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第40話 小さな墓

 ある晴れた日の朝、わたしはシャノンの研究室を訪れていた。彼女は最近研究室に引きこもりがちなので、思い切って外出を誘ってみることにしたのだ。


「絶好のお散歩日和ですよ、シャノン。一緒に行きましょう!」


「……お散歩、ですか」


 わたしの弾んだ声とは対照的に、シャノンは少しだけ呆れたように息をついた。彼女の美しい水色の髪がさらりと揺れる。


「リオラさん。散歩といっても、私たちがするのは貴女のその修道服……邪神の眷属の餌を探しに森に行くだけですよね? これは一般的に、散歩ではなく狩りと呼ぶのだと思いますが」


「ふふ、それも散歩の一環ですよ。目的があった方が歩くのも楽しいじゃないですか」


 わたしが微笑むと、シャノンはそれ以上何も言わず、小さく肩をすくめた。


 

 教会の門をくぐり外に出ようとすると、背後からパタパタと軽い足音が聞こえてきた。振り返ると、クイムが不思議そうな顔でこちらを見ている。


「リオラ、どこか、行くの?」


「ええ、邪神の森にお散歩に行くんですよ。クイムもよかったら一緒に行きませんか?」


「おさんぽ?」


 クイムは小首を傾げて少し考えると、ぱあっと顔を輝かせた。


「もり。クイムも、行く」


 嬉しそうに駆け寄ってきて、わたしの手をぎゅっと握る。そうして、3人で邪神の森に行くことになった。


 ◇


 森の中は穏やかな空気に満ちていた。木漏れ日が優しく降り注ぎ、鳥のさえずりが聞こえてくる。


「魔物、いますかね?」


 わたしが尋ねると、シャノンはすっと右手を掲げた。彼女の手のひらに魔力が集まり、波紋のように広がっていく。探知魔法だ。


「……いました。この茂みの奥ですね。オークが10匹ほどいます」


「ありがとうございます。では、行ってみましょうか」


 シャノンの案内に従って歩を進めると、不意に前方の茂みがガサガサと揺れた。


「グルァァッ!」


 獣じみた咆哮と共に、筋骨隆々のオークが飛び出してくる。その殺気に隣を歩いていたクイムがびくりと肩を震わせた、次の瞬間。


「オ゙オ゙オ゙ヺオ゙オ゙ヺヺオ゙オ゙オオオ゙オ゙ヲオ゙オオ゙オ゙オ゙オ゙オオオ゙オ゙オオヺオオオオ゙オ゙オ゙オ゙ヺ!!!!」


 クイムが悍ましい叫び声を発して飛び上がった。凄まじい声量にオークが耳を塞ぎながら動きを止め、シャノンが呪文を詠唱し始める。


「――『炎の槍(フレイムランス)』」


 空中に形成された十数本の槍が寸分の狂いもなくオークの心臓を貫いていく。


「「グギャアアアアア!!」」


 体の内側から爆炎に焼かれ、オーク達は絶叫を上げながら倒れていった。


「ふぅ、これで邪神の眷属の餌は充分ですね」


「ええ、お見事です。クイムも大丈夫でしたか?」


 振り返って確認すると、クイムはわたしの背中に隠れ、プルプルと震えていた。その大きな瞳は涙で濡れている。


 ……もしかして、さっきの叫び声って威嚇じゃなくて悲鳴だったのか?

 音圧が強すぎて、オークですら怯えてたよ……。


 クイムは普段の可愛らしい声に反して、叫ぶと人間から出るとは思えない恐ろしい声になる。


「こわい」


「だ、大丈夫ですよ。シャノンが全部やっつけてくれましたからね。もう怖くありませんよ」


 わたしはクイムの震える手を優しく握った。強張っていた手から少しずつ力が抜け、震えも収まっていく。


「シャノンも、よかったらクイムの手を握ってあげてくれませんか? きっと、安心すると思うんです」


「……仕方ないですね。ほら、少しだけですよ」


 シャノンはぶっきらぼうにそう言うと、クイムのもう片方の手をそっと包み込んだ。その瞬間、クイムが不思議そうに声を上げる。


「シャノン、手カサカサしてる」


「そ、そうですか? 実験で薬品に触れることが多いからでしょうか……」


 シャノンが動揺したように目を見開く。でも、彼女の生活を考えると当然かもしれない。


「いつも徹夜しているみたいですし、生活リズムが崩れているせいかもしれませんね。ちゃんと三食食べていますか?」


「う……。そういえば研究に夢中で、一昨日から何も食べていません。だから肌が荒れてしまうんですね……」


 シャノンは自分の手を眺めると、わたしとクイムが繋いでいる手に一瞬だけ視線を送った。


「……リオラさんの手はきっと滑らかで、肌荒れもしていないのでしょうね。クイムがこんなに安心しているのを見れば分かります」


 確かに、わたしの手は割と綺麗な方だ。シャノンは静かに目を伏せると、寂しそうに言葉を続ける。


「私にはその感触を確かめることができないのが……少し、残念です」


 ぽつりと呟かれたその言葉に、胸がちくりと痛んだ。わたしの洗脳スキルが常に発動しっぱなしじゃなければ、彼女に触れることもできたのに。


 でも、選んだのもわたしだからなぁ……。


 シャノンは何も言えずにいるわたしに気を遣ったのか、すぐに前を向いて歩き出す。


「ずっと食べてないせいか、お腹が空きました。確かこの辺りに野苺があったと思うのですが……あ、ありました」


 彼女はそう言って茂みに歩み寄ると、赤い実を摘んで食べ始めた。


 わたしも野苺を一粒摘み、口に放り込む。


「わ、美味しいですね」


 ほどよい甘さとさっぱりした酸味が口いっぱいに広がる。


「そうだ、忘れるところでした。邪神の眷属にも餌をあげないと」


 わたしの言葉に反応して、修道服の腹部に大きな口が開いた。服から伸びた6本の触手がオークの死体を掴み、次々と口の中に放り込んでいく。


 ――バリッ、ゴリッ、グチャッ!!


「相変わらず、貴女のその服はよく食べますね……。何度見ても慣れません」


「えぇ? とっても可愛いじゃないですか。一生懸命に食べている姿は、見ていて飽きませんよ」


「可愛い……ですか?」


 わたしが触手を撫でると、シャノンは心底理解できないという顔で邪神の眷属を凝視してくる。


「ゲフッ……」


「今げっぷしませんでしたか?」


「気のせいですよ。こんなに可愛い子がげっぷなんてするわけないじゃないですか」


「絶対に可愛くないです……」


 やれやれ、またツンデレか。

 わたしの前では素直に感情を見せると約束してくれたのに、この子のことを可愛いと思っているのを知られるのがまだ恥ずかしいようだ。


 

 一方、クイムはわたしのすぐそばに座り込み、きらきらと目を輝かせながら触手の動きを夢中で追っていた。


「すごい。たべるの、じょうず」


「でしょう? とっても賢い子なんですよ」


 この子のことを褒められると、まるで自分のことのように嬉しくなってしまう。

 

 わたしは手のひらに数粒の野苺を乗せると、クイムに向けて差し出した。


「よかったら、クイムも一緒に食べませんか?」


 彼女はこくこくと頷き、それを一口でぱくりと食べる。


「あまい。おいしい!」


 クイムは歓声をあげると、今度は自分で茂みに駆け寄った。そして普通の人間では到底真似できないほど大きく口を開け、野苺がなった枝を丸ごとバリバリと食べ始める。


「おいしい」


「枝ごと食べても美味しいんですか?」


 疑問に思うわたしに、クイムは周辺の低木をむしゃむしゃと食べながら言った。


「枝も、おいしい」


 何でもいいのか!



 その後も3人で野苺を食べていると、ふと茂みの奥に苔むした石の塊があることに気づいた。


 近づいてみると、それは風化した小さな墓だった。そして、その墓の前には花束を持った1人の男が佇んでいる。


「あなたは……」


 上質な深紫の服に、鈍い光を放つ金の首飾り。指には大きな宝石のついた指輪をいくつも嵌めている。


 間違いない。わたしを売った奴隷商人だ。信者の話によると、この街の領主でもあるらしい。


「まさかあなたが領主だったとは。驚きましたよ」


 わたしが声をかけると、男はゆっくりと振り向いた。その顔には不快感が滲んでいる。


「あぁ? 誰だ貴様は」


「もう忘れてしまったのですか?」


「知らん。俺は忙しいんだ。お前のような小娘のことをいちいち覚えてなどいない」


 この男に殴られ鼻の骨が折れたことは、忘れようとしても忘れられない。だが、この男にとってわたしは、すぐに忘れて当然の数多の奴隷の1人でしかないようだ。


 領主は再び墓石に視線を戻し、花束を供えた。


「これからこの街で大きな争いが起こる。その前に、せめて娘の墓参りをしようと思ってな」


 独り言のように呟かれた言葉に耳を疑った。


 この男に、娘が⁇


 娘への愛情を持っていた人が、なぜ他人の子を商品扱いできるんだろう。


「えっと……。失礼かもしれませんが、娘さんというのは、その……」


 言葉に詰まりながら尋ねようとするわたしから視線を外し、領主は遠くを見つめる。


「フラヴィアは、服が好きな子だった。手先は不器用だったが、あの子なりに一生懸命縫った服を嬉しそうにプレゼントしてくれてな。将来は服屋さんになると言って、よく俺を困らせたものだ。……どうせもう叶わぬ夢。今となってはくだらん思い出だ」


 領主は懐かしそうに語ると、ふと何かに気づいたように目を見開き、顔をこわばらせた。氷のように冷たい眼差しがわたしを射抜く。


「待て。ノクヴァル教の教祖は確か、修道服を着た15歳の少女だったはずだ。まさか、貴様がそうなのか?」


「ええ。わたしが教祖のリオラです」


 にっこりと微笑んでみせると、領主の顔がたちまち憎悪に歪んだ。


「そうか。ならばここで死ね」


 その言葉と同時に、領主の上質な服が不自然に盛り上がり、黒い触手が布を突き破って現れた。


 それは鞭のようにしなりながら、わたしの頭を殴りつけようと凄まじい速度で迫ってくる。


「――『邪神の黒盾(アビス・ガード)』」


 わたしの意思に応え、修道服から漆黒の触手が飛び出し分厚い盾を形成する。


 直後、2つの触手が真正面から激突し、耳をつんざく爆音が辺りを震わせた。足元の地面が放射状に砕け、砂埃が舞い上がる。


 シャノンが困惑した様子で口を開いた。


「今の触手は、リオラさんのと同じ……?」


「いえ、彼の触手は自分の体から生えていました。わたしのように邪神の眷属を洗脳して力を貸してもらうのとは、根本的に違います」


 普通の人間が、なぜ邪神の眷属と同じ力を……?


 

 わたしは次の攻撃に備え身を構えたが、やがて砂埃が晴れた時には、領主の姿はもうどこにもなかった。


 ◇


 その翌朝。教会の扉を乱暴に叩かれ、わたしは目を覚ました。


「また兵士が調査に来たんでしょうか……」


 眠い目を擦りながら扉を開けると、革鎧を着た1人の兵士がいつものように立っていた。


 ただ1つ違っていたのは、兵士の手に、わたしの名が書かれた逮捕状が握られていたことだ。

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