Vanguard
薄暗い部屋がある。
外は真昼で、夏真っ盛りだ。
記録的な炎暑であり、アスファルトからは陽炎が立ちこめている。
太陽はぎらぎらと輝きを放ち、その熱で雲まで灼き払ったのか、何処までも続く青空が広がっている。
それはアパートの一室にあった。
ブラインドの上から厚手の遮光カーテンを掛けて外からの光を完全に遮っている。
それでなお真っ暗でないのは室内に煌々と光を放つ光源があるからだ。
――モニターだ。複数のモニターがPCデスクの上に連結され展開している。
その数は六。
六機のモニターによって映し出されているのはPCデスク下に設置されたハイタワーPCから出力されたゲーム映像だ。
舞台はヨーロッパの市街。
廃墟と化したビジネス街の一角に、焼けたバスが転がる光景。
それを中央に置いて飛び交う光はその全てが銃弾だ。
放たれた全てが、一撃で命を奪う殺意を秘めている。
しかし、その銃撃は一方的だ。
光のほとんどはフィールドの片側からしかやってこない。
光の面が、片面を飲み込む圧倒的な弾幕量である。
だが。
反対側から光が瞬く度に、その弾幕に穴が空いていく。
一つ、また一つ――数分のうちに、その弾幕がついには一つだけとなった。
銃弾の面があった側から一人の男が飛び出してくる。筋骨たくましいミリター服に身を包んだ軍人だ。
浅黒い肌の彼はアサルトライフルを片手に戦場の中央に飛び出し、疾走している。
だが、――銃声。たった一発のそれによって、その疾走は停止する。
走っていた彼は膝から崩れ落ち、瀕死の判定。
後はとどめの一発を刺されれば、それで死ぬ。
そこで圧倒的弾幕を打ち込まれていたバスの背後から一人の男が出て来た。
手に持っているのはハンドガン。
男は顔面にフェイスペイントを施しており、さながらフルフェイスマスクを被ったライダーの装いだ。
衣服は瀕死の男とは装いの違う軍服に包まれている。
注目すべきなのは、彼の背中には一本のメインウェポンも携帯されていないと言う事。
彼が成し遂げた狙撃は全て、彼が今手にしているハンドガン一つによって成し遂げられたという事実。
男は、瀕死の敵へ近づくとハンドガンを構えた。
瀕死の男は、じりじりと哀しいほどにゆっくり後ずさる。
引き金が引かれた。
銃弾発射され、瀕死の男の頭へと命中する。
血のエフェクトが飛び散り――試合が終わる。
モニターに戦果リザルトが表示されるのを確認してから、その前に座っていた男――大神一心はゲームウィンドウを終了させた。
◆
「ふぅ……」
吐息を吐き出す。緊張から解き放たれ、身体の各部が弛緩していく。PCデスクの上に置いていたコーラを一飲みすれば、身体の芯に残っていた興奮の余熱も冷やされていった。
「なんだかな」
やるせない気持に、大神一心は思わず呟きを漏らした。ここのところ、あらゆるゲームをやっていても己の心は満たされることはない。
先ほどのゲーム結果を思い出す。
自身が設定した部屋のチーム設定は1:20。二十人に一斉に襲いかかられるシチュエーションを用意して、己の携帯する武器はハンドガン一つに制限を掛けた。
それでなお、一発の弾丸すら被弾することなく己は勝利を収めた。
しかし、そこに歓びは一切無い。
あるのは、やるべき事を機械的にこなしたという乾燥しきった感情のみ。
ルーチンワークの末に起こるべき事が起きたという徒労感のみが自分の心を占有している。
「満たされない」
それが数ヶ月前からずっと自分を縛り続けている事柄のように、大神一心には思われた。
きっかけは、FPSのオンラインゲームを始めたことだというのは分かっている。
大勢を相手に、大勢の味方と共に銃撃戦を繰り広げ、どちらが多く、効率的に相手を殺せるかを競うゲームだ。
序盤こそ慣れないゲームに戸惑ったが、数日の内に、ゲームシステムが飲み込めてくるとそれ以後は独壇場だった。
相手を打って、殺して、切り払って、罠に掛けて勝利する。
その繰り返し、繰り返し……。
「満たされない」
PCデスクの横に設置された本棚を見る。そこにはゲームのパッケージが隙間無く詰め込まれている。
その数は三百本にくだらないだろう。その他に、この薄暗い部屋には乱雑に積み上げられたゲームの箱がいくつもある。クローゼットの中にもダンボールに詰め込まれたものが数限りなく仕舞い込まれている。
それら全てはクリア済みだ。
当然の事だ。
大神一心の職業は高校生である。副業としてゲームのテストプレイとオンラインゲーム上のサクラを担う。
つまりは、企業側、メーカー側からの依頼に応じてオンラインゲームに参加し、プレイヤーの少ない内からゲームを進め、新規プレイヤーを導くペースメーカーとなる役割だ。
中学時代に、暇つぶしにと応募したテストプレイヤー募集のメーカー告知に参加して以来、そのゲームスキルの高さから幾度となく声を掛けられ参加することを繰り返してきた。
故に、裕福というわけでもないのに室内にはゲームが山のようにある。
このハイエンドなPCは娯楽に一切消費されることのない副業収入から、職業的必須として買いそろえたものだ。
アパート住まいなのはここからの方が学校に近いから。これも副業でまかなっている。
一人暮しでゲーム三昧。ハイエンドPCを維持するために炎暑だというのに冷房はガンガンで少しどころじゃなく肌寒い。出しっ放しのコーラが冷えたままで飲めるほどだ。
(娯楽として始めたはずのゲームが仕事になって……それで面白くなくなった)
趣味を仕事にするというのはそういうことなのかもしれない、と独りごちる。
最初の方こそ楽しかったが今となっては何をやっても感動が薄い。
FPSのオンラインゲームも一時のカンフル剤にはなったが、もはや飽きが入った。
娯楽の消失は――空虚だ。
生きがいがなくなれば、日常生活にも張り合いがなくなる。
(学校に楽しみを見つけられるような自分だったらよかったんだけどな)
自分が通う高校のことを思い出し、その教室の風景に憂鬱になる。
和気藹々と集団を作り、会話をするクラスメート達。
その話からあぶれるものは誰一人もおらず、教師ですらフレンドリーだ。
誰もが仲良くて当然で、話し合えばわかり合える。
理想的なクラス環境で、大変よろしい――他人と必要以上に触れあうことが苦痛でさえなければ。
(運動が出来ないわけでも、会話が嫌いなわけでも、人付き合いが苦手なわけでもない)
ただ単に、一人本を読んで静かな時間を過ごしたい。
一人思考の中に佇み、窓から風景を眺めていたい。
集団があったならば、そこに属するのではなく一歩引いた位置から見守っていたい。
会話をするのであれば、皆ではなく個人個人と。
(広く浅く付き合うという事がどうにも苦手だ)
それに尽きる。そしてあのクラスはそういう場だ。それがどうにもありがた迷惑で憂鬱になる。
一言で言うならば――馴染めない。そういうことだ。
生きがいもなく、娯楽もなく、日常生活に張り合いもなく、学校生活には望みすら見いだせそうもない。
(死にたい……)
だから、こう考えてしまうのも仕方が無いだろう、と誰にともなく言い訳をする。
明確に、死を考えているわけではない。もちろんだ。
ただ、死んだところで輪郭のはっきりとした後悔を抱けるかと言われると、それも疑問なのである。
今わの際にまだはっきり、生きたいと思えるかどうか。
死にたくないと願えるかどうか。
瀕死の人が、その死の誘いから逃れるときに必要なのは最終的には気力だという。
先ほどのFPSで後ずさりした彼にはそれがあった。
負けたくない、死にたくないという意志がかりそめの肉体に現れていた。
(自分ならばどうするだろうか)
それが気になる。
(生きながらえようと努力するか、あっさりと生を放棄するのか)
どうしようもない現実に、抗うだけの強い意欲が自分の中にあるのか――まだ残っているのか。
無気力だ、と思う。
このままでは、無気力で、満たされず、どうしようもない日常を繰り返すだけだと。
数多プレイしてきたゲームには面白い面白くないの程度はあれど、娯楽であろうとするその石を妥協した作品は一本たりとも存在しなかった。
(だから、もし、己の価値を問いかけるのであればゲームがいい)
それもとびっきりの、二度と味わえないような絶対的価値を持ったゲームがいい。
大神一心はPCのマウスを操ると、メーラーを起動し一つのファイルをウィンドウ化した。
差出人は公的な研究機関。一般にはコンピューターを利用した仮想現実世界の構築とそれに伴う周辺機器の研究を担う組織として公開されているここは、俗称をVR機関という。
そこから送られてきたメールには細々とした説明の後に、こう記されている。
『VRMMO「終焉のヴァンガード」に参加してくれないだろうか』
返答はイエスかノー。
大神一心は、返信ボタンを押すとメールに簡潔な文面をしたためて送信した。
PCモニターに未だ閉じられていないウィンドウにはこう表示されている。
『申し出をお受けいたします 大神一心』
ウィンドウを閉じて、モニターの前を離れる。
カーテンを開き、ブラインドを上げ扉を開け放った。
夏の、雲一つ無い青空が広がっている。
炎暑の空気が吹き込み、冷え切った肌をなでつける。
「――ゲームで死ぬのも悪くはないさ」
燦々と輝く太陽に言葉は揺らめき陽炎となった。
数実→数日 修正