全面戦争の刻が迫る音を、彼女はまるで死神の足音の様に錯覚した。
【決戦の日まで、あと四日】
○ ○ ○
翌日。何者かに精神世界に招かれる事無く、思いの外平凡な朝を迎えた番野は、プランセスや八瀬達と朝食を済ませて城内の医務室に向かっていた。
そこでは、昨日の番野との戦闘で負傷した四方四カ国同盟の最高戦力達が各々の傷を癒している。
(これから一緒に戦うんだから、なるべくなら遺恨は残しておきたくない。仕方無かったとはいえ、向こうの主張を力でねじ伏せた事に変わりはないからな。見舞いは行っておいた方が良いだろ)
自分のした事を悪いとは思っていない。その考えは、全力を尽くして戦った彼らに対して失礼だと思ったからだ。
だから、ちょっとした顔合わせぐらいのつもりで行こう。
番野は、そう心に決めてドアをノックした。
丁寧に、二回。
するとすぐ、部屋の中から応答があった。
『入れ』
ドア越しだったため声がくぐもってはいたが、口調と凛とした声からそれがシュヴェルトの物だと番野は理解した。
同時に、そのどこにも妙な“引っかかり”を感じなかったため、ホッと安堵した。
「し、失礼しまーす」
どこか遠慮がちな声。しかし、それは後ろめたさから発せられた物ではない。新しい仲間と顔を合わせる時の気恥ずかしさによる物だと言えるだろう。
ところがーー
「な、ァ……」
部屋の中を見た番野は、実際の室内の様子と自身の想定とのあまりの温度差に呆然と立ち尽くした。
「ぬおおおおおおっっ!!」
「うおおああああっっ!!?」
「…………」
そこには、一つのテーブルを挟んで互いの手を掴み、相手の手を机上に叩きつけようと奮闘している二人の漢とそれを整然とした態度で見守る一人の女の姿があった。
凄まじい熱気と気迫。両者の意地が鬩ぎ合い、その余波が室内の空気をビリビリと震わせる。
「ぬぅぅうううううんっっ!!?」
「ぐ、おおおおおおっっ!!」
まさに、一進一退の攻防。片方が押し込めば、もう片方が負けじとそれを押し返す。
そして、凄まじいと言えばその漢二人だけではない。この戦いを顔色一つ変えず黙々と見守る女の方もまた凄まじいと言えよう。
(す、すごい……! なんて……なんて……)
番野も、思わずゴクリと唾を飲んだ。そして、その熱気に浮かされるように拳をグッと握った。
(なんて、無駄な熱い戦いをしているんだっ!!?)
そうして、しばらく繰り広げられていた熾烈な戦いは突如として決着を迎えようとしていた。
「ふんぬっっ!!!」
「ッ、うお……!?」
気合いの一喝と共に隆々とした肉体の老齢の漢が一気にスパートをかける。
すると、対する若者は予想していなかったその攻撃に僅かに反応が遅れてしまい、ゴキリという音と共にあえなく机上に手を沈められた。
「勝者、ファレス=ウィレム」
「ふん……」
「ッ、ぉぉぉぉ……!! イッテェェェ……」
勝利の宣告が為され、老齢の漢が満足そうに鼻を鳴らし、敗れた若者は自身の手を押さえて呻きながら床を転げ回る。
そんな様子を見ながら、番野は湧き上がる疑問を間欠泉の様に噴き出させた。
「あ、アンタラ何やってんだぁぁぁ!!?」
○ ○ ○
「いやー、すまぬな。どうも、そこな若僧がワシと力勝負をしたいと言うのでなぁ。しばし遊んでおったところよ」
そう言って、老齢の漢--ファレス=ウィレムは筋肉が発達した大きな体に似合った大声でガハハと笑った。
それに続くように、若者--ヤング=アダムスが手首を軽く回しつつ言う。
「つーかよお。このジジイ、本気で加減を知らねえんじゃねえかって疑っちまうぜ。あれで手首が逝ったらどうするつもりだったんだっての」
「アンタら、体の方は大丈夫なのか……? ついさっきまで戦ってた筈だろ?」
番野が心配そうに尋ねるが、そんなものはどこ吹く風。ヤングがテーブルを元の位置に戻していると、ファレスに至ってはシュヴェルトにも腕相撲を申し込もうとする始末だ。
番野は、心配して損したなと思う反面、彼らのタフさに感服した。
すると、ファレスからの対戦申し込みを蹴ったシュヴェルトが番野の元に来て言った。
「不思議なものだろう? 皆あれほどはしゃいではいるが、実際のところ体力は完全には回復しきっていない。治ったのは回復魔法で治療可能な体内外の傷だけ。キミがここに来ると分かった時点で、私が急いで用意したんだ」
「アンタも絡んでたのかよ……。ていうか、やる事がたまに幼稚過ぎて方向性が分からなくなってくるんだが……」
「そうか? たまにはハメを外すのも悪くないとおもうがな、私は。無論、外し過ぎるのは問題だが」
「キャラが変わり過ぎるのは問題じゃないのかよ。でもまあ、そうだな……」
そこで番野は、彼らが何故いきなり腕相撲を始めようと思ったのかを考えた。そしてその答えは、彼が思っていたよりも早く出た。
だから、番野は三人のその心遣いに感謝の言葉で以って応えた。
「ありがとな、三人共。またこれから、よろしく頼む!」
そう言って番野が丁寧に頭を下げると、その肩にシュヴェルトが、ポンと手を置いた。
「ああ。こちらこそよろしく頼む」
シュヴェルトの返事に、番野は、ハッと顔を上げる。
すると、他の二人も彼女に続くように決意を口にする。
「ワシもじゃ。至らぬところもあるとは思うが、この老体で良ければ是非とも使ってくれ」
「おう。オレもしっかり手伝うからよ、アイツの憎ったらしい顔面をぶん殴って来い!」
ファレスは、控えめな言葉とは裏腹に筋肉をビルドアップさせながら。ヤングは、拳を作って何者かを殴るジェスチャーを加えて。それぞれ特徴的に、番野への助力を表明した。
「…………」
その様子があまりにもおかしくて、面白くて。思わず吹き出してしまいそうになったが、何故だか笑えず、胸が熱くなるのを感じた。
(これ以上は、ダメだな……)
そう思い、番野は踵を返した。
本当はもっと話していたかったけれど、この顔を見せる訳にはいかない。
しかし、これだけは言っておこうと、申し訳ないと思いつつ背中越しに言った。
「……ありがとう!」
それだけ言って、番野は医務室を後にした。
初めは、この後に日課の鍛錬をと考えていたのだが、今は少し心を落ち着けようと思って自室に向かった。
【決戦の日まで、あと三日】