いちわ。
間もなく夏が訪れる熊本の田舎、高森町。学校からの帰り道は、生憎の雨で色濃い灰色に。単に梅雨入りってだけですけどね。
そんな中でもまっすぐ立ち続ける電柱の側には、雨に塗れた小型のダンボール。
更にその中には、
「やっと来たか。拾え、小娘」
なんとも偉そうに言い放った、なぜか濡れてない真っ黒猫が一匹。
間抜け面を晒していることは百も承知で、周囲を見回す。
高森学園校章である桜の刺繍が施されたシャツに身を包み、傘を差してゆったり帰る生徒、鞄を頭上にして走る生徒、相合傘をする爆発すべし者共。大丈夫、この雨がすぐに消火してくれる。
誰も何も反応しないところを見ると、雨音にかき消されて聞こえなかったのかも知れない。
「おい、そこの白娘。今、私を見ているお前だ。さっさと拾え。そして、飯をよこせ」
またまたなんとも偉そうに、食事まで出せと言う黒猫野郎。いや、声からしたら多分女だから、黒猫アマ。語呂が微妙。
やはり周囲には聞こえてない様子。猫と目を合わせ、しゃがみ込んでみる。
「なんだ、二度ならず三度言わせる気か? まったく、これだから人間と言う生き物は。良いだろう、特別にもう一度言ってやる。ひ・ろ・え――おふっ!? 何をする!?」
「あ、ごめん」
ついイラッときて、頭を小突いてしまった。怒っているのは明らかで、その鳴き声は流石に聞こえたのか、何人かの視線が猫に集まり私へシフトしたのを感じた。早く帰りなさいよみんなまったく。
「くっ、やられたからには――やり返すのみ! 食らうが良い小娘!」
物凄い威勢と共に飛び掛ってきた猫をがっちりキャッチ。もふもふしますよこの子ふわふわですよこの子。
「なに!? く、卑怯者め! 正々堂々戦わぬか!」
両前足をばたばたさせる姿には和み要素こそ感じるけど、怖さは一切感じない。
「はあ、はあっ、なかなか、やるでは、ないかっ」
あ、大したことないなコイツ。
ぜーぜーと荒い息をする猫を見てそう思いました。
同時に、
「よし、拾わせて貰おう」
「は――?」
家の子にすることを決めました。
「私、好呂白乃、よろしく」
「う、うむ」
「ふふ」
ペット可のアパートで良かった良かった。まあ、実家でもあるから関係ないんだけど。
「おい、なんだこの狭っ苦しい部屋は? この場で回るだけで全容が丸分かりではないか! 物も殆ど無いではないか!」
「キッチン洗濯機冷蔵庫エアコン完備、十二畳の一間に加えてお風呂トイレ別だよ? 一人暮らしには十分すぎてもったいないくらいなんだけど……」
これで家賃一万円だもん。なにかしら曰くがあるとかどうとかも関係あって。
家具も見ての通り、タンスとテーブルに本棚だけだし。少し寝相が悪くても安心の広さだよ。
「寝室だけでこの五倍はあるわ」
「それはまた、なんとも落ち着いて眠れなさそうな」
だって六十畳以上はあるってことでしょ? そこにベッドがでん、とあって周りはただ広いだけ? うん、無理。それはさておき。
「ねえ、ネコさんって普通に猫なの? なに食べるの?」
ふんっ、と鼻を鳴らす。なんて尊大なんでしょう、このネコさんは。とりあえず適当に余り物を。
「私を猫等と同列にするな。今でこそこんな姿だがな、私はザ・オンを一度は手にした魔王なのだからな」
「へぇ……、はい、昨日のあまりだけど、から揚げとご飯、あとお水」
器用に二本足で立って誇らしげに胸を叩くネコさんに差し出すと、「うむ」と頷きさっそく食事開始。帰ってくるまでの五分弱で、四回くらいお腹が鳴ってたからね。
「なあ、ハクノよ」
「ん?」
レッツ観賞と寝そべり、肘を寝かせたところで呼ばれる。ネコさんはなんだか微妙な顔。
「魔王に反応してはくれんのか? 本題に入り辛いのだが」
「ネコさん、そういうこと気にするんだね?」
ずっと偉そうにしてたから、ちょっとびっくり。
「どういう意味だ。はぁ、まあいい」
「うん、とりあえず、本題はご飯の後にしようよ」
「……了解だ」
「うん」
ネコさんを眺めたりご飯を食べたりで、現在午後九時。空はすっかり暗闇へ。
満腹になったネコさんは、ふかふか布団に身を預ける私のお腹でリラックス中。私もお風呂と布団効果で脱力中。静かだから余計に安らぐ。
まったく、静かすぎるよこの町は(ほめ言葉)。
「え~と、そのカミュア・アトワイトさんって勇者が、何を思ったのかネコさんに止めを刺さず、ザ・オンって世界からこっちに飛ばしたと」
「あれだけ時間をかけて語った戦闘はすっぱりか」
かなり熱く語られはしたけど。
「大事なのは結果だよ?」
「あぁ、まあ確かに、それを言われると、今回は何も言えんな。肉球を揉むなくすぐったい」
「で、猫になってるのはネコさんの意思じゃなくて、その時重ねられた弱体化の術の結果、と」
勇者さんグッジョブ。
「うむ。耳もやめろ」
「もう、どこならいいの?」
「なぜ膨れるか。……背中で我慢しろ」
背中はいいんだ。
撫でてみると、なんとも気持ちよさそうに息をついた。これってツンデレになるのかな?
「力を回復させるには、魔力とやらを持ってる誰かしらから少しずつ貰うか、自然回復を待つか」
「手っ取り早いのは、魔術に縁のある者を喰らうことだがな~」
なんで私を見るんでしょう? 縁がないとは、はっきり言えないけども。
「それは却下で。物騒すぎ。でも、自然回復だと時間がかかりすぎるんだよね?」
「ぁあ、こっちに来て七日程経つが、一向に回復の兆しがなかった」
「それだと、魔力を貰うしかないんでしょ? 誰かあてはあるの?」
「は?」
「え、なにその反応?」
アホかこいつ、とでも
「アホかお前」
あ、言われた。
「いいか? こうして会話が成立している時点で、お前はそれなりの魔力を持っていると言うことだ。必然的に、今私が魔力を貰う相手はお前しかおらんだろう?」
「…………そう、なんだ。でも、なんで私に魔力があるの?」
「それは知らん」
ズバッ、て聞こえた。
「さしたる問題でもない。さて、ここからが本題だ」
「え、ここまでの二時間半はなんだったの?」
魔王軍対勇者軍の激闘とか、魔王と勇者の激闘とか。
「前座だ」
ここまで決め顔だといっそ清々しい。けど。
「そんな前座やだよ。映画だったら本編まで一年待たなきゃだよ」
「エイガ? 何を訳の分からんことを」
ザ・オンに映画はないのか。見に行くことは滅多に無いけど、それは少し退屈そう。CMとか、あ、家パソコンしかないや。
「でだ、向こうに帰る為にも、私は魔力を回復させねばならんのだ。魔力をよこせ」
「うん。どうやるの?」
「……いいのか?」
「何も死んだりはしないんでしょ?」
「そうだが、少なからず影響がある」
「私がまともに生活できなくなる様な?」
「……この世界で、と言うことなら、まずそうなるだろうな。人間ではなくなるのだから」
「なんになるの?」
「ぐいぐい来るなお前は」
「自分のことだもん」
聞き慣れてきたため息一つ。
「魔族化。所謂、魔人になる。姿形こそ人間ではあるが、五感身体能力共に異常に高まる」
「……ネコさん、よこせとか言う割りにちゃんと説明してくれるよね?」
「当たり前だ。後々になって真実を知れば、人間は大抵が大いに混乱する。そんな状態になった人間の魔力を貰った所で、却って逆効果だ」
「私は結構落ち着いてるよ?」
「そこが不思議ではあるが……、くれると言うのであれば、首を出せ」
「吸血鬼みたいだね」
なんて言いつつも髪を避ける。またため息が聞こえた。
「お前の従順さは有難いが、ここまでとなると気が気でならんな」
それでなくとも、何故か放っておけん。
「……? どういう――ん、ふ」
噛み付かれた所から、何かが流れ出ていく感じがする。
――そうだ、じっとしていろ。
ネコさんの声が頭に響いた。
「……ふう……」
「ぇ、もう終わり?」
「一度に貰う量は微々だからな。それでも、自然回復の万倍はマシだ。ついでにこれは、嬉しい誤算だろう、私とお前の魔力の質は、ほぼ一致している」
噛まれた所を擦ってみても、跡らしき感触はない。
「傷は付けんよ、心配するな」
「うん……」
ネコさんの柔らかい表情が、景色ごと歪んだ。
「あ、れ?」
「……翌朝には、お前は既に魔人だ。最低限の面倒は見てやるのでな、今は休め、ハクノ」
「ネコ、さ――」
意識は強制的に闇に閉ざされ、けれど、頬に確かな温もりを感じた。その正体は分からなかったけど、なんだかすごく、安心できた。




