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自殺しようと思った

作者: 月暈

 自殺しようと思った。

 人生に絶望していた。

 学校ではいじめられているし、家に帰ったら父親に殴られるし。

 もう生きている意味なんて、生きている価値なんて、無いんだと思った。


 マンションの屋上に上る。三十階建てのマンションだ。落ちたら確実に死ねるだろう。むしろ、中途半端に、『運よく一命を取り留めた』なんてことにはなってほしくない。自殺しようと思っていて、死ねなかったら、辛いし、格好悪い。

 この下には幸せな親子、一人暮らしで頑張っている学生、単身赴任中のサラリーマン、そして常に酒を飲んでいる俺の父親、様々な人が暮らしている。目の前に広がるこの町にはもっと多くの人が生きているし、見えないところにも人はいる。宇宙にだって人はいる。いろんな人がいるのに、どうして俺はこんな人生になってしまったのだろう。

 一メートル程度しかないフェンスを乗り越える。風が吹いて危うく落ちるところだった。そのつもりなのだけど。

 靴を脱いで揃える。遺書なんて用意しない。この世に遺す言葉は無いし、読ませたい相手もいない。

 ガチャ、と音がした。振り向くと、そこには屋上のドアを開けて立っているボサボサ髪のおっさんがいた。

「おや、先客がいたのか」と、その人が言う。ドアを閉めて歩いてくる。

「あなたは?」

「このマンションの505号室の竹本だ。君は?」

「2902号室の羽澤です」

「羽澤くんか。何歳?」

「十七です」

「若いなあ、羨ましい。ごめんよ、隣、お邪魔する」

 竹本さんはフェンスを乗り越え、外に足を出して座る。

「危ないですよ」

「君だって、こんなところにいたら危ないよ」

 言われてみればそうだった。

「羽澤くんはこんなところに何をしに来たんだい? フェンスの外側にいることと、そこに揃えられた靴でなんとなく察しがつくけどね」

「お察しの通りですよ。自殺しようと思いまして」

「えぇー!? 自殺しようと思っていたのかー! 僕はてっきり夕日を見に来たのかと思っていたよー!」

 明らかな棒読みでそんなことを言う竹本さん。

「なんてね。勿論冗談だよ。そんな怖い顔をしないでくれよ。怒っているのかい?」

「怒ってなんか……いませんよ」

「そうだろうねえ。恐らく君は人に怒ることはできないんだろうねえ」

「え?」

 眉を顰める。

「昨今、君みたいな若い子が自殺しようと思う理由の第一位はいじめだ。いじめられている子は、反抗できないんだろう。つまり、人に怒ることができないんだろう。それは良いことであると同時に、悪いことでもある。なぜなら、怒るということは、自分が不快に思っていることを相手に教える、知らしめるということなのだから。怒りすぎる人は嫌われるけれど、全く怒らない人は他人に付け込まれる」

「そんなの、竹本さんがそうだと思っているだけでしょう?」

「そうだよ。当然じゃないか。僕がそうだと思っているから、僕が言ったんだ。僕ではない誰かが思っていることを、わざわざ僕が言う必要はないだろう?」

 その答えは、俺の質問にちゃんと答えたものではないと思った。

「まあ、そんなことはどうでもいい。羽澤くん、君はどうして自殺しようと思ったんだい?」

 今更すぎる質問だった。さっきこの人は自分で言っていたじゃないか。

「いじめられて、もう生きるのが嫌になったんです。それだけです」

「本当にそれだけかい? それだけだったら、さっさと転校してしまえばいいじゃないか。君は2902号室に住んでいるんだろう? マンションは高いほうが家賃も高いんだ。君の家は相当お金を持っているだろう。余裕で転校出来るはずじゃないか」

「……親には疎まれているので」

 親は常に酒を飲んでいるけれど、それ以外何もしていないわけではない。FXで一山あてている。今もその真っ最中だろう。だから、邪魔をすると殴られる。損害が出たら殴られる。利益が予想より少なくても殴られる。

「ふーん。そりゃあ大変だねえ。転校したいなんて言ったら殴られるどころじゃ済まないかもねえ」

「だから、自殺しかないんです」

「それでも、自殺しかないって考えは短絡的だと思うけどね。そもそも、いじめられなくなればいいじゃないか。いじめの原因を考えて、それを排除すれば、いじめられなくなるんじゃないか?」

「そんな簡単に言わないでくださいよ」

「簡単に自殺しようとしてる奴が何を言う」

 その言葉は心にグサリと刺さった。

「どうして君はいじめられているんだい?」

 即答できた。答えなんて一つしかないから。

「そんなの、嫌われているからに決まっていますよ」

「なら、どうして君は、嫌われているんだい?」

 即答はできなかった。

 時間をかけたとしても、答えることはできなかっただろう。

「僕には、君が嫌われている理由なんて、結局どうでもいいけどね」

「それは……そうでしょうよ。ついさっき初めて会ったばかりですから」

 知り合いですらないくらいだ。そんな相手のことなんて、普通、どうでもいい。

「それで、本当に自殺するのかい?」

「止めますか?」

「いいや。止めないよ。人に限らず、生物全て、死ぬことが良いことであるはずはない。しかし、だからと言って、『死にたい』と言う人に『死なないで』なんて適当な言葉をかけて引き止めるような奴にはなりたくないからね」

 竹本さんが下を覗く。

「危ないですよ」

「んー、良い高さだ。問題なく死ねるだろう」

 死ぬこと自体に問題があるけどね、と笑う竹本さん。

「君はここから落ちれば死ぬ。確実に死ぬ。絶対に死ぬ。100パーセント死ぬ。本当に自殺するのかい?」

「……はい」

「そうかい。じゃあ、それから先の話をしよう。君がここで死んだ後、どうなるか」

 俺が死んだ後……。

 そんなの、俺には関係ないじゃないか。そう思った。

「関係ない? 何を言っているんだ。君が生まれる前もこの世界はあったし、死んだ後もこの世界はあるんだよ。関係大アリさ」

「ちょっと、よくわからないです」

「君が死んだら、世界が消えるわけじゃないって話さ。君をいじめた奴らはそれからものうのうと生きるし、のほほんと生きるし、のんびりと生きるだろう。君のお父さんは君という邪魔者が消えてせいせいするだろう。羽澤くん、君はそれでいいのかな? 君が死んだ後の世界がそんなのでいいのかな?」

 死んだ後、俺をいじめているあいつらは、俺を事あるごとに殴る父親は、どうなるのだろうかと。竹本さんが言ったような風景が簡単に、そして自然に想像できた。ああ、恐らくそうなるだろうな。でも、それは、そうなってしまうのは――

「仕方ないんじゃないですかね」

 この世界はそういう世界で、俺の人生はそういう人生で、あの人たちの人生はそういう人生だったってだけの話。ただ、それだけ。

 突然立ち上がった竹本さん。マンションの縁ギリギリで、あと一歩でも足を出したら落ちてしまう。

「ふざけるな!」

 竹本さんが鋭い声で叫ぶ。怒気を帯びた顔は、この町全体を見据えていた。いや、世界全体をねめつけているように見えた。

「そんな世界であってたまるか! いじめられているほうも悪いだとか! 正直者が馬鹿を見る時代だとか! なに戯けたことを言っているんだ! そんな言葉に反論できないような人間なんざ死んじまえ! そんな言葉を容認するような世界なんざ滅んじまえ!」

 ふう、と息を整え、続ける。

「仕方ないだと!? どうしようもないだと!? そうじゃないだろ! たまにくっだらねえ歌手が歌っているように! 自分の人生、自分で切り開いてみろよ! その行為自体が、人生そのものだ!」

 ふう、と再び息を整える。

 そして優しい顔で俺を見る。

「なんてね。結局何が言いたいかっていうと、『死なないで』じゃなくて『生きて、幸せになれ』ってことだよ。羽澤くんはまだ若い。死ぬには早すぎるよ。精々あと二十三年は生きてから、それでも死にたかったら、死になさい。わかったかい?」

 はい、と頷いた。

「はあ、それにしても怒るってのは疲れるけれど、気分がスッキリするな。初めて怒ったから知らなかったよ」

「え?」

「羽澤くんとぼくは時代が違えど境遇が似ていた。けれど、君はぼくみたいにはなっちゃいけないよ」


 竹本さんは飛んだ。勢いをつけず、軽く右足を前に出して。

 落ちていく姿は、大の字で、まるで地球に抱き付こうとしているかのようだった。


 竹本さんは死んだ。

 以下、事情聴取に来た刑事の話。享年四十歳。自殺理由は借金。相当莫大な金を趣味である稀覯本集めにつぎ込んでいた。竹本さんの部屋には絶版あるいは出回っている数が少ない本が国内外問わず大量に並べられていた。それ以外は薄汚れた布団が、畳まれて部屋の隅に置いてあっただけ。

 刑事さんに頼んで、その本をいくつか貰うことができた。本当は駄目だけれど、こんなにあるから数冊なら持っていってもバレないとその刑事さんは言っていた。その代わり、このことは秘密だよ、とも。


 俺はいじめられなくなった。あの竹本さんの自殺でテレビに映ったことが関係あるのかもしれないけれど、本当のことはわからない。

 父親には殴られなくなった。俺が屋上にいた理由を聞いた刑事さんに何か言われたのかもしれない。

 もしかしたら、テレビも刑事さんも関係なくて、俺が怒るようになったことが理由なのかもしれないと、たまに思う。確信が持てないのは、俺は未だに、自分がそんなに世界に対して影響力を持っているとは思えないからだった。

 

 嫌なことが起こって死にたいと思うことは多々ある。それでも、竹本さんの言う通り、あと二十三年は生きてみようと思っている。竹本さんが死んだ四十歳までは。










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