はちわ。
ミュウちゃんが、遠い。
遠くに感じるとか、遠い存在とか、そういうマンガ的表現じゃなく、物理的に。
帰ってきて、ご飯を作り始めるまでは、制服の裾をつまんでほっぺをほんのり染めてもじもじしてたのに。今は窓から空を眺めながら、
「おい、カミュ。おい。肉球を執拗に触っているワケを聞かせろ。おい」
そんな感じ。時折こっちを見てはいるけど、培ってきた勘か、見ようとするとそらされる。おのれ勇者力め。ぐぬぬぅ~。
「なに、つくる、の?」
「オムレツです」
ちょっとびっくり。プリエちゃん、こんな風に抱きついてくる子なんだ。肩に感じる重みがなんとも心地良い。そう言えば、落ち着く、って言ってくれた。はっ、これはもしや両思いなのでは……! うん、それとはちょっと違うね。帽子取っただけですごく新鮮。髪さらっさらなの、さわんなくても分かる。
「っ……、プリエちゃん……?」
ちょっと苦しい。どうしたんだろ?
「ちゃんと、帰ってこれてて、よかった」
「…………、はい。ちゃんと、帰ってきました」
「うん」
――おいカミュ。そんなふくれっ面になるくらいならまざってこい。
――そうできる度胸がないからこうしてるんだもん。変だよ、なんか。頭ん中、ハクちゃんのことばっか。ぎゅっ、てしたいししてもらいたいのに、考えた、だけで、こんな、こんな……!
――ああ。ばっくんばっくん鳴っているな。この姿は耳が利くおかげで、かなりうるさい。ハクノにも聞こえているのではないか?
――へ……? や、それはないでしょ。こんなにはな、れて……。
――そういうことだ。
はい、そういうことです。私、魔人なんです。ネコさんの言うとおり、ミュウちゃんの心音しっかりバッチリ聞こえてます。会話全部聞こえてます。学校ではオフになってたのに、いつのまにかオンになってましたね。オフ、っと。
「おっきい」
「卵七個分ですからね。ネコさん、いっぱい食べてくれますから」
「あんなに、ちっちゃい、のに」
「……ぇと、本来のネコさんが、ですか?」
「ううん。今の方。魔王の、本当の姿、知らない?」
「はい。ちっちゃい頃のネコさん達なら、夢で見ましたけど」
空気が、張り詰めた。
「ぇ――?」
「ぅそ……」
愕然、ってこういうことかな?
「ぁ――、ノワー」
「ハクノ」
「ちょっと待って」
よっこらせいや、と大皿にオムレツをお引っ越し。うん、良い感じ。
「はい。なに、ネコさん?」
屈んで、少しの間、見つめ合う。と、不思議なことに、脳裏に色々な情景が流れ始めた。
あの日、ネコさんとブランちゃんが、ミュウちゃんを救い出した時からの日々が。
ネコさんのお母さんであろう、全身真っ黒な女性。端正な顔立ちで、浮かべる笑みは穏やかで、けれど、ミュウちゃんはネコさんの後ろに隠れていて。
豪華なお城におっかなびっくりしているミュウちゃんを、お城の人達の目をまるでに気にすることなく、ネコさんがあちこち連れ回して。
なにかしようとした人には、ものすごい迫力で怒って。泣くのを我慢してるミュウちゃんを抱き締めて、頭を撫でて、泣きやむまでそうして。
ネコさんとお母さんと、三人で食卓を囲んで。口周りを拭かれて、優しくなでつけられて、硬くなっていた心ごと解されて。それから、時々、甘えるようになって。ネコさんが、そこに元気に乱入して、お風呂に入って、並んで眠って。
ぷっ――、と途切れた。
「視えただろう? 私の記憶が」
頷く。
二人が、また目を見開いた。
「今朝、昔の話をした時、お前は疑問を抱いていた。そして、今のお前からも、この記憶に対する疑問を感じる。間違っているか?」
その疑問に、私は否定を示した。けれど、頭の奥で、ブランちゃんは肯定を示した。それは間違っている、と。その記憶に抱く疑問なんてない、と。
「っ……」
頭が、いたい……。あぁ、そうなんだ。まだ、じゃないんだ。ずっと、ダメなんだ。ブランちゃんのことは、ネコさんとミュウちゃんにだけは、言っちゃ、ダメなんだ。でも、どうして? だって、お互い、あんなにお互いが好きで。ミュウちゃんとも、本当の家族以上に、仲良しなのに。
言わなきゃいけないこと。そのはずなのに、声を出せない。頭がいたい。意識が遠くなっていく。
――世界との約束だもん。コレだけは、絶対に守り通さなきゃ。
ブラン、ちゃん……、じゃない。これ、わた、し……?
――おばあちゃんも言ってたでしょ? 約束を破る人には、絶対、なったらいかんよ、って。
言って、た。けど、な、んで……――?
遠く遠くに、ネコさん達の声を聞いた気がした。
「ブランちゃんがいないっ!」
お腹の底から。心の底から。目一杯、声を張り上げた。
汗がすごい。頭が痛い。めまいがする。全身が重い。倒れそう。けど、ダメだ。ここは、何がなんでも、踏ん張らないとダメなとこだ。
「ハクノ、ハクノ。今、すごく、危ない。休まないと」
「そ、そうだよ! 魔力が暴れて――落ち着かせないと!」
そっか、コレが魔力なんだ。ホント、体の中を、好き勝手に暴れ回ってる。おかげで、意識を繋いでいられる。でも、うるさい。うるさい。うるさい。うるさい……! 私の力なら、私らしく、もっと大人しくしてて……!
「そんな、なんで……」
「ハクノ、やっぱり、生まれた世界は、別の……?」
「別……? ちょ、プリエ、それどういう――、ちょっと、待って。そう、そうだよ……、なんで、ハクちゃんとプリエは、お互いのこと、知ってるの? 知ってる訳、ない、のに」
「すぐに分かるさ。なあ、ハクノ?」
この状況でそれは、ちょっときついよ、ネコさん。でも。
「はあ、はぁ、は……、うん……、だいじょうぶだよ、ネコさん」
「うむ。よく耐えた」
「ぇへへ。ほめ、られた」
「っ――」
「ほぁ……?」
ネコさんは目を見開いて、ミュウちゃんは真っ赤になった。
「ぷっはぁ……! 食った食ったぁ! 大満足だぁ~!」
「ごちそうさま」
「ごち、そうさま……、ぅう……、あじほとんどわかんなかった。けど、なんか、あまかったぁ」
「お粗末様でした。家のオムレツは、確かに甘いからね」
「ぅん。や、そう、なんだけど、そうじゃない、って言うか……」
指つんつんしてる。かわいい。
「その、ハクちゃんが、食べさせてくれ、たから、って言うか、うん……」
抱きついていっぱいすりすりした。
「ミュウちゃん、ミュウちゃん。かわいぃ」
「ぅう~……! さっきまで、なんか、まじめな感じだった、のにぃ……! ……ハクちゃん、あったかい……」
あ、今のすごいきゅんきゅんした。
「お茶、甘い」
「ああ、私のも甘い。で、だ。お前、ハクノと会ったのは、いつのことだ?」
「ん、三ヶ月前」
「お前にとってはどうだ?」
「感覚では昨日。それより聞いて、ネコさん。すごい。ミュウちゃんだっこしてると、すっごい落ち着く。前より数段落ち着く」
「私は落ち着くけど落ち着かない。心臓がいたい」
「真っ赤っかで腕が控えめに握られててとってもいいです」
「ハクちゃん、今テンション高いでしょ?」
「ここ八年の間でぶっちぎりだよ」
「ダヨネー」
「八年か……、その辺り、と言うか、ハクノ自身のことを、私とカミュはまだ聞いていない。色々と立て続けに起こったからな。もうじき学校が長い休みに入るから、と先延ばしにしていたのだ」
「そっか」
と呟いて、お茶を一口。
「ハクちゃん、私もお水飲みたい」
「口移す?」
「お願いだからもっと速度落としてください」
「初めてだから、早く制御できるように上限知っておいた方がいいかな、って」
「あ、それ大事。すごい大事。おば様が言ってた。限界を恐れて知ろうとしない臆病者に成長はない、って。よしハクちゃん。どんどんとばしちゃって。全力でついてくよ私!」
「今夜から裸で抱き合って寝ようね」
「――――…………」
返事がない。ただのかわいいミュウちゃんだ。
「すいません。もすこし、おくびょうもので、いさせて、ください……」
「ん~……、うん、分かった」
「お前、一通りの魔術は極めているだろう? 私とカミュに、その時の記憶を見せてくれ」
「分かった……、ん」
「うむ」
「うぁ……! アイダとリヨウ、そんな関係、だったんだ……」
目、つむっただけの今の一瞬でできたんだ。そこに真っ先に反応する辺り、ミュウちゃん、もしかしてむっつりさん? ん? でも同い年くらいで、つまり思春期な訳だから、普通に普通のことか。どんどん熱くなってってるけど……、ぁ――。
「でも、そっか。それで二人は面識が」
「ふぅ~」
「あひぁあっ!? もうっ、ハクちゃん!」
「体温あがってたから、冷まそうと思って」
「た、確かに、冷たかったけど……、けど、耳はダメ! 弱いから!」
「は~い」
ダメならしかたない。人がいやがることはしない。コレ絶対。
「お前ら、いちゃつくのは構わんから風呂でやれ」
「追い出され、ちゃったね~」
「そそ、そ、だね」
「ミュウちゃん、緊張、しすぎ。リラックス、リラ~ックス」
「む、むり、むり、しんぞ、いたい……! ハクちゃんが、ぷにぷにで、すべすべのゆ、ゆび、で、さわさわで、なんか、ずっときゅんきゅん、なってて、なんか、なんか、ぜんしんが、とくにせな、せなかが、しあわせいっぱひ、で……!」
「ん~……」
裸で抱き合って寝るより、体使って洗ってる今の方が難易度高いのかな? でも、みぃちゃんがお泊まりする時は、いつもこうしてるし……。
「じゃあ、普通に洗う?」
「やだ!」
「じゃあ、このまま?」
「ぜひとも!」
「ぎゅう~」
「ひぁうっ……!」
「わしゃわしゃ~」
「う、ふぅ、っ……、ぁぅ……!」
本当に、小さな体。
鍛えられていることは、私でも分かる。女の子らしい、愛らしい体をしていながら、中身はたぶん、成人男性が束になっても物ともしない程なんだろう。
腕と脚は細く、柔らかく、しなやかで。その小さな手で、あの黄金の剣を振るって。華奢なこの肩に、とてつもなく重たいモノを背負わされて。その小さな足で、全てを支えて。歩いて。歩ききって。
「ん、ハクちゃん、どし、たの?」
「うん……、すごく、ミュウちゃんが愛おしくて。だめ?」
「……だめじゃ、ない……」
「ありがとう」
全知全能の神。神々の頂点。唯一絶対の神、ゼウス。
――神様はなんもせんとじゃなか。なんもできんったい。
――全知全能。なんでも知っとって、なんでもできる。だけん、できん、ってこともできる。
全知全能。それは、自己矛盾と同義。できるができない。できないができる。
――ただ存在するだけで、神様は精一杯と。一番弱いんは、実は神様なんよ。
――だけんね、白乃。いつか、神様の誰かと会うことがあったら、そん時は、い~っぱい、甘えさせなんけんね?
ゼウス様、ゼウス様。あなたの血を色濃く受け継いだ娘さんは、いっぱい、いっぱいがんばりました。だから、これからは、当たり前の幸せに包まれて欲しいです。癒えない傷を負うようなことがない……、いえ、それはムリな話ですね。でも、おいしい物を食べて、笑顔でほっぺたをふくらませたり。新しい物に触れて、目を輝かせたり。大切ななにかを見つけて、悩んだり、苦しんだり、傷ついたり。そんな、当たり前の日々を、送って欲しい。……ううん、違う。違いました。そんな日々を、私が娘さんに贈ります。贈りたいです。幸せに、したいです。
「ん――」
唇に、柔らかく熱い感触。
真っ赤になって、きつく目を閉じているミュウちゃんに、視界を占領されてる。
伝わってくる、かすかな震え。
いつからか握られていた手からも。
初めての口づけは、幼く、拙く、とても熱く。
心臓を、激しく昂らせてくる。
とてつもない多幸感が、あふれてくる。
「は、ぁ……」
背中越しに、激しい鼓動を感じる。
きっと、ミュウちゃんも感じてる。
熱に浮かされている瞳は、とにかく扇情的で。吐息は、熱くて甘くて。朱に染まった頬が、年相応の愛らしさを際だたせて。
「はくちゃ、んぅ、ふ、ん……」
二度目は、私から。
静かなお風呂で、泡まみれのままで。
甘い熱に、酔いしれた。
「ハクノ、私とお前は、双子の姉妹であることが確定した」
「つまり一生そばにいてもいいんだね、お姉ちゃん」
おばあちゃん、やったよ。お嫁さんとお姉ちゃんが同時にできたよ。