第109話 万感の感謝を
「さあて、という訳で番野くんが見事ボク達四人を打倒したんだけども!」
「…………」
戦闘終了後、当然のように結界は解除された。
番野は内心で一先ずの安堵と達成感を味わいながら、何かしら労いの言葉を期待していたがしかし、そんな彼の前に現れたのはやけに調子の良さそうなアルゼレイだった。
(待て待て。何でコイツはこんなピンピンしてるんだ? ついさっき灰になって死んだばっかりじゃなかったか? そうだよな?)
あまりに元気なアルゼレイに、番野は思わず先程の戦いに不安を感じる。
もしかして、自分は手を抜かれていたんじゃないのか、と。
(そういえばそうだ。どうして俺は、あんな簡単にアルゼレイの横腹を突けた? 油断? 慢心? それともーー)
「コラ」
ポコン。
不信に支配されようとしていた番野の思考は、そんな頭部への軽い衝撃によって中断された。
「あ、へ……?」
呆けた表情で横を向くと、そこには手をチョップの形にしたアルゼレイの姿があった。
彼は目を弓なりに細めてポンポンと番野の肩を叩く。
「いやー、実のところボクってそこまで近接戦は得意じゃないんだよね。泥くさいのを見るのは好きだけど、自分がそれに巻き込まれるのは嫌いだし。ま、多少の侮りが無かったとは言えないけれど、あれは確かにキミの実力だ。そこはちゃんと自信を持ち給え」
「なんだ、アンタ超能力者か? 他人の脳内勝手に読み取ってんじゃねえよ」
「うーん。真祖としての能力はあるけれど、超能力とは違うね。いや、でも死者を召喚したりするのはキミ達人間から見たら十分超能力と言えるかな。ま、ボクにとってはどうでもいい事なんだけど。そんな事より、だ」
そう言って、アルゼレイは番野の両肩を掴んで後ろを向かせる。
「っとと。おい、急に何するんだ」
「いいから、ほら。キミの大事なお友達から話があるみたいだよ?」
番野の非難する様な言葉に、しかしアルゼレイは前方を向くよう促す。
番野は口に不満を溜め込みながらもそれに従って前を見た。
「八瀬……」
「…………」
そこにいた人物ーー八瀬は、唇を噛み締め、悔しさが隠しきれていない表情で立っていた。
番野には、何故彼がこんな表情をしているのかは容易に想像できた。
このような状況を生んでしまった事への悔しさ。
友人の身を外から案じる事しかできなかった悔しさ。
それなのに、何度もダメかもしれないと思ってしまった事への悔しさ。
そんな積もりに積もった八瀬の感情を感じ取り、番野は表情を少し曇らせる。
(いやいや、俺まで暗い顔してどうするんだよ! ダメだダメだ、俺がしっかりしねえと!)
しかし、番野は頭に浮かんだネガティブな思考を取り払う様に首を振り、両手で頬を張った。
「番野……?」
突然気合いを入れ始めた番野を、八瀬が不思議そうな顔で見る。
番野は、ふぅ、と一息つき、笑った。
「悪い。心配かけたな」
「…………」
一瞬の思考の停滞。
そしてーー
「何、が……」
困惑。
今はただ、それだけが八瀬の感情を支配していた。
八瀬が、血を吐く様に番野に言う。
「どうして、お前が……。なんでお前が、謝んだよ……! こうなったのは、俺のせいなのに。お前が、そんな目に遭ったのは……俺の、俺のせいなんだぞ……!? それなのに……」
番野は、その訴えを黙って聞いていた。
確かに、彼の抱いている感情は理解できた。だが、背負っている責任感までは分からなかった。
自分が招いた事態の収拾を他人に任せるしかない状況だ。普通なら、自分が土下座でもして謝りこそすれ、解決してくれた人物に逆に謝られるという事はあり得ない。あってはならない。
殴られても構わないとさえ思っていた八瀬にとって、番野に謝られるのはこれまでに無い程の肩透かしであり、侮辱にも等しいと感じられた。
それによる疑念、さらには敵意にすら変わり得る不信が今の彼を支配している。
(だが、それは八瀬がそれだけ優しい奴だって事の証明だ。こうして人に向けられた善意にすら不信感を抱いてしまう程、コイツは心に負担を感じていた)
番野の心に再び元凶に対しての怒りが湧き上がる。
が、今は怒っても仕方無いと割り切る。この事は、後で直接追及してやろうと心に秘めて。
そうして番野は八瀬が最後に発した疑問に答えるべく口を開いた。
「単純に『心配かけたかな』って思っただけだよ。だって、ただでさえ強い最高戦力四人と連戦で、シュヴェルトなんか本気で殺しに来てたし。そりゃ、何回も死ぬかもしれないと思ったさ。でも、その分お前も心配してんのかなって勝手に思ってたんだよ。まあ、自惚れで済まなくて良かったと思ってるよ。
それに、だ」
「え……?」
「俺は、俺がそうしたかったからあの四人と戦ったんだ。俺が勝手にやった事で人に心配かけたんだから、謝るのが当然だろ? だから。だからな、八瀬。お前は、何一つ悪くない」
「ッ……」
息の詰まる音が聞こえる。
番野の言葉が、八瀬にとってそれだけの衝撃を与えるに値するものだったのだろうか。
そこで、番野は一転して声の調子を上げて続ける。
「しかもだぜ? あの四人を倒して、さらに強くなれた気がするんだ! だからよ、お前には感謝してるぐらいだ!」
「つが、の……」
そう言い、番野は八瀬の肩をバシンと叩いた。
それにより、俯いていた八瀬が驚いたように顔を上げる。
番野は、そんな彼に、ニッと笑いかけて言った。
「だから、そんな顔すんなよ。お前はいつも通りの自信に満ちた顔が似合ってる」
「…………」
完全に意表を突かれた。八瀬は初め、そんな顔をしていた。そして、同時にそれを自覚してもいた。
やがて頭に掛かっていたモヤが晴れ、脳が番野の言葉を正しく理解し始める。
そうして頭に浮かんだのはーー
(カッケェなぁ、クソ……)
番野への、心からの称賛だった。
八瀬は、目から零れ落ちる熱い汗を拭い、改めて番野と向き合った。
(いろいろと考えてはみたが、やっぱコイツしか思い付かねえや)
面と向かって、さらに心からその言葉を他人に言うのは、彼にとっては恐らくこれが初めてだろう。
伝えよう。負の感情の全てが転化した、万感の感謝を。
八瀬は、少し躊躇いがちに、しかしあまり視線を外さないようにして言う。
「……番野、ありがーー」
ところが、その言葉は途中で途絶えた。
八瀬本人の身に異変があったのではない。
ずるりと、滑り落ちる様に番野が地面に崩れ落ちたからだ。
「ぁ……は……?」
疑問が、出来損ないの呼吸となって口から漏れ出る。
オカシイ。
いつの間にか体が横になっている。それに、視界も、頭もぐらぐら揺れている。
ぐるぐると混濁して行く意識の中で、番野はツンと鼻腔を突く鉄に似た臭いを感じた。
さらに、腹にジクジクとしたむず痒い痛み。そこからどんどん力が抜け出て行く様な感覚を覚えて、初めて番野は自分が腹を切られていた事に気付いた。
(あの、ときか……)
思い当たるのは、アルゼレイの骸らに群がられた時。あの時、入り乱れる剣や槍、矢によって少なからず番野の体は傷を負った。
しかし、極度の緊張状態にあったためか、痛みのほとんどがアドレナリンによって誤魔化されていたのだろう。それが、このような大量出血に繋がる傷の存在を番野自身に気付かせなかった要因だ。
徐々に、徐々に末端の方から力が抜けていく。
傷口から流れ出て、地面に染み込んで行く血液と共に。
「おーー、つがーー」
「ぁ、か……」
何かが聞こえる。叫んでいるのだろうか。
どちらにしろ、今の番野にそれは正しい言語として伝わらない。
思考回路はおろか、神経もほとんど機能していない。
「ーー……」
そして、また落ちて行く。ふわふわと柔らかい微睡みの奥底、底無し沼の様な深淵へとーー。