第47話 進化の秘滴
<バロミアの街の領主:ダグラス視点>
その女は、俺の予想に反してたった1人で現れた。護送の兵士もいなければ、手錠すらもしていない。それなのに、取り巻きの信者もいない。
暗い地下牢をまるで散歩でもするかのような優雅な足取りで、その女――教祖リオラは俺の前に立った。
「随分と遅かったな。貴様を処刑する準備は、とうに済んでいるぞ」
威圧的に言い放つ俺に、女はふわりと微笑んだ。美しい桃色の髪に、宝石のような真紅の瞳。
その神々しいまでの美貌を直視した瞬間、心臓がドクン、と大きく脈打った。
まるで若い頃に戻ったかのような、場違いな胸の高鳴り。間違いなく、敵に対して抱くような感情ではない。久しく感じることのなかった激しい感情の波に、俺は内心で狼狽えた。
「申し訳ありません。少し、寄り道をしていたんです」
「寄り道だと? 貴様のような罪人に、そんな事をしている余裕はなかったはずだ。エドガーはどうした? 教祖リオラを捕らえた、すぐにこの屋敷まで連行すると通信石で連絡があったはずだ」
俺の問いに、リオラは悲しそうに眉を寄せて答えた。
「エドガーなら、少し怪我をしてしまいまして……。今は教会で休んでいるはずですよ」
教会で休んでいる、か。その言葉の裏に隠された意味を、俺は即座に理解した。十中八九殺されているだろう。
教会に調査に向かい二度と帰ってこなかった他の兵士たちと同じように、墓の下で永遠に休んでいるというわけだ。
エドガーからの通信も、この女に脅されて無理やり喋らされていた可能性が高い。
最初からこの女は、捕まってなどいなかったのだ。こちらの策に乗り、捕まったと思い込ませ油断させた。
今頃兵士たちがノクヴァル教の信者どもを始末している頃合いだが、おそらくはそれも対策済みだろう。
だが、構わん。この女がどれほど知恵を巡らせようと、絶対的な力の前には無意味。あのポーションさえあれば負ける可能性は万に一つもない。
「それにしても、随分と上が騒がしかったな。屋敷を巡回していた兵士たちはどうした?」
「ああ、彼らのこともご心配なく。屋敷が倒壊して瓦礫の下敷きになってしまったので……今はエドガーと一緒に、教会で保護していますよ」
背筋がゾッとする。エドガーと一緒にということは、つまり皆殺しにされたということだ。
先ほどの地響きは、この小娘が屋敷を倒壊させた音だったのか。
随分と派手なことをしてくれやがる。ヒュドラ100匹を殺したという話も、どうやら荒唐無稽な噂ではないらしい。
「もう充分だ。やはり貴様は危険すぎる。これ以上生かしておくわけにはいかない」
宣言と共に、上着を脱ぎ捨てる。ブチリ、ブチリと音を立てて肉が裂け、俺の肩と背中から12本の禍々しい触手が姿を現した。
常人ならば腰を抜かす光景。だがそれを見たリオラは怯むことなく、ただ悲しげに首を横に振った。
「落ち着いてください。わたし達が争う必要などありません。あなたもノクヴァル教に入信しませんか? あなたの中には、まだ誰かを想う優しさが残っているはずです」
「小娘が……! 散々暴れておいて、今度は説教か。随分と偉くなったものだなッ!!」
俺は12本の触手を力任せに振るい、リオラめがけて打ち下ろした。鉄の檻すらも叩き砕くほどの威力。小娘の体など、当たれば一撃で肉塊と化すだろう。
「『邪神の黒盾』」
彼女が小さく囁くと、修道服から6本の黒い触手が出現した。それは目にも止まらぬ速さで盾へと変形し、リオラの全身を覆い隠す。
――ガギィィィンッ!!
12本の触手と黒い盾がぶつかり合い、凄まじい金属音と共に火花が宙を舞う。
俺の渾身の一撃は、その6枚の盾に完全に受け止められていた。触手から伝わってきたのは、岩盤でも叩いたかのような重々しい感触。
「チッ……! あり得ない。なぜ貴様が、その力を使える……!?『進化の秘滴』を飲んだ者でなければ、触手を使うことはできないはずだッ!!」
リオラは動揺する俺を見つめると、穏やかに答えた。
「力など使ってなどいませんよ。触手ちゃんは、わたしの可愛いペットなんです」
「ッ……! ふざけたことを……!」
まともに答える気はない、ということか。
進化の秘滴は、スライムの「周囲の環境に適応し際限なく進化し続ける」という特性を応用し、人間をより強靭で優れた種へと進化させるために生み出された、究極のポーションだ。
開発を担当したのはスライムの生態研究に半生を捧げた、狂気の錬金術師。俺は彼女のパトロンとなり、莫大な資金を投入して研究を支援した。
だがあのポーションは未だ未完成で、致命的な欠陥を抱えている。服用した者はその強大すぎる力に精神が耐えきれず、化物となって暴走してしまうのだ。
だからノクヴァル教の信者どもを弾圧しに向かった兵士たちにも、生死に関わる緊急事態でのみ服用を許可している。
「もっとも、あの錬金術師が失踪したことで、今ではもう完成することのない代物となってしまったが……」
このポーションの研究を始めたのは、もう20年以上前のことだ。長引く戦争で劣勢に追い込まれていた俺は、戦況を覆す一手が欲しかった。
だが当時の試作品は今よりも不完全。実戦に投入できるような代物では到底なかった。
服用した者は例外なく6本の触手を持つ化物へと変貌し、数分後には肉体が崩壊して死亡する。そんな欠陥品だ。
だから、戦争で使う気など毛頭なかった。だが――使わざるを得ないときが来てしまった。
当時8歳だった俺の愛娘、フラヴィアが政敵によって毒を盛られたのだ。医者は匙を投げ、解毒薬はないと告げられた。
みるみるうちに衰弱し苦しみながら死を待つだけの娘に、俺は未完成の進化の秘滴を飲ませた。
このポーションは人間をより完全な生命体へと進化させるための薬だ。万に一つの確率で強靭な生命力を獲得し、毒を克服できるかもしれない。俺は一縷の望みに賭けた。
『フラヴィア……! 良かった、目を覚ましたんだな……!』
奇跡は起きた。娘が死の淵から生還し、立ち上がったのだ。だが、その体がブチブチと音を立てて膨れ上がり、見るも悍ましい姿へと変貌していく。
やがて彼女は、6本の触手を持つ黒い怪物へと成り果ててしまった。
『すまない、フラヴィア……俺のせいで……ッ!』
俺は化け物になったフラヴィアを殺せなかった。親としての情が、兵士たちに「殺せ」と命令することを許さなかったというのもある。
だがそれ以上に、物理的に殺すことが不可能だったのだ。俺の要望通り、化物は圧倒的な攻撃力と鉄壁の防御力、そして脅威的な自己再生能力をその身に宿していた。
俺は多くの兵士を犠牲にしながら娘を捕獲し、街の人間が近づかない「邪神の森」に娘を捨てた。
やがて森で目撃されたその怪物は、邪神が封印された祠を護る『邪神の眷属』なのだと噂されるようになり、街を脅かす恐怖の象徴として人々に恐れられることになった。
「その力はッ! 貴様が持っているはずのないものだ! 一体どこで手に入れたッ! 答えろォォォ!!」
俺は12本の触手を嵐のように振り回し、地下牢の壁や檻をめちゃくちゃに破壊しながら少女へと襲いかかった。
「『邪神の黒脚』」
リオラが呟いた瞬間、彼女の体が爆発的に加速した。黒い稲妻が迸ったかのような異次元の速度に目が追いつかず、触手は空を切って石造りの床を砕き割る。
縦横無尽に駆け回り攻撃から逃れたリオラは少し離れた場所に着地すると、再び俺に語りかけてくる。
「あなたが何を気にしているのか分かりませんが……ちゃんと話し合えば、理解し合えるはずです。こんな無意味な戦いは終わりにして、手を取り合って助け合いませんか?」
この小娘は何を言っている? 俺の屋敷を破壊し、部下を皆殺しにしておいて、手を取り合うだと?
明らかに矛盾している。だが、その言葉は不思議なほどに心に染み渡った。
彼女の声を聞いていると、何故かこの女のことをどうしようもなく愛おしく感じてしまう。怒りに燃えているはずの心が、急速に和らいでいく。
だが、惑わされるわけにはいかない。
「貴様の甘言に誰が乗るかッ! この詐欺師が!!」
俺は湧き上がる不可解な感情を振り払うように、再び触手を振るった。
「触手ちゃん。領主を傷つけずに、あの触手だけを倒してください。『邪神の黒剣』」
6本の触手が鋭利な剣へと姿を変え、俺の触手と激突する。
――ガキンッ!! ギンッ!! ギャリリリッ!!
甲高い金属音が連続し、俺の触手が高速で切り裂かれていく。一瞬の攻防。気づいた時には俺の12本の触手は全て根本から断ち切られ、力なく床に落ちていた。
「なっ……!?」
驚愕で声が震える。完全な力負け。俺の12本の触手よりも、小娘のたった6本の触手のほうが遥かに強く、疾い。
この威力、速度……。俺はこれを、知っている。
「これはあの時の……! 化物になった娘の触手と、同じだ……!!」
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