第43話 領主の屋敷に潜入した
カラン、と軽やかなベルの音が響く。わたしは店主のおばさんに温かな笑顔で見送られながら、アリシア洋服店を後にした。
「うーん、かれこれ数時間は悩んでしまいましたね……」
わたしがそう呟くと、山のような紙袋を抱えて隣を歩くエドガーが優しく微笑んでくれる。
「それだけ真剣に選んでいらっしゃったのですから、きっと喜んでいただけますよ。リオラ様のお気持ちは、必ず伝わります」
「そうだと嬉しいのですが……。でも悩んだだけあって、とても良いものが買えたとは思います」
手にした小さな箱を見つめる。誰かのために贈り物を選ぶなんて、初めての経験だった。喜んでくれたらいいけど……。
ちなみに、エドガーが持っている紙袋は邪神の眷属が選んだ大量の服だ。これは贈り物とは関係なく邪神の眷属が欲しがったから買ってあげた。
邪神の眷属は服を着れないのに、何で服を欲しがるんだろう。
まあいいか。
「さて、寄り道はすみましたし、領主の屋敷に向かいましょうか。エドガー、わたしの手に手錠をかけていただけますか?」
エドガーは顔を青くしてぶんぶんと首を横に振った。
「や、やはり、そのようなことはできません! 敬愛すべきリオラ様を拘束するなんて……!」
「大丈夫ですよ。先ほども言いましたが、ただの作戦ですから。あなたに捕まったふりをすれば、他の兵士に怪しまれずに領主のいる執務室まで行けるでしょう?」
「ぐぅ、しかし……」
「鍵はエドガーが持っていますし、執務室に辿り着いたら開けてくれれば大丈夫です。これも戦争を防ぐためですから」
エドガーはしばらく悩んでいたが、わたしがじっと彼の目を見つめて説得すると、やがて観念したように頷いてくれた。
そして震える手でわたしの両手首を掴み、冷たい鉄の輪を嵌める。
カシャン、と無機質な音が響いた。これで「捕らえられた教祖」の完成だ。
領主の屋敷の前に着くと、エドガーは道の脇に生えた木の陰に服の入った紙袋を隠した。
「これは帰りに取りに来ましょう。リオラ様をお守りするときに、手が塞がっていると困りますので」
「ええ。頼りにしていますよ、エドガー」
屋敷の中に足を踏み入れると、そこは想像を絶するほど豪華な空間だった。磨き上げられた大理石の床に、壁には金で縁取られた絵画がいくつも並んでいる。
飾られている剣や盾にはどれも『黒胡椒と金貨』を組み合わせた紋章が刻まれていた。変わったデザインだが、これが領主のシンボルなのだろうか。
長い廊下を進むと、前方から巡回中らしき兵士が2人こちらへ向かって来た。緊張しているのを悟られないよう、表情を殺して歩く。
エドガーはわたしの背中をわざと乱暴に掴み、ぐいっと前に押し出した。彼がすれ違う瞬間に敬礼をすると、兵士たちもまたエドガーに敬礼を返し、わたしの姿をチラリと一瞥して通り過ぎていく。
「……ふぅ。今のところ作戦は順調ですね」
安堵のため息を吐いて小声で話しかけると、エドガーはぶんぶんと首を横に振った。
「も、申し訳ありません! 俺のような穢れた手でリオラ様のお身体に触れてしまい……」
「いえ、完璧な演技でしたよ。この調子なら、きっと誰にも気づかれません」
階段を上り、執務室がある2階へと辿り着く。あと少しで目的の場所だ……と思った、その時だった。
「よお、エドガーじゃねえか。ご苦労なこったな」
背後から、1人の男が話しかけてきた。振り返ると、エドガーと同じくらいの歳の兵士が壁に寄りかかり、にやにやと下品な笑みを浮かべている。
「……ロダンか」
「おいおい、こいつが例の教祖かよ。ただのガキじゃねえか。それで? 何でお前は2階にいるんだ? 教祖を捕らえたなら、地下牢に連れて行くべきじゃないか?」
エドガーがハッとしたような顔で口ごもる。
「そ、それは……」
「何だ? 歯切れが悪いな」
ロダンの訝しむような反応を見て察した。捕まったら領主の元に直接突き出されるものだと思っていたが、本来は地下牢に行かなければならなかったのか。
予想外の事態ではあるが、まだ何とか誤魔化せる……はず。
エドガーはごくりと唾を飲み込むと、毅然とした態度で答えた。
「領主様から直々に命令を頂いている。この者を執務室まで連れて来いとな」
「へぇ、領主様が? 何のために?」
ロダンはじり、と距離を詰め、疑念に満ちた目でエドガーの顔を覗き込む。
完全に疑われてるな……。いざとなればわたしがこの男を洗脳してもいいが、今はこの手錠が邪魔だ。わたしはエドガーの邪魔にならないように俯き、心の中で彼に声援を送った。
「嘘だと思うなら、後で領主様に直接確認してみればいい。今は任務の最中だ。これ以上俺の邪魔をするな」
エドガーは強い口調で言い放ち、わたしの腕を引いてその場を立ち去ろうとする。その気迫に押されたのか、ロダンは舌打ちをしながらも道を開けた。
「チッ、わかったよ。まあいいか……」
わたし達は足早に彼の横を通り過ぎた。安堵したのも束の間、背後から嘲笑うような声が投げつけられる。
「それにしても、お前なんかに捕まっちまうとはな! ノクヴァル教の教祖も、噂だけの雑魚だったってことか!」
「……何だと?」
エドガーがピタリと足を止め、振り返る。彼の声には、凍てつくような殺気が籠っていた。
「あ? 文句あんのかよ下っ端。こんな弱っちい小娘をありがたがって、信者どもは揃いも揃って救いようのない馬鹿だな!」
「その口を閉じろッ!!」
エドガーの怒声が廊下に響き渡る。彼は猛然とロダンに詰め寄ると、その胸ぐらを掴んで軽々と持ち上げた。
「このお方を誰だと思っている! 次にリオラ様を侮辱するような言葉を吐けば、俺自ら貴様を始末してやる!!」
ああ、まずい。完全に頭に血が上っている。あまりの剣幕に、ロダンも目を丸くして固まっていた。
「な、なんだよ急に……。ノクヴァル教には散々苦労させられただろ? ちょっと馬鹿にしただけじゃねえか……」
「まだ言うかッ!!」
エドガーが怒りのままに腕に力を込め、ロダンの首を絞め上げようとした――その瞬間。
ミシッ、ミシミシッ……!
天井から不吉な音が響いた。
全員がはっとして上を見上げる。豪華なシャンデリアが不気味に揺れ、天井に亀裂が走っていく。
そして、轟音と共に天井が砕け散った。粉塵が舞い上がり、その中心に黒い影が浮かび上がる。
それは、巨大な黒い塊だった。
ぬらりとした質感の、細長い胴体。そこから伸びる12本の黒い触手。目も、口も、鼻も見当たらない異形の存在。
邪神の森で遭遇した個体よりは少しサイズが小さいし、触手も6本から12本に増えてはいるが……。
「間違いありません。邪神の眷属、です……」
どうしてこんなところに? しかも、空から降ってくるなんて。
思考が追いつくより先に、目の前の怪物が動いた。12本の触手のうち2本が鞭のようにしなり、凄まじい速さでエドガーとロダンを薙ぎ払う。
「ぐっ、ぁ……!?」
「がはっ……!」
紙切れのように吹き飛び、背後の壁に叩きつけられて動かなくなる2人。
「早く聖水を……いえ、あの怪物を倒すのが先でしょうか」
咄嗟に懐に手をやろうとして、手錠を嵌められたままであることに気づいた。これでは彼らに聖水をかけることも、邪神の眷属を洗脳することもできない。
「作戦が完全に裏目に出ました。天井を突き破って邪神の眷属が降ってくるなんて、想定しているわけがありません……!」
ため息混じりに愚痴をこぼすと、怪物が12本の触手を一斉に振り上げた。風を切り裂く音がすぐそこまで迫る。
「『邪神の黒盾』!」
反射的に叫んでいた。修道服から6本の触手が飛び出して巨大な盾となり、わたしの体を覆い隠す。
――バゴオォォォン!!
怪物の触手が盾を殴りつけ、衝撃の余波だけで大理石の柱にピシピシとヒビが入る。
だが、盾はびくともしなかった。触手の数は敵の方が多いが、単純な力では負けていないようだ。気持ちが少し楽になった。
「これなら、一方的に負けることはなさそうですね」
しかし、敵の攻撃はそれで終わりではない。触手の先端がぐねぐねと蠢き、研ぎ澄まされた刃へと変形した。
スパンッ!スパンッ!と何かが切断される鋭い音。大理石の床が四角く切り取られ、足場を失ったわたしは空中へと投げ出された。
「きゃっ!」
背中から1階に落下し、ゴロゴロと瓦礫の上を転がる。修道服が衝撃を吸収してくれたのか、不思議と痛みは無かった。
安堵の息を漏らしながらゆっくりと身を起こすと、エドガーが瓦礫の下敷きになって倒れているのが見えた。わたしは慌てて彼に駆け寄り、覆い被さった瓦礫を足で払いのける。
……気絶しているが、まだ息はあるな。大丈夫だ、助けられる。
「触手ちゃん、お願いします。彼の鎧の中から手錠の鍵を探してください!」
わたしの意思に応え、修道服から伸びた1本の触手が鎧の内側にするりと侵入した。そしてゴソゴソと内部を探し回り、銀色の鍵を見つけ出して鍵穴にスッと差し込む。
カチャリ。小気味良い音を立てて枷が外れた。
「ありがとうございます。これでようやく、わたしも戦えます!」
自由になった手で懐から聖水の小瓶を取り出し、エドガーの口に流し込む。荒かった呼吸が少しずつ穏やかになっていくのを確認して、わたしはゆっくりと立ち上がった。
すると、2階に空いた大穴から邪神の眷属が飛び降りてきた。ドスン!と大理石の床が割れる。12本の剣がわたしに照準を合わせ、蛇のようにゆらゆらと揺れた。
でも、大丈夫。手錠さえなければこっちのものだ。
「――『邪神の黒槍』」
合図と同時に、6本の触手が漆黒の槍へと姿を変えた。稲妻のような速度で放たれた鋭利な槍が黒い残像を描きながら突き進んでいく。
怪物は剣で防御を固め、槍を迎え撃った。甲高い金属音が響き、6本の槍が敵の剣に深々と突き刺さる。
これで、敵が自由に使える剣は残り6本だけ。
「隙ができました。一気に飛び込んでください。――『邪神の黒脚』」
呟くと同時に、わたしの身体が弾丸のようなスピードで加速した。
眼前に迫る6本の剣閃。しかし修道服に操られ人間の限界を超えたスピードで駆動するわたしの身体は、その全てを紙一重でかわし一瞬で敵の懐へと潜り込んだ。
真っ黒な異形の体に、そっと手を触れる。
「もう争う必要はありません。あなたも、わたし達の仲間になってください」
怪物の体が金色の光に包まれる。すると怪物はふらりと力が抜けたように触手を下ろし、その場で動きを止めた。
洗脳は無事に成功したようだ。
「……さて、ロダンも探さないといけませんね」
敵とはいえ、ここで死なれては後味が悪い。少し離れた場所に倒れていた彼に近づくと、苦悶の表情を浮かべ浅い呼吸を繰り返していた。
だが、死んではいないようだ。わたしがほっと胸を撫で下ろした、その瞬間。
――ドゴォォォンッ!!!
先ほどとは比べ物にならない轟音と共に、天井が弾け飛んだ。粉塵と瓦礫の雨が降る中、5つの黒い影が悠然と着地する。
「嘘、ですよね……?」
それはわたしが今洗脳した怪物と同じ――邪神の眷属だった。12本の触手を持った怪物が、5体も。
奴らは1体、また1体と2階の大穴から飛び降り、わたしを取り囲むように着地する。
「今日は、天気が悪いですね……」
乾いた笑みが浮かぶ。どうして次から次へと邪神の眷属が降ってくるのかは分からないが……この怪物たちを全員洗脳しなければ、領主の元へと辿り着くことはできないらしい。
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