第104話 どちらの意地か
「な、にが……」
ヤングは、密林に隠れた空の代わりに番野の姿を仰ぎ見ながら呟いた。
番野が一体何をしたのか、番野に一体何をされたのか、微塵も理解できなかった。
それもその筈。
なぜなら、根本からヤングの認識が誤っているからだ。
ヤングは、番野を剣で攻撃したと思い込んでいるが、実際には攻撃すらできていなかった。
ヤングが一直線に番野の目の前まで移動した瞬間、番野が非常に緩やかなスピードで、しかしヤングの死角に入り込む様に、右手をヤングの顎に当てたのだ。
それによって、ヤングの動きは急停止させられる。
だが、全速力で移動していたために、移動速度がそのまま衝撃となって顎に直撃、脳震盪を引き起こした。
「が、ァァああァぁアア!!」
そして、通常なら、脳震盪になってしまうと脳を揺さぶられたせいでまともに動く事は困難な筈だ。
だが、ヤングはクラクラと揺れる視界に構わず、気力で起き上がった。
「せああッ!」
起き上がりざま、ヤングは剣を横に薙いで攻撃を仕掛ける。
しかし、その攻撃は目を瞑っている筈の番野に易々と躱されーー
「が、ぁぐ、があああああ!!?」
ゴキリ、と、利き腕の肘をへし折られた。
○ ○ ○
完全に身体能力が凌駕されている以上、まともに戦ったところで自身の敗北は確実だ。
そう、ヤングと打ち合った番野は確信した。
だから、番野は“目で動きを追う事”を止めた。
まず、目で視認する代わりに、感じ取る事にした。攻撃の瞬間、誰であろうと必ず発する殺気を。
そして、容赦する事を止めた。長引けば、いずれ身体能力で劣る自分が先に体力切れで負けるから、それよりも早く終わらせる。
だから、真っ先に利き腕を破壊したのだ。
「が、ァァああァぁアア!!?」
肘を破壊された激痛から、ヤングが思わず剣を手放す。
(悪いとは思わない。初めから、容赦して勝てる相手じゃなかったんだ)
番野は、必死にそう自身に言い聞かせた。
「やってくれたなぁ、オイ……。だがよ、利き腕を奪ったところで、オレにはまだ左腕があるんだぜ? だから、まだオレは負けてねえ!!」
その時、番野は、自身の頭上に殺気を感じ取った。
(状況的に考えて、これは袈裟斬りだ)
番野は、僅かに体を反らせて、当たるか当たらないかのところでの回避を試みる。
そして、武器が鼻先を通り過ぎて行く風を感じーー
「ぐあッ……!?」
自身の背中の肉が抉られる痛みを感じた。
堪らず番野は、目を開く。
すると、正面には、全体的に棘の様な鋭い刃の付いた鞭を片手に持っているヤングの姿があった。
(そういう事か……。武器は生き物じゃないから、殺気なんて発さない。思ったより早くカラクリがバレたな。
これで、試合は振り出しに戻った。いや、こいつは利き腕を使えないから、やっとトントンか)
鞭に付いている小さな刃は、標的に当たった瞬間その身に食い込み、離れる時に肉ごと抉り取って行く。非常に危険な武器だ。
「そらッ!」
バチン、と、ヤングの鞭が唸りを上げて番野を襲う。
「ーーがっ!? ……クソッ」
初撃は何とか避ける事ができるが、しなる鞭による二撃目を回避する事ができず、右ふくらはぎに当たった。
番野は、すぐさま後退しようとする。
ところが、足に力が入らず、ぐらりとバランスを崩してしまった。
「え……?」
戦いに夢中になっていたために、足の肉が抉り取られた痛みに気付けなかったのだ。
「しまっーー」
その刹那。
「お返しだ!!」
「ご、っ……!?」
ヤングが、鉄でできたグリップエンドで番野の額を痛烈に殴打した。
額が裂け、そこから血が流れ出す。
チカチカと明滅する視界と覚束ない足腰が、番野に自身の敗北を強く感じさせた。
「あー……いってぇ……」
自然と、そんな言葉が番野の口から漏れていた。
(ここで諦めたら、楽になれんのかな?)
ゆらりと後ろに倒れながら、番野は思う。
(ファレスのパンチで、多分何本か骨にヒビ入ってるだろうし、こいつに蹴られた背中もまだ痛む。何より、もう体力が限界だ……。
痛いし、キツイし、死にそうだ。俺、どうしてこんな頑張ってるんだっけ? 誰かに強いられてる訳じゃないし、もう休むか……)
そのまま大の字に倒れ、番野は眠気に任せて目を閉じようとする。
そうだ。このまま寝てしまえば、これでやっと楽になれる。
(……なんて、思ってたんだけどなぁ)
○ ○ ○
「はぁぁ……」
(終わった、か)
ヤングは、大の字になって地面に横たわる番野を見て思った。
(あの一撃は、下手すりゃ死んでもおかしくない衝撃だった。それでもまだ息してるっつー事は、相当丈夫な体を持ってるらしい。だが、頭蓋骨にヒビぐらいは入ってるかもしれねえな)
そんじゃ帰るかと、ヤングは背中に鞭をしまい、踵を返したーーその時だった。
ゾクリとした悪寒がヤングの全身を撫でるのと共に、後ろから肩を掴まれ、無理矢理振り向かせられる。
その背後には、血で顔を真っ赤に染めた番野の姿があった。
「オイ。意識を失ってるか分からない敵に背中向けるとか、ちょっと甘いんじゃねえの……?」
「ぐ、ぶッ……!?」
ヤングは、前頭部に強烈な衝撃を受けた。
○ ○ ○
ヤングの肩を掴み、無理矢理振り向かせた瞬間。
「オイ。意識を失ってるか分からない敵に背中向けるとか、ちょっと甘いんじゃねえの……?」
手をヤングの襟に持ち替えて、番野は頭突きを放った。
「ぐ、ぶッ……!?」
多大な衝撃で額の傷がさらに広がり、一瞬ぐらりと視界が揺らぐが、番野はそれらを無視する。
自身のダメージはそうだが、頭突きに対して受ける準備が全くできていなかったヤングの方がダメージが大きいためだ。
「うぁぁあああああ!!」
大きく態勢を崩したヤングの顔面に、番野の右拳が突き刺さる。
「うぐああっ!?」
番野の右ストレートをまともに食らったヤングは、よたよたとたたらを踏むが、何とか踏みと止まる。
「おおおおお!」
「く、そが……!」
雄叫びを上げて追撃をしてくる番野を迎え撃つ態勢を取りながら、ヤングは番野に問う。
「なんで……! どうしてあのまま倒れていなかった!? あれは、死んでもおかしくない一撃だったんだぞ!」
「確かにそうなんだろうぜ! ああ、実際気絶しそうだったからなあ!」
「それなら、どうしてまた立ち上がった!」
「笑って欲しいから!」
「あ!?」
至近まで接近した番野は、追撃の軸となる右足を強く踏み込む。
それだけで周囲の地面が振動し、樹木がたわむ。
番野に合わせる様に、ヤングも軸足を踏み込んでカウンターを狙う。
両者の意地が激突する。
「うぉぉおおおおおお!!」
「せああああああああ!!」
番野の拳は、的確にヤングの顎を。
ヤングの拳は、真っ直ぐに番野のこめかみ付近を打った。
「が、っ……」
「ぐ……」
双方の体がぐらりと揺れ、しかし、勝者だけがその場に立っていた。
ただ一人の勝者は、力無く地面に横たわる敗者を見下ろして言った。
「俺は、自己満足のために戦ってるからな。あの時、俺のせいで泣かせてしまったあいつをまた笑顔にするまで、俺は満足できないんだよ」
そうして、また世界は移り変わる。