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第42話 手錠

<兵士エドガー視点>


「ブモオオオオッ!!!」


 荷台を引いて現れたのは、15頭もの巨大なイノシシの群れだった。俺たち兵士が30人がかりでようやく1頭狩れるかどうかのグレートボアが、15頭も。


 もちろん俺に勝ち目はない。血の気が引いて、足がガクガクと震え始めた。


「な、なぜこんなところにグレートボアの大群が……!?」


 呆然と立ち尽くす俺など気にも留めず、リオラは嬉しそうにイノシシに駆け寄るとその鼻面を優しく撫でた。


「ぶーちゃん、お仕事お疲れ様です!」


 イノシシは気持ちよさそうに目を細め、「ぶひぃ」と甘えたような声を漏らす。


「懐いている……のか? あのグレートボアが……?」


 信じられない。グレートボアは鋼鉄の牙と怪力を持った恐ろしい魔物で、気性も荒い。人間が飼い慣らすことなど不可能だ。ましてや、荷物を引かせることなど……。


「この子たちはペットなんです」


「ペット!?」


 愕然とする俺に、リオラは平然と言った。


「食料を採りに邪神の森に行くと、この子たちがよくいるのですが……。ぶーちゃんの仲間を食べる気にはなれなくて、つい連れて帰ってきてしまうんです」


 そんな軽い気持ちで……?


 嫌な想像が脳裏をよぎる。教団は、この魔物の群れを軍事力として使うつもりなのではないか……?


 グレートボアだけではない。あらゆる魔物を操れるとしたら……? 人間の兵士など赤子も同然だ。この教団とは決して戦うべきではない。


 この情報を、どうにかして生きて持ち帰らねば。



 そして次に案内されたのは大浴場だった。扉を開けてすぐの休憩所で、俺はついに探していた者たちを見つけた。


 山賊に殺されたか、あるいは監禁されているとばかり思っていた仲間たちが、そこに居たのだ。


 彼らは風呂上がりの火照った体でフルーツ牛乳を美味しそうに飲み、ボードゲームを囲んでゆったりと談笑している。


 連日の激務でげっそりと痩せ細っていた頬には、健康的なツヤが戻っていた。


「おお、エドガーじゃないか。お前も風呂に入りに来たのか?」


「ここの風呂は最高だぞ! 温泉が何種類もあるし、フルーツ牛乳も飲み放題だ!」


 何日も会っていなかったと言うのに、そんなことなど微塵も感じさせないいつも通りの笑顔で話しかけてくる。



「何してんだよ、お前ら……。心配したんだぞ……?」


「何って、見れば分かるだろ? ノクヴァル教に入信したんだ。お前は違うのか?」


 その言葉を聞いて、リオラが俺の方を見て微笑みかけてくる。


「お友達が見つかってよかったですね! せっかくですし、エドガーもわたし達の仲間になりませんか?」


「ここの生活は最高だぜ。もう奴隷商人のためなんかに、馬車の護衛をする必要はないんだ。俺たちは今、本当に人々のためになる仕事をしている」


 そう語る友の顔が輝いて見えた。

 そうだ。俺だって本当はやりたくなかった。


 馬車の荷台から聞こえてくるのは子どもの泣き声と母親の嗚咽。そして、兵士である俺たちに向けられる憎悪の言葉。


 人々を守るために兵士になったはずなのに、か弱い人々を奴隷として売り払う手伝いをさせられて平気なわけがない。


 毎晩罪悪感で悪夢にうなされた。それでも街を維持するためだと自分に言い聞かせて、この悪の教団を倒さなければと心を奮い立たせた。


「だが……本当にここは悪の教団なのか?」


 露天に並んでいた信者たちの、幸せそうな顔。活気を取り戻した街。悪夢のような任務から解放され、心からの笑顔を見せる仲間たち。


 それに比べて、今の俺はどうだ? 疲弊し切って、自分の正義も見失ったまま捨て駒にされようとしている。


「……それでも、任務は任務だ。教祖リオラは俺が連行しなくてはならない」


 目の前のこの少女を見ていると、胸の鼓動がどんどん激しくなっていく。正常な判断ができない、今の自分を信用できないという感覚が、正しいとは思えない任務に俺を縛りつけた。


「貴様を領主様の屋敷に連行し、牢に入れる。そうしなければ、領主様はノクヴァル教に軍を向け、戦争を起こすつもりだからな」


 領主様の屋敷にあるあの牢屋は、罪人を収監するための施設ではない。誘拐した領民を奴隷として売り飛ばすまでの間、一時的に閉じ込めておくための場所だ。

 

 そこに連行されるということは、彼女もきっと他国へと売られることになるのだろう。

 

 リオラはぱちぱちと瞬きをすると、何でもないことのように言った。


「わたしが領主の屋敷に行けば、戦争は防げるのですか?」


「……ああ」


「それならば、従いましょう」


 そう言って、彼女はあっさりと両腕を差し出した。信者たちを守るためならば、自分の身を犠牲にすることも厭わない。そのあまりに無防備な姿に、罪悪感で胸が張り裂けそうになる。


 すまない、と心の中で侘びた。俺が手錠をかけるために彼女の華奢な腕に触れた、その瞬間。

 


 ――暖かく、柔らかな金色の光が俺の全身を包み込んだ。

 心の奥底にあった疲労も、絶望も、葛藤も、全てが光の中に溶け、洗い流されていく。


 ああ、俺は何という過ちを犯そうとしていたのだろう。この尊く、慈悲深いお方に対して、なんて無礼なことを。


 俺はその場に崩れ落ち、跪いた。


「リオラ様……! 今までの数々の非礼、どうかお赦しください!」


「ふふ。いいのですよ、エドガー。あなたは自分の務めを果たそうとしただけなのですから」


 リオラ様は優しく微笑むと、俺の手を取って立ち上がらせてくださった。


「さて、領主の屋敷に向かいましょうか」


「い、いえ! リオラ様がそのような場所へ赴く必要はございません!」


「でも、わたしが行かないと全面戦争になってしまうのでしょう? でしたら、わたしが直接領主を説得します。それが一番早いですから」


 なんと慈悲深いお考えだろうか。


「かしこまりました。我が命に代えてもリオラ様を安全に領主の屋敷までご案内致します!」


「ありがとうございます。ですが、その前に少しだけ寄り道してもいいですか?」


「勿論でございます! どこへなりと!」


 俺が力強く答えると、リオラ様は嬉しそうに微笑んだ。多幸感で体がガクガクと震える。ああ、これからは彼女のために生きよう。俺は心の中でそう誓った。

お読みいただきありがとうございます!

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