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①高知へ!


 展望レストランには、耳触りの良い穏やかなジャズが流れていた。


 心地良いリズムとメロディに、耳を傾ける久美子。


 彼女は、細い指先でワイングラスを持ち上げた。



 店内の様々な光を反射する赤ワインは、まるでルビーのよう。


 魅惑の輝きに、久美子は頬杖をつき、しばし見惚れた。


 そして、もてあそぶ様に数回グラスを揺らした後、彼女はそっと目を閉じた。



 グラスの縁が、美麗な唇に触れる。


 その瞬間、赤い宝石は、久美子の中へと溶けていく。



 そんな久美子を見て、吉彦はナイフとフォークを静かに置いた。


 そう、吉彦の不安は杞憂に終わ





 ——ビリビリビリッ!





「なっ、何するんだよ!」


「何するんだよ、じゃねぇよ! 何だ、このクソつまらない小説は!」


「まだ冒頭の数行しか、読んでないじゃないか!」


「もう十分だよ! 文章がくどい! さっさとワイン飲めよ、久美子!」




 ……なんて奴だ。


 信じられない。


 なんでこんな嫌な奴が、僕の友達なんだろう。







◆◆ 史上最低の小説 ◆◆ 作者/岡本圭地







 僕の名前は、岡島圭太。


 小説家の卵だ。


 そして今、僕の大事な小説ノートをビリビリ引き裂いた男が、桑田和也だ。



 彼とは幼稚園の頃から、ずっと一緒だ。


 その関係性は、頼れる兄と、それを慕う弟のようだった。


 いつも小柄で臆病な僕が、自信に満ちた和也の後ろに隠れていた。




 だが、それは小学校までの話。


 僕達はもう高校三年生だ。


 今は、対等に話をする間柄になっている。


 とはいえ和也の、僕に対する上から目線は、ずっと続いてるのだが……。




「そもそも、飯食ってるシーンから始まるとか、つまらない小説の典型じゃねえかよ」


 和也の批評は続く。


 小説なんて、ほとんど読んだ事がないくせに。


 あぁ、せっかくの昼休みも、和也のせいで気分が悪い。



 だいたい僕の机の上に、腰を下ろしている態度が気に入らない。


 何様だ。


 僕は苛立ちから、和也に反論する。




「……何でだよ。食事のシーンから始まる小説なんて、よくあるじゃないか。男女の距離感、関係性、周りの雰囲気を、少しずつ文章から読み取っていくのが、小説らしくて……」


「そんな事言ってるから、個性のない、面白みのない綺麗にまとまっただけの文章になるんだよ。だいたい、訳の分からない比喩表現は何だよ。赤ワインが宝石? 何だよそれ、歌の歌詞じゃないんだからよ!」



「いや、そういうのはあった方がいいんだよ。小説を読む人は、そういうのに美学を感じるんだよ」


「何だよ美学って。あとよ、美麗とか杞憂とか、そんな言葉、日常会話で使わないだろ。お前、自分を頭良く見せたいのか?」



「別に、そんなつもりじゃ……」


「あのなぁ、作者が東大卒だろうが、ポンコツ中学中退だろうが、読者はどうでもいいんだよ。エンタメ小説なら、サクサク読めて面白おかしいものを書けよ!」




 ……ダメだ。


 和也には、何を言っても無駄だ。


 ああ言えばこう言う、イチ言えば十になって返ってくる。


 僕が諦めて沈黙を決め込むと、和也は溜め息をついて、黒板の上の時計を眺めた。



 四月の風が優しくカーテンを揺らすと、和也はポケットから駄菓子のスルメを取り出し、クチャクチャと食べ始めた。


 イカ臭い。




 教室には、窓際に座る僕達の他に、後方に三人の女子が集まっていた。


 三銃士だ。


 三銃士というのは、和也が勝手に付けたグループ名だ。


 それぞれに、あだ名もある。



 一人は、太陽の光を浴びた事が無いほど白い肌をした、出っ歯の死神。


 もう一人は、太陽の光だけを浴びて生きてきたような、色黒の原始人。


 そしてボスは、椅子が壊れそうなほど太った、天然パーマの横綱。



 そんな三銃士を一瞥した和也は、より一層深い溜め息をついた。


 イカ臭い。




「つまんねえな……」


「これが日常だよ。そうそう面白い事なんて、ないよ」


 僕がそう言うと、和也は脱力して、だらしなく仰け反った。



「あぁ、マジつまんねえ。校内を素っ裸で走り回ろうかな。けっこう刺激的じゃね?」


「……刺激的ではあるね。でもそれは、僕がいない時にやってくれよ。騒がしくなりそうだから」


 和也が死人のような顔で、また深い溜め息をついた。


 イカ臭い。




 すると数秒後、そうだ! と和也が叫んだ。


 何か思い付いたようだ。



「おい、圭太! 何処か遠くへ行こうぜ! ヒッチハイクで!」


「えっ?」


「小説に活かせるじゃん! どうせ、しょうもない話しか思いつかないんだったら、旅先で起こる色んな出来事を、ノンフィクションで書いてみようぜ!」




 ……なるほど、その発想は無かった。


 確かに、面白いかも知れない。


 しかし、高校生の僕達が、ヒッチハイクなんかして大丈夫だろうか?



「怖くないかな? 知らない人の車に乗ったりして」


「大丈夫だって。運転手がヤバそうな奴だったら、やっぱりやめるって、断れば良いしよ」


「うーん……」


 まあ女性ならともかく、僕達は男二人だ。


 とくに和也は体も大きく、喧嘩もめっぽう強い。


 いざとなったら頼れる男だ。




「……分かった」


「よしっ! 決まりだな! 来月のゴールデンウイークに決行な!」


「でも、どこで降ろされるか分からないし、一応東京まで帰ってこれるくらいのお金は持っていくからね」


「オッケ、オッケ」



 こうして僕達は来月、ヒッチハイクで、あての無い旅に出る事になった。


 こんな旅行は初めてだ。


 僕は不安と期待を胸に、カーテンの隙間からのぞく青空を見つめた。






 ◇ ◇ ◇






 ——五月、その日が訪れた。


 僕達は、朝早くからバスを乗り継ぎ、高速道路の入り口付近までやって来た。


 ここなら、長距離移動をする車が多いからだ。




 親には、和也と四泊の旅行をすると言ってある。


 それに伴い、ホテルに泊まる際の同意書も書いてもらった。


 和也も同じだ。



 ただ、ヒッチハイクで、あての無い旅をする事は言っていない。


 もちろん、それは親が心配するからだ。


 とりあえず大阪あたりに行く、と曖昧に伝えた。



 そして、ヒッチハイクだが、それは意外とすぐに成功した。


 和也が親指を立てていると、白いミニバンが停まってくれたのだ。



 車には運転する男性が、一人だけ。


 四十歳くらいだろうか。


 僕達は礼を告げると、後部座席に乗り込んだ。



 男性は、青木と名乗った。


「君ら学生さん?」


「はい、大学生です」


 青木さんの問いに、和也がサラリと嘘をつく。


 まあ高校生と言うよりは良いかもしれないと、僕は黙っていた。



 ヒッチハイクで、あての無い旅をしていると伝えると、青木さんは嬉しそうな顔で何度も頷いた。


「いいねえ、行き先も決めずにヒッチハイクで旅とかさ。青春って感じで。そういうのは、若いうちしか出来ないからさ。はっはっは」


 青木さんは、ヒッチハイカーを乗せてくれるだけあって、陽気で外向的な性格のようだ。




 しばらくして、青木さんがルームミラー越しに、こちらを見てくる。


「あ、だけど俺、かなり遠い場所まで行くんだけどさ。大丈夫かい? 途中で降ろそうか?」


「どこまで行くんですか?」と和也。


「高知県だよ」


「……高知県!」



 驚いた和也が、大きな声を出した。


 そして、僕の耳元に顔を近づけ、小声で話しかけてくる。


(おい圭太、高知ってどこだっけ? 九州か?)


(何言ってるんだよ、四国だよ。坂本龍馬で有名な県だよ)



(おおっ、坂本龍馬か。よく知らないけど坂本龍馬って、凄い奴なんだろ? 行ってみようぜ)


 適当な奴だなぁと思いつつも、どうせ乗りかかった舟だ。




 高知か。


 面白いかもしれない。




 僕は和也に「いいよ」と頷いた。


 何か小説に活かせれば良いのだけれど。


「じゃあ高知まで、お願いしまーす!」



 和也が快活な声で言うと、ルームミラーに映る青木さんの眉が、吊り上がった。


「えっ、高知まで? かなり遠いよ。着くのは夜になるけど」


「いや、お願いします。前から高知には、行ってみたかったんです!」



 また和也が適当な事を言ってる。


 高知の場所も、知らなかったくせに。



「まあ、旅は道連れって言うからな。はっはっは。長い旅になるな。よろしくな」


 それから僕達は、たっぷり十時間、車に揺られる事になる。


 ちなみに青木さんは、今乗っている車を地元・高知の友達に、譲渡するらしい。


 そのため、車で向かっているとの事だった。





 道中、青木さんは高知の事を、沢山教えてくれた。


 とにかく、高知は食べ物が美味しいところで、鰹のタタキは絶品だと。


 夏には、本場よさこい祭りがあり、全国から沢山の踊り子が集まるらしい。


 また高知県民は酒好きで、大らかな人が多く、喋る土佐弁は癖があって面白いなど、本当に色んな話をしてくれた。



 途中でガソリンを給油すると、僕達は買い込んだ弁当を食べた。


 そして夜八時過ぎ、遂に高知駅へと到着する。


 僕達は、青木さんに何度も礼を言って、車を見送った。




「いやあ、青木さんって本当に良い人だったな、圭太」


「そうだね。気さくだったし」


「おおっ、見ろよ! 路面電車だぜ!」



 和也の指差す方へと顔を向けると、一両編成の路面電車が見えた。


 それは車のすぐ隣を走っている。


 僕は思わず、わあっと、感嘆の声を漏らした。


 東京では、まず見ない光景だった。



 その後、僕達はネット予約していたホテルで一泊した。






つづく……

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