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第36話 聖水

 目の前で恐ろしく低い雄叫びを上げた美少女を、わたしはまじまじと観察する。


 その叫び声は、もしかして。


「あなたはスライムに変身した錬金術師……が人間に戻った姿、で合っていますか?」


「オ゙オ゙オ゙ヺオ゙オ゙ヺヺオ゙オ゙オオオ゙オ゙ヲオ゙オオ゙オ゙オ゙オ゙オオオ゙オ゙オオヺオオオオ゙オ゙オ゙オ゙ヺ!!!!」


 美少女はキョトンとした表情のまま、再び怪物のような叫び声を上げた。

 

 愛らしい見た目からは想像もつかない、地の底から響くような声。



「もしかして、喋れないのかしら」


 コニーが眉を顰めた。ラモーナが少し腰をかがめて、子どもに言い聞かせるように優しく話しかける。


「私の喋ってること、分かるかな? 分かったら右手を上げてほしいな」


「オ゙オ゙オ゙ヺオ゙オ゙ヺヺオ゙オ゙オオオ゙オ゙ヲオ゙オオ゙オ゙オ゙オ゙オオオ゙オ゙オオヺオオオオ゙ヺオ゙オ゙ヺオ゙オ゙オ゙ヺヺオ゙オ゙オ゙ヺヺヺオ゙オ゙オ゙ヺ!!!!」


 美少女は満面の笑みで高々と両手を掲げて叫んだ。


「ひぃっ! なんで両手!? しかも音圧が上がってる!」


 ラモーナが情けなく尻餅をついた。


 やはり、あの少女は言葉を理解していないようだ。困ったな……。しかし、そもそも彼女はなぜスライムから人間に戻ったのだろう。


 これまでにも魔物を洗脳したことはあるが、洗脳した魔物が人型の姿になったのは初めてのことだ。


「ぶーちゃんや邪神の眷属との違いがあるとすれば……元は人間だったことと、色々な性質のスライムに変身する能力を持っていることですよね。もしかして、彼女の変身能力がわたしのスキルで強化されたのでしょうか」


 金髪の少女はわたし達の顔をキョロキョロと見回すと、おもむろにコニーに近づいた。そして彼女の頬をペタペタと触り始める。


 ――ぺたぺた、ぷにぷに、むにーっ。


「……何してるのかしら、この子」


 されるがままに頬をこねられながら、コニーが困惑する。


「オォォ……」


 何か発見があったのか、少女は感心したような顔で深く頷いた。


 それにしても声が怖いな……。見た目は儚げな美少女なのに、その声は魔王のような威圧感がある。


「何だか、人格まで変わっているように思えるわ。あの錬金術師はもっとオドオドとしていたし……」


 確かに、この好奇心旺盛な幼児のような振る舞いは、あの大人しそうな錬金術師と同一人物だとは到底思えない。


「彼女はポーションを飲むとき、『私に意思なんていりません』と言っていました。もしかしたら、彼女の記憶や人間性はスライムになったときに消えてしまったのかもしれませんね」


 元の人間性が消え去ったということは、ある意味では死んだのと変わらない。この推測が当たっているのなら、何とかして元に戻してあげたいけど……。



 そのとき、泉の水面をずっと眺めていたシャノンが、そっと水を手で掬って目を見開いた。


「リオラさん。この水……聖水です」


「聖水?」


 ラモーナが首を傾げる。わたしはその言葉を聞いたことがあった。


「確か、聖導教の教会が高値で売り捌いているという、どんな怪我や病気も治る奇跡の水のことですよね?」


 もし本当に聖水だとしたら、とんでもないことだ。街の住民たちを苦しめている毒も、聖水があれば治すことができる。


「はい。実際のところ、教会で売っている聖水のほとんどはただの水道水に祈りを込めただけの偽物らしいですが……この泉の水は、全て本物の聖水になっているようです」


 シャノンの言葉に、コニーが苦虫を噛み潰したような表情をした。


「……私が以前飲んだのも偽物だったのかしら。足が悪かったときに、親が150万ゴールドの聖水を買ってきてくれたのだけど……足は治らなかった。教祖様が悪魔の呪いを解いてくれなければ、私は今もベッドの上にいたわ」


 シャノンが静かに頷く。


「聖水は非常に貴重で、そのほとんどが聖導教の本拠地で金持ちや貴族によって独占されます。この国で出回るものは、ほぼ全て偽物だと言っていいでしょう」


「ふむ……。つまり、コニーが飲んだのはありがたい水道水だったということですね」


「教祖様、やめて。そう言われると辛いわ」


 しゅんとするコニーを慰めながら泉の水面を眺めると、先ほどまでの黄金の光は収まり、傍目にはただの澄んだ水にしか見えない。


 わたしは試しに泉の水を両手で掬い、一口飲んでみた。


 体の内側から浄化されていくような、清らかな感覚。戦いの疲れがすーっと抜けていく。


 自分の両腕を見ると、ポイズンスライムの毒を浴びて赤く腫れていた部分もすっかり綺麗に治っていた。


「確かに、この聖水は本物のようですね。……それに、すごく清らかな味がしてとても美味しいです!」


「本当!? 私も飲みたい!」


 ラモーナも駆け寄って来て、泉の水を美味しそうに飲み始める。


「オ゙ヺオ゙オ゙ヺ……」


 その様子を見ていた金髪の少女が、突然何かを思いついたような表情をした。彼女はラモーナのほうにスタスタと近づくと、何の躊躇いもなく口の中に指を突き入れる。


「んぐっ!?」


 カエルが潰れたような声を漏らすラモーナ。次の瞬間、彼女の口から紫色の液体がドバドバと溢れ出した。


「ご、ゴポゴポ……んぐっ……!」


 ラモーナが喉を抑えて苦しそうにもがく。


「この色は……毒!?」


 一瞬で空気が凍りつく。コニーが即座に拳を構え、シャノンが呪文を詠唱し始めた。


 わたしは動揺して動けなかった。急に毒を飲ませるなんて……洗脳が不完全だったのか?


 ラモーナはしばらく苦しそうに咳き込んだ後、カッと目を見開いた。


「お……」


 お……?


「おいしい!! ぶどうジュースだよこれ!!」


「「「えっ??」」」


 三人の声が見事にシンクロした。


「本当ですか? 毒ではなく?」


 シャノンが心配そうにラモーナに駆け寄る。


 すると金髪の少女は今度はシャノンに向けて人差し指を構え、指先から水鉄砲のようにオレンジ色の液体を放った。


 シャノンは石のコップを魔法で作り出し、その液体をすっと受け止める。


「……これは、マンゴージュースですね。芳醇な香りと、舌の上でとろけるような甘み。とても美味しいです」


 彼女はその液体を一口飲むと、無表情のままわたしにコップを差し出した。



 ……うん、確かに美味しい。

 

 もしかして、あの少女はわたし達が泉の水を飲んでいるのを見て、善意でジュースを振る舞ってくれたのかな。


 毒かと思って焦ったけど、実は優しい子なのかもしれない。


 

 そこまで考えて、わたしはふと思い出した。


「そういえば、工場で見たスライムの中に、マンゴーのような芳醇な匂いを漂わせるスライムが居ましたね」


 あのオレンジ色の体と甘い匂いから察するに、マンゴージューススライムといったところだろうか。


 あの少女が『工場の中にいた100種類のスライムに変身する能力』の応用でマンゴージュースを出しているのだとしたら、彼女が毒の泉を聖水に変えることができた理由は……。


「あの工場に居たスライムのどれかが、聖水スライムだったのかもしれませんね」


 何だかんだで、あの錬金術師は解毒薬の代わりとなるものを用意していたのだろう。


 

 ただ、記憶を失った上に言葉も話せないこの子を野放しにするわけにもいかないな。教会で引き取って、記憶が戻るのを待つとしよう。

 

「一緒に住むのであれば、いつまでも『この子』と呼ぶわけにもいきませんね。名前が必要です」

 

「ええ、そうね。あの錬金術師は名前を聞く前にスライムになってしまったし……」


 コニーが頷いた。わたしは少し考えてから口を開く。


「先ほどまでは巨大なスライムでしたし、クイーン・スライムの……クイムでどうでしょうか」


 クイムは不思議そうな顔でわたしの顔を見つめていたが……やがて自分の名前だと察したのか、ぱあっと顔を輝かせた。


「く……くぃ……」


 おお、もしかして自分の名前を言おうとしているのか……!?


 わたし達が期待に満ちた眼差しで見守る中、彼女は満を持して口を開いた。


 

「くオ゙オ゙オ゙ヺオ゙オ゙ヺヺオ゙オ゙オオオ゙オ゙ヲオ゙オオ゙オ゙オ゙オ゙オオオ゙オ゙オオヺオオオオ゙オ゙オ゙オ゙ヺ!!!!」

 

 ……いや、何でそうなる?


 聖水を病人たちに届けたら、ちゃんと言葉を教えなきゃいけないな。意思疎通ができるようになれば、聖水やジュースを好きなときに出してもらうことも可能だ。

お読みいただきありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
 完結欄より。面白いです。  自己満足かもしれないけど、悪事をやっているから喜びとかの人間性を持ちたくないという善性に対して「喜びながら研究した方が良くないか」という話をするのは大変癒しになる提案で…
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