第41話 悪の教団の本拠地
<兵士エドガー視点>
かつて貧民窟と呼ばれていたそこに、俺は足を踏み入れた。
「領主様の命令とはいえ、こんな場所にたった1人で来ることになるとはな……」
背筋を冷たい汗が伝う。目の前に広がる光景は、俺の記憶にある貧民窟とは似ても似つかぬものだった。
汚泥だらけでぬかるんでいた道は綺麗な石畳に変わり、あの鼻が曲がるような悪臭もすっかり消え去っている。
今やここは、バロミアの街で最も清潔で、最も活気のある区画になっていた。
「さあさあ、焼きたてのリオラ様饅頭はいかがですかー」
「こっちにはリオラ様人形だよー! 幸運を祈ってお一つどうぞ!」
道の両脇にはノクヴァル教の信者たちが出した露天がずらりと並び、早朝だというのに祭りのような活気に満ち溢れている。
「ここはもうノクヴァル教の本拠地、か」
教祖の少女を模した人形に、教祖の絵が描かれた饅頭。それらの異常な商品に群がり幸福そうな笑みを浮かべる信者たちを見て、俺は気を引き締めた。
ここは敵地だ。それも並大抵の敵ではない。領主様の命令で教団を調査しに行った兵士たちが、誰一人として帰ってこないのだ。
業を煮やした領主様は、俺にこう命じた。
『兵士連続誘拐の罪により、教祖リオラを逮捕せよ』
だが、俺の実力で教祖を逮捕できるはずがない。そんなことは俺が一番よく分かっている。噂に聞く教祖リオラは、100体のヒュドラの群れを素手で殴り殺したという、人外の化物なのだから。
『いいか、エドガー。もし逮捕状を持ったお前が日没までに戻らなかった場合、俺はそれをノクヴァル教からの明確な敵対行為とみなし、全面戦争を開始する』
脳裏に領主様の冷たい声が蘇る。そうだ。俺は戦争を始めるための口実に使われたのだ。下っ端の俺に、最初から逮捕など期待されてない。
教団が俺の身柄を拘束した、あるいは殺害したという事実を作るためだけの捨て駒。
「誰かがやらなきゃいけないことだ。俺の命の価値なんて、そんなものか……」
死の気配を肌で感じながら重い足取りで進むと、やがて白亜の教会が見えてきた。
美しい装飾の施された門をくぐり、そびえ立つ扉の前で一度立ち止まる。心臓が激しく脈打っていた。
「ふぅ……」
大きく深呼吸し、意を決して扉を叩く。しばしの静寂の後、ギィ……と重い音を立てて扉が開かれた。
「ん……。どちら様ですか?」
そこに立っていたのは、眠そうに目を擦る美少女だった。朝日を浴びてキラキラと輝く桃色の髪に、雪のように白い肌。そして、吸い込まれそうなほど大きな赤い瞳。
およそ人間とは思えぬほど美しい少女。間違いない。教祖リオラだ。
「……っ!」
彼女と目が合った瞬間、心臓がぎゅっと締め付けられた。なんだ、この温かくて苦しい感覚は。死地に踏み込んだ恐怖とは明らかに違う、未知の感情が胸を満たしていく。
俺は慌てて逮捕状を突きつけた。この感情に流されてはいけない。
「ノクヴァル教の教祖、リオラだな! 貴様には兵士を連続で誘拐した罪で逮捕状が出ている! 大人しく付いて来てもらおうか!」
教祖リオラはきょとんとした顔で首を傾げた。
「誘拐、ですか? そんなことはしてませんが……。きっと何かの誤解ですよ」
「誤解なわけがあるか! ここに来た兵士が何人も行方不明になっているんだぞ!!」
さらに言えば、奴隷商人の護衛をしていた兵士も数百人単位で行方不明になっている。俺も山賊に襲われ、危うく拉致されかけた。
山賊のバックには教団がいて、これも全ては教団が仕組んだことだと言われているが……領主自身が違法な奴隷売買に手を染めている以上、その件を下手に追求すればこちらが不利になってしまう。
「行方不明……そうですか。うーん、心当たりはありませんが……」
リオラは顎に指を当てて少し考えると、にこりと微笑んだ。
「では、一緒に探しましょうか? 誘拐したつもりはありませんが、最近は兵士の方の入信も多いですから。きっと、この辺りにいらっしゃると思いますよ」
「……なんだと?」
てっきり殺されたか、地下牢にでも監禁されているものだと思っていた。だがもし彼らが無事に見つかれば、逮捕する理由も無くなる。俺はリオラの提案に乗るしかなかった。
「では、こちらへどうぞ」
リオラに案内され、教会の敷地内を探して回る。最初に案内されたのは「宿泊所」と書かれた看板を掲げている、いくつかの建物だった。
その1つに足を踏み入れた瞬間、俺は言葉を失った。そこは俺の住んでいる兵舎とは天と地ほども違う、高級宿屋のような空間だったからだ。
広々とした部屋には真っ白なシーツが掛けられた大きなベッドがあり、その上で丁寧に畳まれた羽毛布団は触れたら手が沈み込んでしまいそうなほどふわふわだった。
それに比べて俺たちの兵舎は雨漏りと隙間風は当たり前。壁にはカビが生えているのに、領主様は修繕費を1ゴールドも出そうとしない。
ベッドなどもなく、床に敷かれた藁の上で雑魚寝だ。
「最近街を訪れる方が増えましたので。ここは新しく信者になった方に無料で開放しているんです」
「これを無料で!? う、羨ましい……」
思わず本音が漏れた。正直に言うと、俺はもう限界なのだ。今日も徹夜で街の巡回だった。
山賊どもが夜な夜な兵士を襲っているせいで、巡回の頻度は以前の倍以上に増えている。
兵士の数は減り続け、ついには全体の4割がいなくなった。仕事は増える一方だというのに、領主様は「ノクヴァル教との戦争に備えろ」と戦闘訓練を激化させている。
もう1週間はまともに寝ていない。今すぐにでもこのふかふかのベッドに倒れ込んでしまいたかった。
「よろしければ、少し休んでいかれませんか? とてもお疲れのように見えます」
リオラの優しい声が、危険なまでに心地よく心を揺さぶってくる。駄目だ。ここで寝てしまったら、俺はもう二度とあの汚い兵舎に戻れなくなってしまう。
「い、いや、結構だ! それより早く兵士たちを探すぞ!」
「そうですか……」
リオラは残念そうに頷くと、一部屋ずつ扉を開けて中を確認していく。しかし、行方不明の兵士の姿はどこにもなかった。
宿泊所の外に出ると、またしても異常な光景が目に飛び込んできた。
腰の曲がった老人が、その両肩に極太の丸太を2本も乗せて運んでいる。あの太さの丸太は、屈強な若者でも1本持つのがやっとのはずだ。
「お疲れ様です。今日もお元気そうですね」
リオラがにこやかに声をかけると、老人は丸太を担いだまま快活に笑った。
「おお、教祖様! 宿泊所の拡張工事は順調に進んでおりますぞ」
「素晴らしいです! ですが、あまり無理はしないでくださいね」
「ほっほっほっ、心配かけてすまんの。以前は杖なしじゃ歩けなかったが、教祖様に力を頂いてから体が軽いんじゃ。ほれ、この通り」
言うが早いか、老人は丸太2本を担いだまま軽々とスクワットをして見せた。
驚愕で頭がくらくらする。そんなことは体力に自信のある俺にもできない。
「し、失礼だがご老人! 一体どのような訓練を積めばそのように屈強な体を得られるのだ……!?」
俺が必死の形相で尋ねると、老人はからからと笑った。
「ほっほっほっ、とんでもない。儂は教祖様から力を頂いただけじゃ。ノクヴァル教の信者は皆、儂以上の力を持っておりますぞ」
「なっ……!?」
背筋が凍るのを感じた。こんな超人的な力を持った連中が、この教団には何百人もいるというのか?
領主様は、こんな化物集団に戦争を仕掛けるつもりなのか……?
俺が愕然としていると、今度は地響きと共に巨大な影がいくつも現れた。
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