第7話
ギルの目に火が点いた。
鉄柱の前で呼吸を整え、一歩踏み込む。
無駄のない肩の回転、腰の切り。
刃はすり抜けるように過ぎ去り、次の瞬間には丸太ほどの鉄柱が音もなく滑り落ちていた。
「……驚いたわ」
私も自分の技術に自信はあったけど、だからと言って魔力を纏わせずに鉄を斬ったのは紛れもなくギルの実力も大きい。
武人じゃない私にはできない芸当。
どうやらギルも異国で相当な修行を積んだみたいね。
「凄まじいな。斬った感触がまるでなかった。たしかにこれなら宝剣にだって対抗できるかもしれない」
「切断面もゾッとするほど滑らかじゃ。こりゃ生身の人間なら背骨ごと真っ二つじゃろう。素晴らしい」
ジークも切り落とされた鉄柱を指でなぞり、低く唸る。
切断面は鏡のように滑らかだった。
「鉄柱はそのままにしといて大丈夫よ。あとでそれも何かの材料にするから。さ、そろそろ地上に戻りましょうか」
「ああ、そうだな。そろそろ夕食の時間だし……っと」
みんなで出口に向かいかけたそのとき、ギルの足がぴたりと止まった。
なにかしら?
「どうしたの、ギル?」
「なあフェルト。ところでさっきから地味に気になってたんだけど、アレはなに? 君の私物?」
「ん?」
ギルの視線が向いていたのは部屋の隅。
そこには棚の上にちょこんと鎮座する、一体のぬいぐるみがあった。
師匠の魂を封じていたゴーレムの残骸だ。
魔力が尽きてすっかり動かなくなってしまったが、捨てるのも忍びない。だから御神体のように見守ってもらうことにしたのだ。
いずれ錬金術の進化など、何かのきっかけで師匠が帰ってくることだってあり得るかもだしね。
「なんかアレだけどう見えてもこの空間で浮いててさ……こう言っちゃなんだけど若干不気味と言うか」
「たしかに、実はわしも気になっておりました」
なるほど。まあ無理もないわね。
この工房は色んな道具や材料のせいで不思議の見本市みたいな場所だ。
その場所にあって何の変哲もない熊のぬいぐるみは、一周回って不釣り合いな存在として異質に映るかもしれない。
「ああ、気にしないで。あれはね、私の師匠よ」
「え? あの熊が?」
「ええ。ああ見えて、彼は偉大な大錬金術師なの」
見ていてください、師匠。私は必ずや、師匠の教えを胸にやり遂げてみせます。
錬金術だって使いこなしてみせるわ。
「ぬ、ぬいぐるみが師匠……錬金術とはそこまで摩訶不思議なのか」
「いや、ギルバートよ。もしかするとフェルト王女はかなりお疲れなのかもしれんぞ」
「なるほど。わかった、じいちゃん。あとでお土産で買ってきた帝国産のハーブティーを――」
「ちょっと」
まったく、二人とも失礼しちゃうわね。まるで私が常時ぬいぐるみに話しかけてる不審者みたいに。
こうなったらいつか意地でも師匠を復活させて、ドッキリでも仕掛けてやろうかしら。
そんなことを思いながら、私は二人を地上まで送り届けた。
***
剣が無事に仕上がったことで、正式にギルを騎士として任命する場を設けることにした。
これが大国なら大規模な式典になるが、人口わずか五千にも満たないアストリア王国では身内と要人だけで十分。というわけで、適当に国の偉い人たちに声をかけた。
と言っても、取り計らってくれたのはだいたいジークだったけど。
長らく国を代表する騎士だったジークは様々な方向に顔が利く。
準備は一週間ほどで整い、いよいよその日を迎える。
「ありがとう、ジーク。手間をかけたわね」
「なにを仰います、フェルト王女。これぐらい当然のこと。むしろ晴れの式典の用意とあらば、苦などございませぬ」
控室で労いの声をかけると、ジークはそう言って笑った。
そして式が始まる。
場所は王城内の謁見の間――貧しい国だが、ここだけは国の面目を懸けて豪華に作られている。
天井の絵、壁に掛けられた家紋、訪れた者を出迎えるための敷物。すべてが格式を語る。
私とギルは正装に身を包み、広間には政務を担う者たち、老臣、そして私の兄たちも並んでいた。
私の兄は二人いる。どちらも金色の髪を受け継ぐアストリア家の血筋だが、その性質は正反対だ。
長男、グロウ=アストリア。
眉間に常に影があり、体格は引き締まり、まさに“存在が剣そのもの”という言葉が似合う。
この国最強の武人であり、その力はこの小国の枠を超えるほどだ。
個としてだけではなく用兵にも長けているため、軍のすべてを任されている。
次男、リヒテル=アストリア。
細身で端正な顔立ち、どんな宴席でも注目を集める美貌。
だが容姿以上に厄介なのは、その話術と交渉の才だ。外交・内政を仕切る彼の前では、多くの疑問がいつの間にか賛辞に変わる。
二人とも、間違いなく国を代表する有能な人物だ。
けれど悲しいことに、私のことを疎ましく思っている。
王族として出席することは義務であり、祝福の温度は薄い。
でも本気で国を救おうと思ったら、この二人の力も絶対に必要になる。
人材こそが資源のないこの国での最大の資産なのだから。
式が始まる前、ギルは小さく息を整える。耳元で囁く声が微かに震えている。
「ああ、緊張する。やっぱりこういうのは苦手だ」
「私もよ。久しぶりにちゃんとしたドレスを着たわ」
「そもそも俺、ちゃんと認めてもらえてるのかな?」
「そこは心配しなくて大丈夫よ。ほら、胸を張りなさい」
帝国でのギルの評判はすでに要人たちには知られている。
十五歳にして大陸最強の聖十字騎士団に入った実力者なら、文句など出ようはずもない。
むしろ式が始まる前、グロウ兄様は一瞥しただけでギルの腕を見抜き、密かに軍の者に命じていろいろ身辺調査や帝国での生活ぶりなどを探るよう命じていたとか。
もしかしたら自分の配下にしたいと思っているのかもしれない。
やがて儀式は厳かに進む。
ギルは膝をつき、私の前に頭を垂れる。
私は古い慣習に従い、剣の柄で彼の両肩を軽く打った。
「ギルバート・ガルディーニ。我、汝を騎士に任ずる」
「イエス、ユア・ハイネス。我が剣を未来永劫、フェルト王女に捧げます」
その誓いの言葉とともに拍手が巻き起こる。
私とギルは互いに少し照れたように目を合わせ、笑みを交わした。
いつかの約束が、こうして公の形になったのだと改めて実感する。
よし、これでようやく動きやすくなる。
これまでは軍部をグロウ兄様が握っているため自由に使える戦力がなかった。
でも専属の騎士を得たことで、かねてより描いていた計画を実行に移せる。
国にとって致命的に不足している資源――それは、あの危険な“死の山脈”を越えて得られるものだ。
私一人では不可能でも、ギルといっしょならやれるはず。




