第48話 反抗期
<バロミアの街の領主:ダグラス視点>
未完成だった「進化の秘滴」は、終戦後も密かに研究が続けられた。
スライム狂いの錬金術師は数々の失敗を糧に、薬の効果をあえて弱めることで服用者の死亡率を下げることに成功。
それでも、完全に適合できた者はいなかった。被験者は例外なく理性を失い、ただの化物になってしまう。
最終的には俺自身の細胞を培養し、そのポーションに混ぜ込むことで俺だけが理性を保ったままこの力を使うことができるようになった。
だが、それはあくまで「スペックを落とした改良版」に適合したに過ぎない。俺や他の被験者たちが使う触手はその数こそ12本に増えてはいるが、破壊力や強度は20年前の娘より弱体化している。
しかし、今目の前で振るわれた、この力は。20年前に化物になってしまったフラヴィアの触手と、寸分違わぬものだ。
俺は再生し始めた触手を震わせながら、目の前の少女に問いかける。
「お前……一体、何者だ……?」
「わたしはリオラ。ノクヴァル教の教祖にして、あなたを救い導く者です」
ドクン、と再び心臓が大きく跳ねた。何だ、この感情は。邪神の森で遭遇した時から、ずっとこの奇妙な感覚が続いている。
この女の目を見ただけで、胸の奥から抗いがたい愛おしさが込み上げてくる。
あり得ない。俺はもう50歳を超えている。若い頃ならばともかく、とうの昔に女への興味など消え失せた。
だが、何故かこの少女にだけは強く惹かれてしまう。
「いや、違う。この感情には覚えがある。そうだ。これは……俺がかつて、フラヴィアに抱いていた愛おしさと、同じものだ」
家族愛。娘へと向けた、温かな感情。
なぜだ? なぜ俺はこんな会ったばかりの得体の知れない女に、我が子へ向けるのと同じ愛情を……?
「『渦蛇』ッ!!」
俺は混乱を振り払い、再生した触手を12匹の大蛇へと変化させた。
毒々しい殺意を放ちながら、牙を剥いた蛇が四方八方からリオラへと襲いかかる。
「『邪神の黒脚』」
少女の姿が残像と共に掻き消える。彼女は大蛇の猛攻を舞うように避けながら、高速で俺の懐へと滑り込んできた。その手には、剣も槍もない。ただ開かれた拳があるだけだ。
素手で俺を打つつもりか?
リオラの掌底が眉間へと迫る。俺は咄嗟に大蛇の体を鉄格子に巻きつけ、急激に縮めて引き寄せられることでその一撃を回避した。
「なぜ触手で攻撃してこない!?」
あの黒剣の威力ならば、俺の体を両断することなど容易いはずだ。わざわざ危険を犯して彼女が突っ込んでくる理由がない。
「わたしは、どんな悪人にも死んでほしくないんです。もちろん、あなたにも」
「その甘さが、貴様に死をもたらすぞ! 『破滅竜』!!」
12本の触手を全て合体させ、翼を広げた巨大な竜――ワイバーンへと変化させる。天井に頭が着くほどの巨体。避けきることは不可能だ。
「これで終わりだッ!!」
大きく口を開けたワイバーンが少女を喰らい尽くそうと狭い地下牢を暴れ回る。彼女は超高速でそれを避けるが、巨体ゆえの広範囲な攻撃に、逃げ場は徐々に失われていく。
10回、20回と躱わし続けるうちに、リオラの顔色が目に見えて悪くなっていくのがわかった。
それでも彼女の足は止まらない。背後を振り向きもせずにワイバーンの爪や牙を触手で捌き、俺に向かって一直線に突進してくる。
だが、その表情は何かを必死に我慢しているかのように、苦痛で歪んでいた。
そして、ついに俺の目の前まで迫った、その時だった。
「うぇっ……!」
リオラが吐瀉物を吐き出しながら、俺へと突っ込んできたのだ!
慌てて避ける俺を素通りして、少女は勢いを殺しきれずに牢屋の壁へと突っ込んでいく。
――ガシャン!!
「な、何だ……?」
俺は思わずワイバーンを霧散させ、慌てて後ずさった。
「……すいません。高速でぐるぐると動き回ったせいで、酔ってしまいました……」
ぜいぜいと肩で息をしながら、床にうずくまっていたリオラが顔を上げた。目の縁に溜まった大粒の涙が、今にも溢れ落ちそうになっている。
その弱々しい姿を見た瞬間胸が締め付けられ、カッと顔が熱くなった。
「仕方ないな。待ってろ。今拭いてやる」
俺は懐からハンカチを取り出し、彼女の足元の吐瀉物を拭き始める。
…………何をしている?
無意識にした自分の行動が信じられなかった。俺はこの街の領主だぞ? 敵対する悪の教団の教祖が吐いたゲロを、なぜ俺が掃除しているんだ……?
だが不思議なことに心は穏やかで、温かい何かに満たされていた。
拭き取った吐瀉物を眺める。俺は今、これを、愛おしいと思っている。
「そんなわけがない。吐瀉物だぞ……?」
パニックに陥る頭を必死に落ち着かせ、冷静に思考を巡らせる。そしてふと気づいた。この感覚に覚えがある。
あれは俺がまだ、領主ではなくただの商人だった頃。赤ん坊だった娘の布おむつを取り替え、排泄物を拭いてやっていた時と、全く同じ感覚だ。
あの頃は娘に関わるものなら、どんなに汚いものでも愛おしく感じられた。あの時の幸福な感覚と、同じだ。
ドクン、と心臓が大きく脈打つ。その可能性に、思い至ってしまった。
顔も、声も、髪の色も違う。雰囲気は似ても似つかない。だが、邪神の眷属には身体を変形させる能力がある。
「お前……フラヴィア、なのか?」
そう考えれば、全ての辻褄が合う。この女が触手を使えるのは、彼女自身が『邪神の眷属』だから。化物になった俺の娘、フラヴィアだからだ。
フラヴィアの墓の前で遭遇したのも、俺が彼女をそこに捨てたのだから当然のこと。そして俺がこの女をどうしようもなく愛おしく感じてしまうのも、血を分けた娘なのだから当たり前だ。
そうでなければ、この俺が会ったばかりの小娘にこれほどの愛情を抱くはずがない。
「フラヴィア? 誰ですか、それは?」
娘はきょとんとした顔で首を傾げた。
一度化物になったせいで、記憶を失っているのか……!!
「覚えてないか? 何か些細なことでもいい。そうだ。お前は服が好きだった。お前が望むなら、どんな高価なドレスでも買ってやろう」
「服、ですか? 服なら今朝アリシア洋服店で買ったばかりなので、当分は必要ありませんが……」
脳裏に稲妻が走った。ガクガクと膝が震え、その場に崩れ落ちる。
アリシア洋服店。それは、フラヴィアの一番のお気に入りだった店だ。
大通りから外れた路地裏にひっそりと佇む、隠れた名店。質の高い手作りの服やアクセサリーが並び、娘は『大きくなったらあの店で服を作るんだ』と目を輝かせて語っていた。
「そうか……。記憶を失っても、フラヴィアはフラヴィアなんだな……」
涙が頬を伝った。俺はふらふらと歩み寄り、娘を力強く抱きしめる。その瞬間、俺の体から金色の光が溢れ出した。荒んでいた心が、優しい光によって浄化されていく。
ああ、俺は戦争で娘を失ったことで、おかしくなってしまったのだ。賠償金を払うために奴隷売買に手を染め、泉に毒を流して罪なき人々を苦しめた。
フラヴィアは、そんな狂ってしまった父親の姿を見て、ノクヴァル教を作ったのだろう。全ては道を踏み外したこの俺を、救うために。
「フラヴィア、すまなかった……!」
嗚咽が止まらない。後悔の念が濁流となって溢れ出してくる。
「あの、わたしはフラヴィアではないのですが」
「父さんが間違っていた……! お前を失った悲しみで、何も見えなくなっていたんだ……! だが、お前はこんなに立派になって、俺を止めに来てくれたんだな……!」
「父さんではありませんよ? わたしもフラヴィアではありませんし」
「いや、いいんだ。分かってる。今はリオラと名乗っているのだったな」
俺の腕の中で、娘が困惑したように身じろぎした。その桃色の髪を、俺は優しく撫でつける。
「領主の座は娘のお前に譲ることにする。俺はもう一度、ただの商人として一からやり直すつもりだ。もちろん、もう悪どい商売はしない。フラ……リオラに誇れるような、そんな父になってみせる」
「あの、いい加減に離してください。自分が半裸なの分かってますか?」
娘が俺の腕の中から抜け出そうともがく。その表情は、これ以上ないほど強い嫌悪感に満ちていた。
だが、それも悪くない。初めての反抗期は、存外、心地良いものだった。
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