起・2
11カ月ぶり。やっとできた
その白い“塔”がいつから在ったのか。それを知る者はいない。
街に人がいた時から存在していたのか。それとも“彼ら”の舞台となる前に誰かが築いたのか。今となっては調べることすら叶わない。
ただ言えるのは、この塔は“彼ら”が築いたものではない、という事。
「何時から」「誰が」「何故」「どのように」。
そんな疑問を“彼ら”が抱いた時には、すでに名も無き街は戦場となっていた。
“塔”を調べようにも“彼ら”が割ける余力は少なく、加えて“一方”の抜け駆けは“もう一方”が許すはずもない。片方の調査隊をもう片方が襲い、そこから大規模な戦闘に発展することも珍しくなかった。
戦場となった街に近づくのは“彼ら”以外に存在せず、その“彼ら”にも“塔”を調べるだけの余裕はない。さらに“彼ら”が不用意に塔へと近づけば、無駄な火種を無用なときに撒くことになり、自然と彼らの戦場は塔の周りを含まない形に移り変わっていた。
ゆえに戦火が白い塔の周りに及んだことは、ほとんどない。
街の実に九割が戦闘によってどこかを破壊されているのに対して、白い“塔”とその周りに建てられた建造物に、戦闘によって付けられた傷跡はわずかしか見受けられなかった。
“彼ら”の舞台の上にありながら“舞台”となることなく、美しい姿で聳え建つ白き“塔”。
誰も知らないその内側にあるのは、血を流してまで勝ち取るべき財宝か。それとも、何ものにも使えないガラクタか。
それを知る者は、今のところ一人もいなかった。
決して低くない街の建造物群の頭上をはるかに超えて伸びている白く細長い円錐の裾は、地面に届いていない。
宙に浮かんでいるわけではなく、円錐を支えるように太く短い柱が円錐の中央から伸び、地面に突き刺さっている。
もちろん単純に柱が地面に突き刺さっているだけ、というわけでは無いようだが“彼ら”がこれ以上のことを調べるには、多大な犠牲を持って周辺を制圧しなければならない。この塔が“彼ら”のどちらの掌の上にも無い今の状態を見るに、“彼ら”がそれを実行した前例はないようだった。
円錐の裾からは白い帯のようなものが、塔を支える柱を中心にして渦を巻くように伸び、砂の大地に刺さっている。
帯の数は少なくないが、あの鋼鉄の巨人が通れる程度には帯同士の間隔は開いていた。
帯の隙間を抜け、柱へと向かう黒い巨人。二つの円柱が伸びる鉄塊を背負ったその巨人は滑るように移動することはせず、二本の足を交互に踏み出しながら歩みを進めていく。
建造物に囲まれた中では大地を揺らすほどの物かと思えた巨人の歩みも、この塔のそばでは人の足踏みとそう変わらない。
巨人が柱の外壁に辿り着くと、それから何かを探すようにその柱の壁に沿って歩き出す。やがてその歩みが遅くなり、落し物を探すように巨人の目が柱の地面近くに向いた。
頭の動きが止まる。その視線の先には四角い横穴。巨人からしてみれば足も入りそうにない小さな穴だった。
だが、人が入るにはちょうどいい。
巨人はその横穴の前まで移動すると、おもむろに片膝を突く形でしゃがんだ。
しばらく巨人がそのままじっとしていると、背中の一部が人の通れるほどの大きさで上下に開く。
そこから出てきたのは一人の男。黒一色の装束に、同色のマントを羽織っている。防砂のためかマントに付いているフードをかぶり、口元は深緑の布で鼻まで覆われていた。鼻から上は黒いゴーグルをかけ、この状態からは表情はおろか顔のパーツさえ確認できない。
巨人の背中が開いた位置から地上までは、それなりの上背を持つ男の身の丈ほど。
開いた背中から男が飛び降りた。とくにバランスを崩すこともなく地面へと降り立ったその身のこなしから見て、体はそれなりに鍛えられているらしい。
地上に降りた男は振り返り、先ほど巨人が見つけた小さな穴へと足を向ける。
数十歩と歩くことなく穴へと辿り着くと穴に入る直前に振り向き、周囲を見渡した。誰もいない。
ただの確認行為だったのか、男はそのまま穴の中へと歩みを進めていく。
四角い穴の天井は男の上背よりもさらに高いが、幅は人が二人以上は並べない程度。
だが、今は男一人だけしかいないので問題はない。問題はその先に存在した。
「――行き止まり……?」
辿り着いたのは、壁。材質はわからない。色彩も日の光の届きにくい穴の奥に存在するためか、暗くて判別しにくいが、少なくとも外壁の色とは違うようだ。
男がマントの下から手を伸ばす。素手で壁に触れるが、つなぎ目の一つも感じ取れない。
手が壁から離れ、男は左右を見渡す。何も無いように見える。
男の右腕が腰の後ろに回り、光を伴って戻ってきた。握られているのは細い懐中電灯。目の前の壁を、もう一度なにか無いかと左右に見渡しながら照らすと、穴の右手側の壁に何か備えてあるのを見つけた。
見つけた物体に近寄る。一見すると長方形の箱のように見えたが、表面に積もった砂を払いのけると現れたのは、大きく広げた手を模したと思われる白い枠取り。
「……なんだこれ」
ふと何気なく枠取りに手を合わせてみるが、ずいぶんと手の大きな人物がモデルなのだろうか手の平を基準に指を伸ばしても、指先まで二センチほどの間隔があった。
しかし手を合わせた後もしばらく箱を調べてみたものの、特に何も起こらない。
「壊れてんのか」
余計な手間を取らせた、とばかりに箱を小突く。この箱が“塔”の内部についての手掛かりだとすれば、切っ掛けさえ得られずにこの穴を諦めなければならない。今はもう動かないこのガラクタが“錠前”であるのなら、“鍵”を持っていようと開けることは出来ないからだ。
無駄足だったか、と男は踵を返す。失望のため息をつくのも忘れない。
“ポイント”を探すついでに遠目から観察してこの穴を見つけただけだったが、この様なら別の方法を考えた方が早いだろう。
せっかく紛争を起こすギリギリ一歩手前のことをしてまで“塔”に近づいたというのに。
雇い主が優良ならば何も事を起こさない方が傭兵にとって得になる。問題を起こさなければちゃんと決まった報酬を支払うから。危険だと承知しながらもこの“塔”に踏み込んだのは、雇い主の払う報酬以上の“何か”がこの中に眠っていると思ったからだったが、これでは無駄骨もいいところだ。
“骨折り損のくたびれもうけ”とはよく言うが、これではくたびれた儲けすら得られずに帰ることになるのか。出入り口へと顔を向けた男が異変を感じたのは、そう考えた直後だった。
ぞわ、と不意に鳥肌が立つ。
男が乗ってきた巨人は穴の真正面で停止させていた。外の光が差し込む穴から出入り口の方を見れば、片膝をついた巨人が中央に見えるはず。なのに。
「……なんだ?」
穴から見える巨人の姿は、わずかに左へとずれていた。
――誰かが動かしたのか。
出入り口に辿り着き、砂の大地を観察するが、巨人が動いた痕跡はない。なにか偽装されたような跡も見当たらない。
巨人が動いていないのなら。
「俺が動いた……いや」
あの狭い通路では動きようがない。
「――これが、動いているのか」
驚きの声を、出入り口から見える円錐の天井に向かって漏らす。
大がかりで意味の見えない仕掛けだ。なぜ、どうやって作ったのか。誰がこんなことを考え付いたのか。そんな疑問が浮かんだ時。
フゥ、と背中に風が吹くのを感じた。
「っ!?」
背後に存在するのは、物言わぬ冷たい壁だけだったはずだ。風を通す隙間さえ存在しなかった。
そう言い聞かせて男が振り向く。腰からライトを取り出――そうとした、その手が止まる。
薄暗かったはずの横穴に、一筋の光。外側から差し込んでいるのではない。
四角い穴の左下の隅から、まるで内側にあった光が外へと漏れ出ているかのように、一筋の光は外へと向かっていく。
「なんだ……これ」
男が驚くあいだにも光の筋は拡大し続けているらしく、はじめに見た時は拳ほどの大きさだった光の束の高さは、今や膝上ほどにまで上がっていた。
“何かが起きている”ことに警戒して後ずさる男のかかとに、何かがぶつかる。
何事かと視線を下げた男の目に入ってきたのは、膝辺りまでの高さの段差。
「段差なんて――」
――無かった、という言葉を発するより先に、自分の体に横方向の慣性が働くのを感じた。不意打ちのに男の足元がふらつく。
「な――」
なんだ、と声を上げようとした瞬間、段差が急速にせり上がりはじめた。
出口から外に見える風景が横滑りして、徐々に上へと上がっていく。
「――いや」
男の体が感じ取ったのは、“浮遊感”。
つまりこれは、地面が回りながらせり上がっているのではない。
「俺が、下に降りてるんだ」
男の呟きと共に、外界への出口はあっさりと閉じてしまった。目の前存在するのは、穴の壁と同じ素材でできた鋼鉄の壁だけ。
もう灰色の壁しか見えない出口に映る、黒い影。男の影だ、後ろから光が射しこんでいる。
振り向けば、行き止まりには照明で煌々と照らされた通路が姿を現していた。
通路はまっすぐ奥まで続いていて、照明に照らされていたとしても一番向こうまでは男の視力でも見渡せない。
躊躇は一瞬だった。
「……くそっ」
退こうとしたところで出口は閉じてられている。助けも来るはずがない。ここで待機する、という選択肢はありえなかった。
男の右手が腰に回る。そこから取り出されたのは、黒い鉄の塊。
人の手で握るように成形された部分の、ちょうど人差し指が来る付近に備えられた引き金。男がボタンを押すことで出てきた、弾丸が込められている弾倉。
男の左手が鉄の塊の上部にあるスライドを掴み、手前へと引く。最大まで引き絞ったことを確認すると、男の手がスライドを離れた。ジャキンと小気味良い金属音を立ててスライドが元に戻る。
銃だ。男が取り出した鉄の塊は、人が片手に持てるサイズの銃だった。
男の腕が伸ばされる。右腕を突っ張るように、左腕は右手に添えて軽く引くように。
「いきはよいよい、かえりはこわい――か」
呟きながら、男は一歩ずつ通路へと足を踏み出していた。
警戒しながら進む男の歩みはゆっくりだったが、その道中で手に持つ銃を使うような場面に出くわすことは無かった。
というか順調そのものだ。何も無さすぎて、つまらなくなるくらいに。
「……本当に、何もないのか?」
構えを解いて腕を下げた男が、呆れたように呟いた。拳銃と言えどもなかなかの重さがある。出来るなら構えを取る時間は短くしたい。
銃にセーフティをかけ、手には持ったままで歩く速度を若干速めた。とはいっても男が普段歩く時の速度に戻った程度。
脇煌々と照らされた白い通路に脇道は無い。最低限の警戒だけをしながら前進すること、幾ばくか。
「……やっとだ」
外界と切り離されて時間の感覚も麻痺してきた中で、ようやくたどり着いた『行き止まり』。
両脇の壁と同じく真っ白な壁が男の行先を塞ぐ。だが――
「――先があるかもしれない」
地上からこの中へ入ってきたときも、偶然の産物とはいえ『行き止まりだと思っていた壁』の先に道があったのだ。中にこれだけ入り込んだ以上、また行き止まりが存在するとは考えにくかった。
何かあるはず。男の視線が左右を眺めると、視線に入ったのは、右の壁に備えられた箱。形状からして“入口”にあった『ガラクタ』と同じものだと思われる。
長方形の箱の表面に描かれた、大きな掌の縁取り。“入口”のものと違う点は箱の色が白いことと、埃を被っていないこと。
またか、と苦い顔をしながらも他に何かないかと視線を巡らせるが、あるものと言えば天井から煌々と壁を照らす照明と、白い壁の袋小路程度。
男はため息を一つつくと、箱の前に移動する。これが何かしらの『錠前』であることは間違いないようだが、はじめてこの場にやってきた男が、それを開けるための『鍵』を持っているわけがない。
だが、『入口』は開いた。正確には入口の前に移動した形になるが。
つまりあの入口での行動が『鍵』になったということ。
「――こいつしかない、よな」
男の目線の先にあるのは手形を描かれた箱。
同じ行動をすれば道が開くという保証はない。だが、他に手がかりも何もないのだ。
「……はぁ――」
都合の良い憶測だけで立てた仮説だ、“箱”が反応しなければどうしようもない。だがそれ以外に縋るものも無い。
深い溜め息をつきながら、男は箱に描かれた手形へと自らの掌を置いた。
しばらくそのままにするが、何も起きない。
やはり無駄だったか、と男が逡巡しかけたその時、真っ白な世界に異変が起きた。
『――承認』
「っ!?」
突然、天から響いた固い声。男はとっさに銃を引き抜く。白い天井へと銃口を向けるものの何も見つけられない。
そんな男の動揺も警戒も見えてない、とばかりに固い声の言葉は続く。
『ロック解除、ドアを開放します』
声が途切れると同時に空気が抜けるような音が聞こえたかと思うと、目の前にあった白い壁が無くなっていた。
“無くなった”というよりは“上の方へ壁が動いていった”と表現した方が正しいか。
とにかく、行き止まりかと思われた通路の先にも道はあったのだ。ここで後退したところでどうしようもない。
何があるか分からない。男は、銃を構え警戒を解かないまま、ゆっくりと奥に進み始める。
――目の前の光景に、絶句した。
ただただ、紡げる言葉が無かった。
「な、んだ、これ……」
どうにか絞り出した言葉は、たったこれだけ。
だが、その驚愕も納得できる。
あの白い通路からたった数歩進んだ先に――奈落へと続くかのごとき深い縦穴が、ぽっかりと口を開けていたのだから。
道が途切れているわけではない。高所での足場とするには頼りなく見える鉄の板が、穴の中心を通るように貫く一本の棒へと渡されていて、両端は申し訳程度に鉄棒で手すりが拵えられていた。
――どうする。どうしようもない。あの“壁”は開いた時と同じように、気の抜けるような空気の音と共に閉じてしまった。こちら側にはあの“箱”も見当たらない。
男の脳内での自問自答は、消去法的選択によって『前進すべし』という結論になった。
だが、いくら結論は出たと言ってもこの“橋”の上を渡るにはかなりの勇気を必要とするだろう。何せ、支えとなっているのは鉄板の下に通されている一本の太い棒以外に見えないからだ。
片足だけ載せてゆっくりと体重をかけてみた。中をくり抜けば人一人は入りそうな太い棒は、相当に頑丈なのか揺れもなにも生じなかったが、幅は人が歩くにはかなり狭い。それを両端に渡された鉄棒を命綱の代わりにしながら渡れ、と言う話だ。人間の防衛本能から来る恐怖心が出足を鈍らせるのは、ある種、当然の反応だった。
「……といったところで、後退する方法も分からん」
生きて脱出したいのなら、前に進むしかない。この先に“塔”を脱出する方法があるかどうかは分からないが、その場に留まっても良い方策は思い付かない。
「賭けは嫌いなんだけどな……」
どちらの想定も憶測でしかない。前に進んでも脱出の方法は無いかもしれないし、このまま待機していれば救援が来る可能性も無いとは言えないだろう。それ以上に“悪い方向”が待ち構えている可能性もある。
だが、選ぶとするなら少しでも“良い方向”での可能性の高い方にすべきだ。たとえそれが、同時に悪い方向の可能性と五分であるとしても。
選択した可能性に賭けるために、男は鉄の橋へと踏み出した。
橋の半ばにまで差し掛かった男の口から、ポツリと言葉が漏れる。
「ったく……なんだってこんなもんを作ったんだよ……」
この構造には何かしらの意味があるはずだとは思うが、男にはこんな構造にする必要性を理解できなかった。
“悪い方向”の可能性――何かの罠だったりしないかと疑いもしたが、ここに罠を張るくらいならさっきの通路にいくらでも仕掛けられたはずだ。わざわざこんな奥の方に罠を張るのは意味がわからない。
もしかしたら塔の内部へと続く本物の入り口は別にあり、こちらはまるごと罠だった、という可能性も考えた。しかしその可能性を思い付いた時には、男は橋を渡り終えてしまっていた。
結局、判明したのは今の時点で罠は道中に存在していないことだけ。そして、ここから先も恐らく存在しないだろうと男は考えている。
「……俺だったらここで橋を落としてた」
わざわざ底の見えない穴があるのにそれを罠に使わないのなら、どこに罠を仕掛けるのだろうか。人が前後四人ずつ並んだ程度の太さの柱を見上げながら、男は思案する。
柱は中が空洞なのだろうか、男の辿り着いた場所には四角く区切られた窪み。その脇には、すでに三度目の出会いとなる例の白い“箱”。つまり柱の中に“先”があるということだ。
ぐるりと柱の周りを廻れるように円形の足場が設えてあるが、一周してみても他に何もない。一周廻ったからと言って足場が抜けたりぐらついたり、と言ったことも無い。
「罠を張るならこの中だが……」
拳で柱を軽く叩いてみると、硬い音が返ってきた。感触から使われている材料は金属類と思われる。まぁ当然か、と男は胸の内で呟いた。
上も下も暗く、取り出したフラッシュライトの光さえ飲み込まれる程、その果ては遠い。そんな柱を中空にしつつ自重に耐えられるようにする方法は、男の知る限り金属で造る以外に無いと思っている。
なんにせよ――
「……出来ることは一つだけ、か」
観念したように男は箱の前へ立つと、掌を手形に押し付けた。これで三度目だが妙に慣れてきたのが腹立たしい、といった感情が顔に浮かんでいる。
『――承認。しばらくお待ちください』
「……何をだよ」
念のため、と男は銃を構えながら何処からともなく響いた声に返事をしつつ、目の前の“窪み”に意識を向けた。
やや経つと、またもや空気の抜けるような音がすると同時に目の前の壁が、今度は下に動いて柱の一部に。視界の先には白い小部屋。
素早く視線を廻らせて様子を見るが、特に何も無い。下に床があり上に天井がある。壁は白く滑らかな円柱型をしていて、鉄の棒が手摺のように腰の高さで壁に備えられていた。
最低限の警戒をしつつ、小部屋に入る。空気の抜けるような音が聞こえ、背後に白い壁がせり上がった。状況的に言えば小部屋に閉じ込められた形だ。
一瞬だけ、男は罠かと思った。床が抜けるか、天井に押し潰されるか。それとも部屋ごと粉微塵に吹き飛ばされるか。
身を強張らせる。
――だが、
『上へ参ります』
突如聞こえてきた声が、男の想像を杞憂に変えた。
声が聞こえてから数瞬すると、体を上から緩やかに押さえつけられるような感覚が。もちろん誰かが押さえつけているわけではない。
周りは白い壁、窓も何もないので外の様子も見えない。が、知識と経験によって“慣性”というものを知っている男は、自分が“白い小部屋ごと上の方へと引き上げられている”ことを理解した。
手摺のような――というかそのまま手摺だったらしい鉄の棒に寄りかかる。出口も無い以上、この棺桶のような小部屋に行く末を委ねなければならない。だが、今の今まで何もないのなら、少なくとも今は何もないはずだ。
無理やりに納得出来る理由を付け、男は“小部屋”が連れて行く先に辿り着くまで気を緩めることにした。
ふっ、と感じた体の違和感に、男は閉じていた目を開く。気が緩みすぎたのか少し眠っていたらしい。
違和感の原因を探すが、自分の体に何かされた痕跡はない。となれば“小部屋”に生じた現象が原因のようだ。
――何か起こる。直感が男に囁きかけ、警戒心を掻き立てた。腰の拳銃を引き抜き、目前に構える。
ふわ、とした違和感が男を襲った。体が軽くなったような、宙へ浮き上がるような気持ち悪い感覚。男はその感覚から、“小部屋が上方へ向かう速度が低下している”と結論付けた。つまりそれは、この小部屋が向かう“目的地”がもう間近であるという証になる。
銃を正面に向けた。男がこの部屋に入ってきた方向だ。普通なら入ってきた方向から出られるはず。
足元が、少し揺れる。少しだけ自分の体が浮き上がる感覚がしたので、小部屋の動きが止まったらしい。“目的地”に着いたようだ。
何が来るかもわからない。拳銃を握る手に力が篭もった。
――一瞬。二瞬。瞬間が重なり、一秒になる。二秒になる。何も起こらない。
まだか、と男が焦れはじめたその時。
「……後ろ」
「――ッ!?」
背後からかけられた声に振り返り、いつの間にか出来ていた背後の穴から見える声の主へと銃を突き付けた。張りつめた緊張の糸を弾かれ、思わず引き金を引きかけた指を止められたのは、その銃口の先にいたのが年端もいかないような少年だったからだ。
だが、声の主が子供だからといって銃の狙いは外さない。男が未だに警戒を解かないのは、
「……その銃を下ろせ」
「――下ろしたら、下ろす」
少年の手に銃が握られていたから。
男が向ける拳銃よりも大きい。少年の体躯では片手で構えるのも難しいだろう。
少年はそんな銃の握把を右手で握り、左手は銃口らしい穴の下から伸びる棒をしっかりとつかんで自身の体に引き寄せていた。肩にストックを当て、狙いは照門から覗く照星によって正確に――男の眉間にぴたりと定められている。
だが狙いを定めているからといって、撃つ様子は見せていない。しかし銃口がぶれる様子も無いことから、腰が引けているわけでもないようだ。
「――お前、誰だ。なんで“塔”の中にいる。そして銃を下ろせ」
「――ただの子供。ここが“家”。そっちが下ろすべき」
「……」
「……」
睨みあう。
視線が絡む瞬間を積み重ね、十秒ほど睨みあった末に、男が拳銃を下ろした。
「……下ろしたぞ」
「ん」
男の言葉に頷いた少年は、自分の銃を下ろす。握把の近くにあるセレクターによって安全装置をかけた。男も拳銃に安全装置をかけ、腰の背中側にあるホルスターに仕舞う。
少年は手招きを一つすると、踵を返した。握把から手を放し、銃を小脇にはさんで先に進んでいく。男は穴――といっても男一人の出入りにも広すぎるような空間から顔を出し、充分に周囲を警戒した後に少年のあとに続いた。
どこへ続くともわからない通路を、少年と男が歩いていく。
少年の歩幅は小さい。男は少年が三歩歩く距離を二歩で歩きつつ、前を行く背中へと尋ねた。
「……どこ行くんだ」
「入れた理由へ」
「――“入れた”? この“塔”の中に、俺を?」
「――」
こくり、と振り向かずに少年は頷きで返事を返す。
「……お前が?」
「――」
こくり、と再び頷きが返ってくる。
「どうやって」
「レーダー。監視カメラ。赤外線センサー。何か来た」
「……」
ぽつりと少年がこぼした単語は、男にとってはどれも聞いたことある。レーダーと赤外線センサーはあの巨人にも載っているし、監視カメラは“大尉”殿たちの塒にもあった。
だが単語を並べられただけでは、少年が何を言いたいのかは分からない。言いたいことは言ったのだろうが、単語の間を省きすぎだ。
「――レーダーとカメラ、センサーで俺が来たのを確認したわけか?」
「VAが来た。それが分かった」
「……なるほど」
男個人の接近を把握したからではなく、VAというものがやってきたのを感知したかららしい。
ふぅ、と男は一つ息を吐く。まるで言葉のパズルでもやってるかのようだ。
「どうやって中に入れた」
「監視カメラ。認証装置、触った。指紋登録。入口だけ操作」
「……」
一気に難問に出くわしたらしい。監視カメラであの“穴”の中も見ていたということは分かったが、触ったと言われても、あそこで触ったのはあのガラクタのような箱だけ。あれが“認証装置”だったらしいが、その後に続いた単語は理解不能だった。“指紋”というのが自分の指にある皺だというのは分かるが、それを“登録”したとはどういうことだ。
そして『入口だけ操作』したのだから、男を“塔”の中に閉じ込めたのはこの少年だということになる。その行動の意味も分からない。
答え合わせをしようにも、これ以上の意味のある文章を少年が喋ることが出来るのかさえ疑問だ。
「監視カメラで、俺の様子を窺っていた。あの箱――認証装置を俺が触ったから、その“指紋登録”とやらをやった後に俺をこの塔の中に閉じ込めた。そういうことか?」
「――招待。監禁の意図は無い」
ふん、と男は鼻で息をつく。何の宣言も無く出口を塞ぐことのどこが“招待”なのだろうか。あるいは、それ以外の適切な言葉を持っていないのか。
そこはこの際どうでも良いとして、少年は多少強引な手段であっても男を中に入れたかったらしい。
「……そうまでして俺を中に入れた理由は、なんだ」
「……この先。少し待って」
目の前には、行き止まり。脇の壁には、“認証装置”であるらしい白い箱。
少年は何のためらいも無く、慣れた様子でそこに手を置いた。
『――承認。ロック解除、開放します』
男がここに来る途中で何度か聞いた声が、またもやどこからともなく聞こえてくる。少年はとっくに慣れているらしく何の反応も示さなかったが、その時の男の手は銃を入れたホルスターへと置かれていた。やはり何度か聞いたことがあるとは言っても、丸腰の状態で背後から声が聞こえてくれば思わず警戒してしまうらしい。
「……なにも無い。警戒しない」
「分かってる。仕方ないだろ」
一歩先に中へ入っていた少年からの呆れたような目線と声に、男はうるさい、という思いを込めた目線を向けた。
先へ進もうとする少年に遅れまいと、男は開かれた入口に入る。
入口の先にあったのは、巨大な空洞だった。“小部屋”へ渡るための橋があった場所よりも広く、遠い。
「……こっち」
右から声が聞こえる。顔を向けてみれば、弧を描く壁に沿って階段が備えられていた。電灯が足元から照らされているらしく、すでに数段上っていた少年の顔は影で見えない。
招く声と先に進む姿に導かれるように、男は階段を上っていく。
登りきった先には、ここに来る際に見た“小部屋”の入った柱よりもはるかに太い柱と、その傍に佇む少年、そして少年の目の前に横たわる、男の身の丈よりも長い真っ白な物体。
長い円柱の両端に半球をくっつけて真上から押しつぶそうとしたかのように、少しだけ平らになっている。“塔”の外壁と同じく傷も無く真白なそれは、綺麗すぎるが故に少し気味が悪かった。
男が少年のそばに立つ。
「……これは?」
「“理由”」
「分かってる。これは何だ」
男の言葉に、少年は柱にある箱に触れる。良く見ると物体と柱は何らかのケーブルで繋がれており、少年の触る箱には、今までの“認証装置”とは違ってボタンが存在していた。
少年がボタンをしばらく叩ていくと、突然電子音が響く。
『――解除』
「なんだ」
また銃の入れてあるホルスターに触れながら、男は周りを見渡す。そんな男の正面に立つと、少年は物体を指さした。
「招いた、“理由”。これ」
指差された物体の上面が、白一色からゆっくりと色を帯び始める。表面が透けて、中身が見られるようになったようだ。
その“中身”に、男は目を見開いた。
「……人間、か?」
一人の少女が、目を閉じて微動だにせずに横たわっていたからだ。
男に向けて、少年は口を開いた。
「これが“理由”。姉。助けて」
分かりやすい単語の羅列に、解読するまでも無く意味を理解した男は、ついに絶句した。
二話をやっとお届けできました。クリスマスプレゼント?違う。ホントに
一年ぶりだし、誰かに見て頂ければ、それだけで幸いです