第103話 対《傭兵》
番野がファレスを打倒してすぐ、世界はまた変容を始めた。
青々とした空が急激に暗転し、砂がひとりでに宙を舞い始める。
そして、その世界を構成していた空間がぐにゃりと歪んで行く。
常識では考えられないそんな現象だが、番野はこれにどこか既視感を覚えた。
(これ、夏目の空間転移に似てるな。いや、夏目の方が少し荒いか)
○ ○ ○
「……くちゅんっ」
「お? どうした風邪か? 夏目っちにしては珍しいじゃん」
「いえ。何と言うか、誰かが噂をした様な気がしまして。悪口みたいな」
「ふーん」
○ ○ ○
変容が終わり、次の戦いの舞台が整った。
『砂漠』の次は、高温高湿度で、アウセッツ王国周辺の森林では見る事のできない熱帯固有の樹木が原生している『熱帯雨林』だ。
樹木の質感だけでなく、気温や湿度までもが忠実に再現されているため、早速噴き出てきた額の汗を番野は袖で拭った。
(暑いな……。ここまでリアルに再現できるとは、恐れ入ったぜ。……と、あまりゆっくりしてられる時間も無さそうだ)
番野は、目の前に現れた人影を見て身構える。
「次の相手はアンタか、ヤング=アダムス……」
「おうよ、番野護」
番野が名を呼ぶと、ヤングは敵意を感じさせる笑みを浮かべて応えた。
その気配を感じ取った番野が剣の柄に手を掛けると、『待て待て』とジェスチャーをする。
「早速始めたいところだが、オマエに一つ聞きてえ事があってな。ああ一つだけさ」
「あ、ああ」
「それじゃあ、遠慮無く聞かせてもらうぜ」
そう言うと、ヤングの眼光は一層鋭くなった。
「オマエの戦う理由を聞かせろ」
(そうきたか。いや、当然の質問か)
番野は、特に驚く様子を見せなかった。
ファレス同様、ヤングもまた国を守る立場の人間だ。
だから、自身に代わる人間がどのような信念を持っているのかという事が気になるのも無理もない。
だから、番野は単刀直入に、しかし確かな意思を込めて言った。
「捕まえられている仲間を助けるため」
「……ッ」
それを聞いたヤングの眉がピクリと動いた。
何か感じる事があったのかと番野は思う。
「自分のため、か」
「何……?」
ふとヤングの呟いた事に、番野は声のトーンを一段下げて言った。
すると、番野の気持ちを察してか、ヤングは首を横に振る。
「いいや、オマエのそれを貶した訳じゃねえよ。ただ、オレと同じだなと思っただけだ」
「アンタと、同じ?」
番野は、言っている事が理解できないと聞き返した。
(だとしたら不可解だ。あの会議の場でこいつが俺を非難していたのには、どういう意図があったんだ?)
番野はそう考え、それらしき答えの様な物を模索する。
だが、番野が何か考え出す前にヤングが口を開いた。
「まあ、正直な事を言うとだな。オレがオマエと戦う理由は、シュヴェルトの姐さんがオマエに負けたってのが認められなかったからなんだ」
「それって……」
「ああそうさ。オマエと同じだよ。だから、そう怒るなよ。オマエのだって、戦争をしようとしてる奴らにとっちゃオレのと同じ様なもんだ」
怒るなと言っておきながら、言葉の後半ほとんど莫迦にした様な言い方じゃないか。そう、番野は思った。
そうして、ヤングは腰の剣を抜いた。
「だが、まあ、似たもん同士仲良くしようなんて事は言わねえ。オレとオマエ、どっちの私情が勝つか、決めようぜ」
番野は言葉を返さない。
ただ、自身も同様に剣を抜いた。
始まる。
そう感じた時には、既にヤングの姿は番野の視界から消えていた。
(反応が遅れた!?)
直後、正面に今にも剣を振り下ろさんとするヤングが現れた。
番野は、とっさに剣を頭上に掲げて防ぐ。
しかしーー
「な、が……ッ!?」
攻撃を受け止めたのは良いものの、番野の全力を遥かに凌駕するヤングの腕力に瞬く間に押され始めた。
潰されまいと足に力を込めると、熱帯雨林のあまり硬くない地面に足がめり込んで行く。
「オラァッ!!」
裂帛の気合と共に、ヤングが番野の防御を崩そうと剣を振り抜いた。
「ぐ、ああッ!!?」
対する番野は、なんとか防御を維持するも、攻撃の圧に耐え切れず吹き飛ばされてしまう。
そして、体が地面に着くとすぐに受身を取って復帰。態勢を立て直す。
(クソ、完全に力負けしてる……ッ!)
番野は前方に剣を構え、ヤングの追撃に備える。
「よお。いつまでよそ見してんだよ?」
ところが、突然耳元でからかう様な声がしたかと思うと、衝撃は後ろから来た。
ヤングが、番野の背中に強烈な前蹴りを放ったのだ。
「くおッ……!?」
背後からの急襲に、さしもの番野も受身が間に合わず、地面を転がる。
仰向けになったところで回転を止め、目を開ける。
「ーーッ!!」
「ハアッ!!」
するとそこには、自身の頭部に迫る、ヤングの剣の切っ先があった。
(これ、死亡コース……!?)
瞬間、番野の脳裏に『殺しはダメ』というアルゼレイの提示したルールがチラつくが、今それを気にしていては自分の命が奪われてしまう。
「ああああッ!!」
寸前に首を横に傾けて、どうにか頬の薄皮に止める。
続く動作で、攻撃によって前屈みになったヤングの腹部に足裏を当て、巴投げの要領でヤングを投げた。
「うおっ」
あの状態からの反撃を全く予想していなかったヤングは、まともに受けてしまう。
だが、後頭部を地面で打つ直前に剣を持っていない左手を着いて鮮やかにバク転を決めた。
「思ったよりやるじゃねえか」
「アンタこそ。まさか、完全に力負けするとは思ってなかったぜ……」
「だろうな。“金貨一〇〇枚の報酬を用意された”オレに力で勝とうなんざ思わねえ方が身のためだぞ」
「“金貨一〇〇枚の報酬”……?」
少し含んだ言い方をしたヤングの言葉を、番野は疑問を呈する様に反芻する。
すると、ヤングは、ついでだと前置きして言った。
「オレの《職業》を教えといてやるよ、《フリーター》。オレの《職業》は《傭兵》だ。能力は『用意または与えられた報酬の量に応じて身体能力を倍加する』って感じだな。つまり、“金貨一〇〇枚の報酬を用意された”今のオレは、“通常の一〇〇倍の身体能力を得ている”訳だ。まあ補足しとくと、その場の臨時報酬も適用内だ」
「なるほど。……勝手に説明ご苦労さん」
その瞬間、番野は何故ヤングが自身の能力をバラしたのか気付いた。
(もう能力による強化は終わっているから、知られたところでどうにもならないだろ、ってとこか? 俺の事嫌い過ぎだろ、いくらなんでも)
番野は、心の内で悪態を吐いてから、ヤングを倒す方法を模索し始めた。
(相手の方が俺より力もスピードも優っている以上、長引けば確実にジリ貧になる。かと言って、下手に攻めてもこいつは俺の出し得るスピードを超えて切り返してくる筈だ。
一見すると打つ手無しのこの状況……。だが、活路はある! 剣術や柔道に比べたらちょっと苦手だが、こういうタイプには『アレ』が一番効く!)
「ふぅぅ……」
決心した様に長い息を吐いた番野に、ヤングが言う。
「考え事は済んだか?」
「ああ。お陰様で、とっておきのがな」
「へえ? そいつぁ面白そうだ。ガッカリさせてくれるなよ?」
「それについては心配要らないと思うぜ? アンタは、何が起こったか分からないだろうからな」
言って番野は、目を閉じた。
○ ○ ○
不可思議な行動だ。それ程に、思い付いた策に自信があるという事なのだろうか。
まあ、それならそれで構わない。
「それじゃあーー」
ドン! と、ヤングの蹴った地面が爆ぜた。
「あばよ!」
ヤングは、瞬きをするよりも速く番野の目の前まで移動し、剣を振り下ろす。
次の瞬間ーー
「…………あ?」
ヤングは、後頭部から地面に叩きつけられていた。