第110話 確かな光を得て
『で、また来た訳だ』
その声は、文面とは裏腹に少し嬉しそうにも聞こえた。
空、地面に至るまでの全てがどこまでも白いこの空間は、果てがあるのかすら怪しい。
そうすると、先の声に反論する声が上がる。
「うるせえ! 俺だって来たくて来てるんじゃないんだよ。そもそも、アンタが俺の意識を呼び出したんだろうが。だから、俺がアンタにとやかく言われる筋合いは無い」
反論した声の主ーー番野護は、腕組みをしてキッパリと言い張った。
『おやおや、どうやらご立腹のようだね。どうしたんだい、そんなに怒って。ボクがキミに何かしたかい?』
「アンタの召喚したガイコツのせいで今死にかけてんだよ、俺は! 殺しは御法度じゃなかったのか!?」
『それを言ったらキミだってボクの事を一回殺してるじゃないか。だからおあいこだよ、おあいこ……ん?』
と、ヘラヘラとしていた声が突然困惑に染まった。
謎の声は、恐る恐るといった様子で番野に尋ねる。
『え、と……もしかして気付いてたりする……?』
「あったりまえだろ、アルゼレイ。あれだけ声を聞いてれば嫌でも覚える。それに、バレたくないなら人称ぐらい変えろよ」
『ハァ……』
番野に指摘され、謎の声ーーアルゼレイ=クラレッサは諦念に息を吐いた。
どうやら、自身の声で正体がバレるとは思っていなかったようだ。
(人を見くびり過ぎなんだよ、アンタは……)
番野は心中でアルゼレイをそう批評した。
とは言え、それを本人に追及したところで“話”は先には進まない。『遊興屋』と称され、同時に揶揄される存在である彼が何の目的も無しにこのような場所に誰かを招く筈が無いからだ。
故に、番野は早速本題に入った。
「で、俺をここに呼んだ理由は? あるんだろ、目的が」
『ふうむ。もう少し会話を楽しもうと思っていたんだけれどね。仕方ない。お嬢さんがキミの蘇生を始めたみたいだから、それなりに急ぐとしよう。
今回、ボクがキミを呼び出したのには二つ理由がある。
一つは、知っての通りキミに復活のチャンスを与えるため。
そしてもう一つが、表立ってはできない話をするためさ』
「表立ってはできない話、だって……?」
『そうさ。だって、これから話そうとしてる内容は、絶対に信用できる人間にしか話してはならないような事だからね』
アルゼレイの不穏な物言いに、番野は眉をひそめた。
「オイ。その言い方だと、アンタは誰も信用してないみたいに聞こえるぞ?」
番野の糾弾にも似た言い方に対し、アルゼレイは何の感情の起伏も無く答えた。
『そうだよ? ボクは、現時点でキミ以外の誰も信用していない』
「なんだと……?」
声に、自然と敵意が混じる。
同時に生じるのは二つの疑問。
何故、自分の仲間を信じないのか。
何故、俺だけを信用しているのか。
アルゼレイが嗤う。
『アハハ。ああ、分かるよ。今、キミが抱いている疑問が手に取るように分かるとも』
「答えが分からなくて困っている生徒を笑う先生は人気出ないぜ?」
『ゴメンゴメン。だけれど、疑問には後で答えさせてくれ。今はこっちの方が重要だ』
「もし、つまらない話だったら戻った後でもう一回さっきの食らわしてやるからな」
『本当に口が減らないね〜キミは。ま、いいけどね。さて……』
『遊興屋』が、そう前置きをした、その時。彼と番野のいる白い空間の全てが、一挙に『遊興屋』の独壇場と化した。
招かれた者は、彼の遊戯を見届けるただの観客に徹するのみ。
『ボクがこれから話すのは、キミの事についてだよ、番野護くん。いや、正確にはキミの職業についてかな』
「俺の職業についてだって? 初めての時もだが、どうしてアンタは俺のーー」
職業に詳しいんだ? と言いかけて、止めた。
番野も流石に学習し始めていた。今この場でそれを聞いたところで、この男がまともな答えを寄越すとは思えないという事を。
(こいつも後で聞いてやろう。聞いていい疑問の数は指定されてないからな)
すると、番野の考えを感じ取ったのか、アルゼレイが短く息を吐いた。
『ふぅ。それじゃ、本題に入ろうか。前回キミを呼び出した時にボクがした話は覚えているかい?』
「ああ。《フリーター》は、俺が一度見たり、体験した事のある職業に『転職』する事ができるってやつだろ? あれはとても役に立ってるよ」
事実、これまで『転職』によって切り抜けて来た戦闘は多々ある。あそこでアルゼレイに『転職』の存在を教わっていなかったならば、今この場に番野はいなかっただろう。
それこそ、彼を命の恩人と呼んでも不自然でない程に。
そんな番野の記憶に、対するアルゼレイは『けれど』と前置きして告白する。
『その事なんだけどね。実は、あの時ボクはキミに全てを教えた訳ではないんだ。《フリーター》には、あともう一つ能力がある』
「なに……!?」
アルゼレイの口から発せられた情報に、番野は思わず目を見開いた。
(『転職』以外の、能力だって……!?)
それは、好奇心か怒りか。番野は、いつの間にか足を一歩踏み出していた。
『それは、「昇格」と呼ばれるものだ』
「『昇格』……」
『能力は、「現時点でなっている職業の上位互換の職業になれる」というものだよ。つまり、《勇者》の状態で「昇格」を使えば、《勇者》よりもさらに強力な職業になれるって事だね』
「《勇者》よりも、さらに強く……」
その時。ポツリと、番野が呟きを漏らした。
「なら、あの時……」
思い出されるのは屈辱の記憶。《英雄》に力及ばず、美咲ただ一人を救えなかった後悔の感情。
『ん?』
その呟きに、アルゼレイが聞き返した。
「ッッッ……!!」
恐らくは、それが引鉄となったのだろう。
番野は、震える手を握り激昂した。
「なら、どうしてもっと早くそれを教えてくれなかった!? あの時点で『昇格』を知っていれば、美咲を助け出せたかもしれないんだぞ!! そうすればアイツを、泣かさずに済んだかもしれないんだぞ!?」
『…………』
アルゼレイは、番野の訴えを正面から受け止めた。何も言わず、ただ静かにその憤怒を噛み締め、番野に告げた。
『いや、無理だね』
「ハ……?」
それは、謝罪ではなかった。
冷酷な拒絶。
無慈悲な否定。
全く予想だにしていなかった彼の言葉に、番野は信じられないといった感情を通り越して無表情になっていた。
恐らく、この世界でアルゼレイに実体があったならば、彼は今人差し指を立てている事だろう。
アルゼレイは、『キミは知っているかい?』と言って切り出した。
『賭け事において「レイズ」とは、自分の賭け金をさらに上乗せしてより多くの利益を狙う行為の事を言う。けれど、その分リスクは無尽蔵に膨れ上がる。“大勝”か“大損”か、そのどちらかだ。
つまり、「昇格」もこれと同じような物でね。通常の倍以上の体力を消耗する代わりに、強制的に上位の職業になれるというだけなのさ。だから、もし「昇格」を使って相手に勝てば“大勝”。負ければ“大損”だ。ま、場合によっては支払う代償と利益が釣り合わなくなるけどね』
「オイ待て……。それじゃあ、何が“無理”なのかの説明になってねえぞ……!」
『あれ、ここまで言っても分からない? それじゃ、ボクの口からハッキリ言っちゃうけど良いの?』
「早く言え……!」
『じゃ、遠慮なく』
そうして一つ息を吸い、アルゼレイは言った。
『あの時のキミでは、「昇格」を使ったところで《英雄》に勝てる可能性は微塵も存在しなかったからだよ』
「なっ……」
『それともこう言った方が良いかな? あの時のキミが使ったところで一〇秒と保たなかっただろう。それだけ、キミは弱過ぎた』
「テメーー」
『でも、事実だろう? キミは、あの魔女にすら勝てなかった。なんなら、抵抗はできたかい? できなかったよね? それが、あの時のキミの実力の全てだよ』
「ぐ……」
番野は悔しさに奥歯を噛み締める。
(悔しいが、コイツの言ってる事はすべて事実だ……。だが、それを加味するならーー)
「アンタは、あの戦いを見てたのか……?」
『そうだとも。ボクはあの戦いの一部始終を“見ていて”、頃合いを見計らってキミを回収した。いやホント苦労したよ。五回は死んだかな、あの時は』
「…………」
軽口混じりのアルゼレイの言葉を受けて、番野はようやく受け入れた。彼の言葉を。自身の無力さを。
『けれどね、番野護くん。そこまで悲嘆する事は無い』
「え……?」
その時、番野は一転して優しささえも感じさせるアルゼレイの声を聞いた。
アルゼレイは、顔を上げた番野に言う。
『ボクは言った筈だ。“あの時は”、と。つまり、だ。今のキミになら、「昇格」を十分に扱う事ができる。だが、これだけは言っておこう。使いどころを間違えない事だ。「昇格」は、キミの想像よりも遥かに消耗が激しい。二度目は無いと、考えておくんだね』
「アルゼレイ……」
『さて、時間だ。目覚めたら、夏目のお嬢ちゃんにきちんとお礼を言う事だ。いいね?』
それが、アルゼレイがこの場で番野に伝えようとしていた最後の言葉だったのだろう。それを察した番野は、一際大きな声でアルゼレイを引き止めた。
「アルゼレイ、ちょっと待て!」
『お、どうかしたかい? 要件なら早めに……』
「ありがとう!」
『……どういたしまして。番野護くん」
そのやり取りを最後に、番野の意識は再び現実へと引き戻される。
しかし、今度は限り無い暗闇を手掛かりも無しに進むのではない。その手に確かな希望を持って、《フリーター》は再び目を覚ます。