第45話 邪神の眷属300体
<シャノン視点>
「またやってしまいました……」
リオラさんからちゃんと食事を摂った方がいいと言われたのに、また徹夜で研究に没頭してしまった。
気づけばもう昼だ。凝り固まった身体をほぐそうと大きく伸びをすると、窓の外が騒がしいことに気づいた。
「悲鳴……ですか?」
石材が砕ける鈍い音と、甲高い悲鳴。胸騒ぎがして研究室の外に出る。
音の発生源は広場の方向だ。足を進めると、すぐに異変が目に飛び込んできた。
建物の壁が崩れ、人々が何かに追われるように逃げ惑っている。明らかに只事ではない。
「何が起きているんでしょうか……」
広場に辿り着いた私は息をのんだ。そこに居たのは、数百体の邪神の眷属だった。森で戦った個体よりは一回り小さいが、触手の数が6本から12本に増えている。
ざっと数えて、300体ほどはいるだろう。
怪物の群れが逃げ惑う人々を蹂躙し、家屋を破壊して回っている。抵抗を試みる信者たちの武器も、魔法も、あの黒い巨体には傷一つつけられずに弾かれていた。
「これだけの魔物が暴れ回っているのに、何故リオラさんがいないのでしょうか」
普段の彼女なら、誰よりも早くここに駆けつけているはずだ。山賊討伐のときもそうだった。
もしかして、彼女の身に何かあったのか……? 最悪の想像が頭をよぎり、全身の血が急速に冷えていくのを感じた。
ふと、足元にぐちゃぐちゃになった羊皮紙が落ちているのが目に入る。拾い上げて泥を払うと、そこには領主の印が押された通告文が記されていた。
『ノクヴァル教は人心を惑わし国家に害をなす邪教と判明した。よって、本日をもって一切の活動を禁ずる』
「まさか……この邪神の眷属の大群は、領主がノクヴァル教を弾圧するために?」
だとしても、これほど大量の魔物をどうやって集めたのだろう。リオラさんでもなければ、魔物を思い通りに操ることなど不可能なはずだ。
思考が混乱しかけた、その瞬間。ヒュン、と音を立てて火球が空を駆け上がり、花火のように弾けて眩く光った。
「あの魔力は、コニーの炎の球……!」
弟子のコニーには、命の危険を感じた時は空に魔法を打ち上げて居場所を教えるようにと伝えていた。
「『飛行』」
即座に飛行魔法を詠唱し、空へと舞い上がる。上空から見渡すと、コニーやラモーナ、そして他の信者たちが血を流して倒れているのが見えた。
邪神の眷属が瀕死のコニーにとどめを刺そうと、醜悪な腕を高く振り上げている。
「させません……!」
上空から邪神の眷属を直接狙う。『飛行』を解除し重力に身を任せながら、2つの魔力回路で火の魔法を同時に発動させた。
「――合成魔法『獄炎』」
地獄の業火を思わせる漆黒の炎が邪神の眷属を完全に飲み込む。しかし怪物は炎の勢いで数歩後退しただけで、全くの無傷のまま邪魔な炎を触手で振り払った。
「ふむ。やはり、合成魔法も効きませんか」
地面に着地すると同時に、内心で舌打ちする。森で遭遇した邪神の眷属と同じように、この個体も高い魔法耐性を持っているようだ。
リオラさんがいない以上、ここは私が守るしかない。でも、本当に勝てるのか?
「あの時はリオラさんの洗脳がありましたが、私にそんな能力はありません」
弱音が口をついて出るが、すぐに首を横に振った。今は泣き言を言っている場合ではない。彼女がここにいないということは、きっともっと過酷な戦場で戦っているということだ。
あの人はそういう人だ。自らの身を犠牲にしてでも、一番危険な場所へと真っ先に飛び込んでいく。
それならば、ここは私が引き受けるしかない。
私はコニーの頭をそっと撫でて、邪神の眷属に向き直った。
炎が通じないのならば、氷だ。私は絶対零度の冷気を怪物に向けて放ち、巨大な氷の棺へと封じ込めた。
「――合成魔法『氷獄』」
邪神の眷属は確かに強力な魔物だが、それでも生物であることに変わりはない。あの硬い表皮の下には温かい血が流れているはずだ。
「冷気を内部に浸透させ、体温を奪い、血液ごと凍りつかせれば……」
――バキィッ!!
分厚い氷の下で黒い影が蠢く。凄まじい音と共に氷が砕け散り、その中から化物が姿を現した。私の切り札の一つが、こうも簡単に破られるとは。
氷の呪縛を振り払った邪神の眷属が12本の触手を鞭のようにしならせて殴りかかってくる。
「『魔力障壁』!」
2つの魔力回路をどちらも防御に使い、半透明の壁をドーム状に展開する。
ズン、と地面を揺らす重い衝撃。リオラさんが操る邪神の眷属より触手1本あたりの威力は低いが、12本もの腕による波状攻撃のせいで、魔力障壁を広範囲に展開せざるを得ない。
「魔力障壁は面積を広げるほど強度が低下します。このまま防御を固めていても、いずれ破られる。――『飛行』!」
飛行魔法で大きく距離を取り、次の一手を試す。
「『硫酸弾』」
巨大な酸の球を生成し、叩きつける。しかし黒い体表がわずかに煙を上げただけで、ダメージには至らなかった。
まだだ。やれる事は全て試す。あの人が帰ってきたとき、破壊し尽くされた街を見たらきっと悲しむ。
それを考えただけで、胸がキュッと痛くなった。そんな顔は絶対に見たくない。
「『腐敗の霧』」
触れた物質を分解する性質を持った霧を発生させ、邪神の眷属を包み込む。
霧状であるこの魔法は、目に見えない微細な穴にも浸透する。表皮の硬度に関係なく分子結合に直接作用するはずのこの魔法も怪物には通じず、周囲の雑草を黒く変色させるだけに終わった。
「『圧力波』ッ!!」
指向性の高い音波を放ち、内部からの破壊を試みる。苦し紛れの一撃ではあったが、やはり効果はなかった。
あらゆる攻撃が意味をなさない。焦りが思考を鈍らせた、その瞬間だった。
「――ッ!?」
背後から伸びてきた何かに足を掴まれ、凄まじい力で地面に叩きつけられた。
視界が激しく明滅し、全身の骨が悲鳴を上げる。別の個体が背後から接近していることに、私は気づけなかった。
「がっ……ぁ……」
霞む視界の中で、3体の邪神の眷属が私を取り囲んでいるのが見えた。
まずい。3体は、だめだ。1体相手にすら、ろくにダメージを与えられていないというのに……!
周囲を見渡すと、抵抗していた信者たちはあらかた倒されていた。手の空いた怪物たちが次々とこちらに意識を向け、ゆっくりと歩み寄ってくる。
私を取り囲む3体の怪物が同時に触手を振り上げた。
「くっ!『魔力障壁』!」
展開された半透明の壁に、36本の触手が降り注ぐ。爆音を立てながら魔力障壁に亀裂が入り、ガラスのように砕け散った。
――ドゴォォォンッ!!
みぞおちに破城槌のような一撃がめり込み、木の葉のように吹き飛ばされた。内臓がぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような衝撃に、呼吸が止まる。
無様に転がった私の周りに、ぞろぞろと邪神の眷属が集まってくるのが分かった。このままでは、私は死ぬ。
何かないか。この絶望的な状況を覆し、奴らを倒せる策は。
「……そうだ。これしか」
朦朧とする意識の中、脳裏に昨日の光景が浮かんだ。森の中でリオラさんが邪神の眷属に餌をあげていた、あの時の光景が。
「『風の運び手』」
収納魔法からオークの死体を数体取り出し、風の魔法で怪物たちの元へ吹き飛ばす。
すると怪物の腹部が裂けて、そこに大きな口が現れた。奴らはオークの死体を触手で掴み、貪るように食べ始める。
「邪神の眷属の主食は魔物。これで気を引けば、攻撃の手を止めることができます」
そして……体の表面がどれだけ硬くても、口の中ならどうだ?
怪物たちが食事に夢中になっているその隙に、私は長々とした詠唱を紡いだ。
「――合成魔法『爆轟』ッ!!」
開かれた口の中をめがけて、圧縮した魔力の塊を叩き込む。邪神の眷属の体内で閃光が迸り、凄まじい爆発が起こった。
世界が白一色に染まり、爆発の衝撃で砂埃が舞い上がる。
全てを出し尽くした。これで倒せなければ、もう私に打つ手はない。
「今度こそ終わってください……!」
祈りを込めて呟くが、その期待は次の瞬間に絶望に変わった。粉塵が晴れた先に立っていたのは、無傷の邪神の眷属だった。
そして、その爆発で周囲の個体の注目をさらに集めてしまったらしい。気づけば、私は20体を超える邪神の眷属に完全に包囲されていた。
背筋が冷えていく。四方八方、どこを見ても怪物。逃げ場はもう存在しない。
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