第49話 髪飾り
なぜか突然抱きついてきた中年男性に、わたしは戸惑っていた。
「ああ、リオラ! 俺の可愛い娘よ! これからはずっと一緒だぞ!」
「え、えっと……それは困ります……」
必死に引き剥がそうとしてみても、領主の腕はびくともしない。
信者が過激な行動をしてしまうことは今までにも何度かあったが、娘扱いをされたのは初めてだ。洗脳スキルが変なふうに作用してしまったのかな……。
わたしが内心で頭を抱えた、その時だった。修道服から2本の触手が伸びて「やれやれ」と肩をすくめるような仕草をすると、領主の後頭部を躊躇なく叩いた。
――ベシィッ!!
「がはっ……」
拘束がふっと緩み、領主が前のめりに崩れ落ちる。地面に突っ伏した領主はゆっくり顔を上げると、か細い声で問いかけてきた。
「す、すまない……。そんなに嫌だったか……?」
「ええ、まあ……。嫌か嫌でないかで言えば、断固として嫌ですが……」
せっかく信者になってくれた相手にこんな冷たいことを言うのは心苦しいし、信者のお願いはできる限り叶えてあげたいという気持ちもある。
しかし、この先もずっとお父さんとして振る舞われることを想像すると、心の底からげんなりしてしまうのも事実だった。
わたしの言葉にしょんぼりと肩を落とす領主に対し、邪神の眷属はまだ怒りが収まらないらしい。今度は6本の触手を生やし、ベシベシと領主の体を叩き始めた。
「あがっ! わ、分かった! これ以上リオラに過度な干渉はしないと誓う! だから嫌いにならないでくれ! 本当にすまなかった!!」
「……分かりました、それだけ反省していただければ充分です。さて、こんな暗いところに長居するのも何ですし、外に出ましょうか」
わたしの一言で触手は大人しく攻撃の手を止め、するすると修道服の中に引っ込んでいった。
地下牢の階段を登り、重い蓋を押し上げる。差し込んできた陽の光に思わず目を細めていると、大勢の信者たちが倒壊した屋敷の瓦礫を必死に掘り起こしているのが目に入った。
「リオラ様! そこにおられたんですね!」
いち早くわたしに気づいた信者が声をかけてくれる。作業していた人たちが一斉に顔を上げ、安堵の表情でこちらに駆け寄ってきた。
「教祖様、よくぞご無事で!」
「領主に捕えられたと聞き、皆で駆けつけたのです! しかし屋敷に着いたら既にこの有様で……もしや瓦礫の下敷きにでもなってしまわれたのかと!」
次々と聞こえてくる心配の声に、胸の奥がじんわりと温かくなる。どうやらわたしの身を案じて、街中の信者たちが集まってくれたようだ。
しかし、その和やかな空気は一瞬で凍りついた。わたしの背後から、ばつの悪そうな顔をした領主がのそりと姿を現したからだ。
「てめぇ……! さっきの通告は何だ? ノクヴァル教のことを邪教だとか言ってくれやがったよなぁ!?」
「教祖様を牢に閉じ込めた大罪人め! 今すぐ処刑してやる!!」
信者たちの目に、明確な殺意が宿る。一触即発の空気がその場を支配した。
「皆さん、落ち着いてください」
わたしはすっと右手を上げて彼らを制した。殺気立っていた信者たちがぴたりと動きを止める。
「ご心配をおかけしてすみません。でも、もう大丈夫ですよ」
わたしが領主へ視線を送ると、彼はこくりと頷き、その場に膝をついた。そして集まった信者たち全員に聞こえるように、大きく息を吸い込んで高らかに叫ぶ。
「皆の者、聞いてくれ! 俺はこれまで、大きな過ちを犯してきた! だが偉大なる教祖、リオラによって救われた! 今この瞬間から、俺はノクヴァル教にこの身を捧げることを誓う!」
ざわっ、と信者たちの間に動揺が走る。しかし領主の言葉はそれだけでは終わらなかった。
「そして俺に代わり、教祖リオラがこの街の新たな統治者となることをここに宣言する!!」
あまりの衝撃に、信者たちが目を丸くして固まる。その静寂を破ったのは、割れんばかりの大歓声だった。
「「「うおおおおおおおおおおおおおっ!!!」」」
「悪徳領主を改心させ、この地の支配者になられた! まさに救世主だ!!」
「ノクヴァル教の勝利だ! 新しい時代の幕開けだぞ!」
「リオラ様万歳! リオラ様万歳!」
信者たちの熱狂は、もはや誰にも止められない。ある者は天に祈りを捧げ、ある者は隣の人と抱き合って涙を流している。
「こうしちゃいられない、祝杯だ!」
「祭りの準備を急げッ!!」
彼らは瓦礫を屋敷の外へと運び出し、屋台や旗をどこからか持ち込んでくる。領主の屋敷跡は、あっという間にお祭りの会場になってしまった。
わたしはその喧騒の中心からそっと離れると、木の陰に隠しておいた紙袋を回収する。
「ふぅ、これで一件落着ですね」
もうすぐ日が暮れる。わたしは服の入った紙袋の中から、小さな箱を取り出した。
今日中にこれをシャノンに渡したかったのだ。
夕焼けに照らされた道を小走りで進むと、すぐに見慣れた教会が見えてきた。美しい装飾の施された門をくぐり、まっすぐにシャノンの研究室へと向かう。
コン、コン、と扉をノックする。しかし、中から返事はない。
「シャノン? 入りますよ?」
胸に小さな不安を覚えながら、そっと扉を開ける。分厚い魔導書やポーションの小瓶が散乱する部屋の中心で、シャノンがソファーに体を埋めるようにして眠っていた。
纏っているローブはあちこちが無惨に引き裂かれ、左手のブレスレットに埋め込まれた宝石はその99%が黒く染まっている。
ふと、あることに気づいた。
「珍しく魔力障壁を張っていませんね」
シャノンは普段、わたしの洗脳スキルを警戒して寝る時でも魔力障壁で自分の体を守っている。でも今は完全に無防備だ。今なら、彼女を楽に洗脳することができる。
「……でも、やめておきましょうか」
信者の話によると、彼女は今日とても頑張ってくれたみたいだし。洗脳がなくてもわたしと友達でいてくれる彼女を裏切る気にはなれなかった。
「シャノン、起きてください。もうすぐお祭りが始まりますよ」
「ん……。朝、ですか?」
シャノンが目を擦りながら、弱々しい声で呟いた。透き通るような水色の瞳がゆっくりと開き、わたしに焦点を合わせる。
「ふふ、まだ朝ではありませんよ。何だか、このやり取りも久しぶりですね」
初めて会った日、邪神の森でシチューを振る舞った時もこんな会話をした覚えがある。
「リオラさん……。よかった、無事だったんですね。邪神の眷属が広場に大量に現れて……。私は戦い疲れて、そのまま寝てしまったみたいです」
「信者の皆から聞きましたよ。本当に、よく頑張りましたね」
わたしの言葉に、彼女は力なく首を横に振った。
「……リオラさんには及びません。私なんて、ほとんど何もできませんでしたから」
「そんなことはありませんよ。わたしが領主の屋敷に行っている間、街を守ってくれたのはシャノンなんですから。……それでというわけではないですが、あなたに渡したいものがあるんです!」
わたしはそう言って、懐から小さな箱を取り出した。突然のことに、シャノンはキョトンとした顔でわたしを見つめている。
「いつも頑張っているあなたへの感謝の気持ちです。開けてみてください!」
わたしが促すと彼女はおずおずと小箱を受け取り、ゆっくりとリボンを解いていく。そして中から現れたものを見て、小さく息を呑んだ。
「綺麗……」
それは月の光を閉じ込めたような、青い光を放つムーンストーンの髪飾りだ。
「こんなに素敵なものを、私が受け取ってもいいんですか?」
「ええ、シャノンに似合うと思ったんです。よかったら、つけてみませんか?」
「はい……」
シャノンは少しだけ乱れた髪を手櫛で整えると、その髪飾りをそっと髪に留めた。そして期待と不安の入り混じったような目でわたしを見つめてくる。
「どう、でしょうか……?」
あまりの美しさに、思わず息を呑む。彼女の淡い水色の髪が、ムーンストーンの放つ幻想的な光に包まれてきらきらと輝いていた。
「とても似合っていますよ! 可愛いです!」
シャノンの頬がほんのりと赤く染まる。嬉しそうにはにかむ彼女を見て、わたしも自然と笑顔になった。
「シャノン、覚えていますか? 今日でシャノンと会ってからちょうど3ヶ月ですよ! だからこれは、その記念でもあるんです」
「そうですか、もうそんなに経つんですね……」
シャノンは髪飾りにそっと触れながら、感慨深げに呟く。
本当に、怒涛の3ヶ月だった。何もない貧民窟に教会を建て、街を立て直し、皆で冒険にも出かけた。
目まぐるしく過ぎる日々の中で、いつも彼女に助けられていた。
「貴女との生活は、毎日が驚きの連続でした。こんなにも心が温かくなったり、誰かのために頑張りたいと思えるなんて知らなかったんです。……リオラさんには、頂いてばかりですね」
シャノンが真剣な眼差しでわたしを見つめてくる。そしてわたしの体に手を回すと――。
「私は、貴女と離れたくありません。これからもずっと、一緒にいたいです」
わたしのことを、強く抱きしめてきた。
――パリンッ!!
シャノンのブレスレットに埋め込まれていた黒い宝石が、音を立てて砕け散る。その瞬間、彼女の体が淡い金色の光に包まれた。
「えっ、しゃ、シャノン!?」
シャノンは洗脳されるのをあんなに嫌がっていたはずだ。それなのに、どうして自分から?
パニックになるわたしの耳元で、彼女が囁いた。
「もう、貴女に会えない時間があるのは嫌なんです。こんなに近くにいるのに、触れることができないなんて耐えられません」
光が収まったとき、彼女は悪戯っぽく微笑んでいた。その表情は今まで見たどんな時よりも晴れやかで、幸せそうに見える。
「それに、やっぱり。私は何も変わりません。魔術は相変わらず大好きですし、心が晴れたからか、真理を探究したいという思いも高まってきました。そして……貴女のことは、変わらず大好きです」
思いがけない言葉に、胸が詰まる。
「えっと……それはどういう意味で……」
「貴女のスキルは対象に好意を植え付け、偉大な教祖だと信じ込ませる……。でも、元から貴女を愛していれば、洗脳されても何も変わりません。……貴女のスキルが効かなかったのは、きっと私が初めてですね」
シャノンはわたしのことを抱きしめながら、そう言って勝ち誇るように笑った。
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