第8話
正式にギルを騎士に任命した。
しかもただの騎士ではなく、王族を護る近衛騎士。
近衛騎士は常に主の傍にいて、あらゆる敵から守る役割を担う。
本来は交代制で二名以上を置くのが王都の規程だけれど、うちの国にそこまで多くの人材はいない。
だから今も執務室にギルがいるのは当然のこと……のはずなのだけど。
「なにも部屋の中で素振りをしなくても」
ギルは私の作った錬金術製の剣を使ってブンブンと素振りをしていた。しかもなぜか上半身裸で。
正式に騎士と認められたのが、よっぽど嬉しかったのだろう。昨日の任命式が終わってからずっとこの調子。
もちろん鍛錬も兼ねてというのはわかるけど、少々暑苦しくもある。
少なくとも、素振りの音は執務中のBGMには馴染まない。
「仕方ないだろ。元の剣がベースとはいえ、新しい振り心地を身体に覚えさせるには数が必要なんだ。それに近衛になった以上、君から離れるわけにもいかない」
「だからって裸はどうかと思うけど」
十五歳はまだ子ども、けれど体つきだけならもう大人に近い。
しかもギルは服を着てると細身に見えるのに、曲がりなりにも剣士だけあってほどよく筋肉質でもある。
ぶっちゃけ目に毒だ。
しかし、そんな私の心中など露知らず、ギルは一定のリズムで刃を振り続ける。
「少しでも早く、もっと強くなりたいんだ。君を守る最強の騎士になるために。そのためには、聖十字騎士団の部隊長とだって渡り合えるように……いや、勝てるようにならないと」
「マジメね」
「俺の取り柄だからな」
皮肉半分で投げた言葉が、当然のように受け止められてしまう。
やれやれ、これは筋金入り。昔から素直すぎて天然気味だったけれど、ちっとも変わっていない。
でも、同時にすごく頼もしいとも思う。
この年でローム帝国の聖十字騎士団に名を連ねる人材は、金で買える類の“戦力”ではない。
それでいて実直で忠に厚いのなら尚更だ。
「ところで、その剣はどう? 使いやすい?」
「ああ、最高だよ。強すぎて敵に申し訳なく感じるくらいだ。俺はスピードで圧倒するって言ったけど、これなら相手が宝剣でも使ってない限り、剣も鎧も関係なく斬り伏せられる」
「申し訳ないからって、手加減はダメよ」
「当たり前だろ。君の敵なら容赦はしない」
ふっ。やっぱり頼もしい。
特殊な金属であるオリハルコン、そこに錬金術で術式を付与した剣の切れ味はもはや常軌を逸していると言っても過言じゃない。
それゆえ逆に扱いも難しいはずだけど、ギルならきっと使いこなしてくれるでしょう。
「さて、となると問題なく計画に移れるわね」
「お、そろそろ出発か?」
書類を閉じながら呟いた私に、ギルが素振りの手を止める。
――今日はかねてよりずっと欲しかった資源を手に入れるため、元からとある場所へ向かうつもりだった。
ギルも近衛として正式に同行できるようになったし、条件は整っている。
「ええ。午前の執務も終わったし、そろそろ城を出る支度をしましょう」
しかし、私がそう言って立ち上がろうとしたところで――。
「やあ、妹よ。今日も執務に精が出るね。午後は畑仕事かい? 相変わらず人気取りに忙しいようだね」
ギルの素振りの熱気を逃がすために開け放っていた扉。
そこに背を預けて立っていた一人の人物。
「リヒテル兄様……」
第二王子リヒテル。
アストリア王家の次男にして、国の外交を一手に担う“政治の鬼”。
穏やかな笑みを浮かべながらも、その目は一瞬たりとも相手を見逃さない。
この国のような小国が隣国や帝国に呑まれず生き残れているのは、彼の頭脳あってのことだ。
……そして、私を毛嫌いしている節がある。
そんな兄がわざわざ私の執務室まで来るなんて、きっとろくな話ではない。
「思えば昔からお前はそうだったね。王女でありながら開拓を手伝ったり、身分を隠して街に出て医者の真似事をしたり。次はいったい何をしでかそうとしているんだい?」
兄の声は柔らかいが、奥に冷えた刃がある。
「……なにを、と言いますと?」
「とぼけてもムダさ。僕の情報網を甘く見ないでくれよ。最近、街の農業組合と接触しているようだね。コソコソ動いているようだけど、あれで出し抜けるとでも?」
「!」
……やれやれ、さすがね。
おそらくリヒテル兄様が言っているのは稲と肥料の流通準備について――つまり、私が密かに進めていた新しい農業計画のことでしょう。
もっとも、この口ぶりだとさすがに錬金術そのものにまで辿り着いてはいないはず。
もしそうだとしたら、もっと直接的に糾弾してきたはずだから。
「出し抜くだなんて。リヒテル兄様、それは誤解です。密かに動いているのは、ただ時期を待っているだけ。私の想いはこの国を豊かにしたい――それだけです」
「どうだかね。お前は僕やグロウ兄さんを押しのけて、この国を手に入れるつもりなんじゃないか?」
「いいえ、お兄様。誓って私にそんな気などありません。人には向き不向きがありますもの。私は政治ではリヒテル兄様の足元にも及びませんわ。むしろ王になるべきはお兄様だと思っています」
「ふうん、それは光栄だね」
「けれど、状況によっては武力で民を導ける強い王が必要でしょう。そのときは軍略に長けたグロウ兄様がふさわしいと思います」
リヒテル兄様の眉がわずかに動く。
けれど、私の言葉は全て本心だ。
そもそも錬金術の力とは、あくまで“創造”にある。
王位に着いて内政だの外交だので人付き合いに時間を奪われるより、国を豊かにする上で役立つ何かを作るほうがよっぽど貢献できる。
私は元から裏方に徹するつもりだった。
だいたい、うちの国に限らずこの世界は基本的に男尊女卑。
女性が王位を継いだケースなど聞いたことがない。
それに私自身、性に合ってないとも思う。
前世のときからずっとそう。人前に立つのは正直苦手だ。
「……まあ、信じてあげるよ。この国が最後の一線で持っているのは、シルフィーナ姉さんとフェルトのおかげだしね。最近のことだけじゃない。お前が三年前からいろいろやっているのは知っている。僕の目は節穴じゃない」
意外だった。
兄が「私のおかげ」などと口にする日が来るとは思わなかった。
シルフィーナ姉さんについては、言わずもがな政略結婚の条件として引き出した農作物などの援助のこと。
一方で私の方は錬金術の副産物を市井に流し、道具や肥料の小さな改良で家事や畑仕事をわずかに楽にしていた。
さらに魔力持ちであることを活かした開拓作業での活躍もあり、自分で言うのもなんだが市民からの人気は高い。
「ありがとうございます。まさかリヒテル兄様に褒めてもられるなんて思っていませんでしたわ」
「フッ、別に褒めたつもりはないよ。ただ事実を述べただけだ。勘違いしてもらっては困る」
「あら、そうですか。それは失礼いたしました」
……相変わらずね。まあわかっていたけど。
昔からリヒテル兄様はこうだった。グロウ兄様も。
はっきり言うと、二人の王子は私を好いていない。
理由はたぶん、私だけ血筋が違うから。二人の兄と姉、そしてもう一人、歳の離れた弟は王妃である正妻の子。
けれど私は違う。
父がある日、どこかから連れ帰って自分の子だと主張した。そのせいで、一時期は本当に血を分けた子なのかと疑う者すらいた。
実際、私もその辺の事情は詳しく知らない。
確認しようにも、肝心の父は病で床に伏したまま。真実は霧の向こう。
ただ、母が違うというのは事実なのだろう。
その証拠に五人いる兄妹の中で私だけがアストリア王家の特徴である金髪じゃなく、真っ黒な髪色をしている。
だからこそ、兄たちにとって私は面白くない存在でしかない。
本当の妹かも怪しい少女が民から人気を得ている――立場を脅かす芽、と見えるのも分かる。
「それで、結局お兄様はなぜここへ? 雑談をしに来たわけではないでしょう」
「なに、ちょっとした人材登用さ」
「人材登用?」
リヒテル兄様は口元に笑みを浮かべ、視線を私の隣へ向けた。
「ねぇ、そっちのローム帝国で修行してたっていう君」
「え、俺ですか?」
突然話を振られ、ギルが驚いたように姿勢を正す。
「悪いことは言わない。今からでも僕のほうに乗り換えない? フェルトよりはずっといい待遇を用意できるよ。その歳で聖十字騎士団入りなんてすごいじゃないか。君ならいずれグロウ兄様にだって対抗できるようになるかもしれない。どうだい?」
――なるほど。
どうやらリヒテル兄様の狙いはギルの勧誘だったみたいね。
グロウ兄様と違って、リヒテル兄様は武闘派ではない。この人にしてみれば、優秀な人材を確保することこそ最大の戦略。私の配下で燻らせておくのは惜しい、そう思っているのだろう。
問題は、これにギルがどう返すかだけど……。




