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気付いて、と花は香る。

 

 ふと懐かしい花の香りがした。

 周りを見回すと、庭先で鮮やかな紫が風に揺れている。

 強い香りだから嫌う人も居るが、俺には思い出深い花だ。

 夏が盛りのラベンダー。割と庭に生えている事も多いポピュラーなハーブ。

 すっと細い茎が茂る葉の群れから無数に高く伸び、頂点に花穂を付けている。華奢な茎では支えきれないのだろう、みな道路側へ傾いて柵から顔を出した花穂が風に揺れていた。

 学生時代を思い出し、目を細める。

 他人様の庭先にずっと立ってるわけにもいかず、冷静な落ち着き払った声を鮮やかに思い出しながら帰路へ戻った。

 ――どいて。

 中学校時代、調理実習の事だったか。確かパスタを作っていて、茹でた麺をザルに空ける際、誤って熱湯を手に掛けたのだ。

 その時、クラスメートが氷とラベンダーオイルで処置をしてくれた。小ビンをひっくり返す乱暴さに驚いたのを覚えている。千鳥は大人しくて目立たないタイプだったから。人をやんわりかき分けて、冷凍庫からハンカチに包んで持ってきた氷を人の手に押し当てたり、ラベンダーオイルの小ビンをバシャッとやられるなんて思わなかった。

 後から聞いたところによると、ラベンダーは火傷にも効くらしい。痕も残らなかった。

 昔誤ってカレーを手に掛けた時の方が痛かった。絶叫して飛び上がるくらいに。熱湯は一瞬で肌を流れるが、カレーはベッタリと肌に張り付いていたのだから。

 火傷は焼けるように熱く、ずっとあぶられ続ける様にそこに熱が居座りさいなみ続ける。蛇口を捻って出した水すら、熱いのか冷たいのかよくわからなかった。

 ラベンダーのオイルは、何だかすーっとした様な気がする。一瞬焼けたようなものだから、肌の感覚がそこだけ異質ではっきりとは言えないが。或いはあの気持ちを落ち着かせる匂いでそう思ったのかも知れない。

 何にしろ効いた。

 勝手に凄い奴だと認識して礼を言ったが、大人しいタイプの常で千鳥はおどおどと困ったかおをしていたっけ。

 俺は馴れ馴れしいタイプだから話し掛けて質問しては困らせて女子達からヒンシュクを買ったり、逆に千鳥が悪目立ちして責められたりした。人とうまく話せない口下手な奴だったから。でも、そういう奴の方がものの見方なんかが変わってたり、面白かったりするのに。

 人と違うともてはやされたり、さげすまれたりする。

 俺はケロッと受け流すタイプで、千鳥はそれが出来ないタイプだった。

 ――南雲(なぐも)。もう止めれや。千鳥の迷惑になる。

 当時からよくつるんでた二海(ふたみ)にそう止められた。軽口めいていたが、目の奥に「ふざけた反論したらシバく」そんな本気が潜んでいたから、退くしかない。俺も人付き合いが下手で、馴れ馴れしくし過ぎては失敗してた。二海は俺がやり過ぎると止めてくれるありがたい友人だったのだ。

 俺が構い倒さなくなったら千鳥の周りは静かになって落ち着いたから、二海の言う通り俺が迷惑だったのだろう。

 ハーブ好きな母親の影響でハーブが好きな千鳥は詳しいから、結構面白い話を聞けたのに。

 ハーブは料理に混ぜて食べたり、乾燥させてお茶にするだけじゃなくて、蒸留して精油が採れるとか。乾燥させてポプリにすれば、香りを楽しむだけじゃなく防虫剤にだってなるのだとか。

 決してこちらと合わそうとしないうつむきがちの目は寂しかったが、とつとつと話すアルトの声が好きだった。

 ――防虫剤にもなるよ。

 ラベンダーの生花をもらったのは、卒業間近の事だ。

 三年生になってクラスが分かれて以来話してなかったのに、自由登校でふらりと行った学校で唐突に渡された。

 面食らったが、懐かしい香りに自然にかおが綻んだ。

 丁度帰るところだったから、礼がてらどこかに寄ろうと誘ったのだが、断られてしまう。寂しいなあ、と素直に口にした。

 ――迷惑だったよな。ごめん。でも、卒業して千鳥に会えなくなるの、寂しいな。

 千鳥は、小さく頷いた。胸が痛くて、俺にはそれで充分で。

 だけど二海には何故かまた「アホ」と怒られた。あれは何故だったんだろう。

 夕方なのに頭痛がしそうな程鳴くセミの近くを通り過ぎて、夏だなと思う。

 センチメンタルな気分は蒸し暑さに負け長く続かない。明るい空も郷愁や懐古の気持ちをかき消す。

 涼むために寄り道をしようと駅前の本屋に寄った。

 手前に園芸のコーナーがあったので、普段は見ないがタイムリーだなと手に取ってパラパラめくる。ラベンダーの写真にページをめくる手が止まった。

 育て方やら由来、花言葉なんかも書いてある。

 内気な少女がじっと遠巻きに好きな人を見つめ続け、気付いてくれるのを待ち続けた為に香りの強い花になったのだそうだ。

 俺は店を出てむわっとする湿度の高い人いきれの中、携帯で短縮に掛ける。暮れなずみ始めた街は、帰宅ラッシュの時間帯を過ぎても駅前だから人で溢れ返っている。

 また、二海に「アホ」と言われた。

「待つって、いつまでかな。って言うか、アレ、そういう意味だった?」

 ――オレに訊くなや。案外今頃、お前なんか忘れて彼氏作ってるかも知んねぇし。何年前だよ。すぐ気付けや。

「あ、そっか。千鳥に直接訊く。二海は同窓生の幹事やってたよな。連絡先教えて」

 ――オレが電話してそれとなく訊いてやる。お前だとまたやらかすだろ。

「だって、『待ってる』って。千鳥に迷惑じゃないなら、俺、」

 ――落ち着かんとシバくぞ南雲。

 焦る気持ちも夏の熱さも、二海の低い声に冷まされる。

 そうだ、落ち着け。千鳥は『待ってる』んだから。随分待たせちゃったし、二海の言う通り忘れてるかも知れないけど。

「悪い、二海。頼んでいいか?」

 溜息と共に電話の向こうで、任された、とぶっきらぼうな声が応じる。

 ――お前も待っとけ。待ちぼうけくらうくらいようさん待っとけ。

「待つよ」

 買って来てしまった本を開く。

 ラベンダーの花言葉は、優美、沈黙、疑惑、繊細、そして、あなたを待っています。

 気付くのが凄く遅くなってごめん。どうか、まだ待ってくれてますように。


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