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第11話

「おいおい、仕方ないだろ。たぶんあの人、聖十字騎士団の隊長クラスだぞ。大陸中を見渡したってあんな化け物ほとんどいないって」

「わかってる。当面は怒らせないよう細心の注意を払うしかないわね」


 そう、今のところは仕方ない。まだ成長途中のギルが及ばないのは当たり前だ。

 それほどまでにグロウ兄様は規格外。

 そして、だからこそ惜しい。


 グロウ兄様の言いたいこともわかる。

 国を豊かにするのは、奪われた土地を取り戻した後――それも確かに正しいとは思う。


 それに奪われた土地を取り戻したい気持ちはもちろん私も同じ。リヒテル兄様も。

 豊かな土地と民は国のために必要だし、何より置き去りにされた人々を救いたい。

 元アストリアの民は隣国で半ば奴隷のように使われ、搾り尽くされていると聞く。


 けれどグロウ兄様のやり方では国が滅びると、リヒテル兄様は考えている。だからこそ、あっちはあっちでいろいろと手を打とうとしている。


 リヒテル兄様は武力ではなく外交を選んでいる。隣国よりも強い国に従属して庇護を得るつもりだ。

 そして、そのためにはグロウ兄様の存在は邪魔でしかない。

 グロウ兄様のような人物がいれば、内側から食い破られるのではと他国は警戒してしまうからだ。


 二人の兄は、それぞれの強みを武器に国を救おうとしている。

 でも、方法が違うがゆえに敵対してしまっている。

 想いは同じなのに、皮肉なことに争ってしまう。


 ……このままではいけない。

 ただでさえ脆い国なのに、王家の兄妹が別々の道を歩いてどうするの。

 やっぱり、なんとしても三人の力を束ねないと。


「あーもう! どうして私の兄たちはあんなに優秀なのに、そろって同じくらい面倒なんだろう。扱いにくいにも程があるわ!」


 まあでも、まずは目的を果たさないとね。

 私は文句を垂れつつも、ギルとともに死の山脈へと踏み込んだ。



 ***



 グロウ兄様と別れたあと、私たちは本格的に山へと入った。


 死の山脈――その名の通り、あらゆるものが人間に牙を剥く場所だ。

 傾斜はきつく、足場は脆く、岩肌には苔が張りついている。


「おっと。気をつけて、フェルト。ここ、結構滑りやすくなってる」

「ええ、ありがとう。うっかりすると転げ落ちちゃいそうね」


 ギルと二人でへばりつくように崖を上っていく。


 てっぺんまでたどり着いてからも、道のりはまだまだ続く。

 山道など整備されているはずもなく、枝が行く手を遮り、背丈ほどの草木が進路を隠す。

 広葉樹が鬱蒼と生い茂り、昼間だというのに薄暗い。日が差さないおかげで涼しいのは助かるけれど、そのぶん死角も多い。


 油断すれば、いつどこから何かが飛び出してくるかわからない。

 つまり、総じて人間には不向きな場所。

 しかも――。


「やっぱりね。ここじゃ、コンパスも使い物にならないわ」


 手のひらに乗せたコンパスの針が、狂ったように回り続けている。

 磁場が異常でまるで役に立たない。これでは北も南もどっちかわからない。

 こんな森で目印らしい目印もなく、方向が定まらないのは致命的だ。

 どんな熟練の探検家でも、この山では迷子同然――まさしくここが“死“の山脈と呼ばれる所以だ。


「え……」


 ギルが「マジか」という顔でこっちを見つめる。


「なあ、もう結構歩いたけど……帰れるのか? 出口、見えないぞ」

「大丈夫。そっちはちゃんと対策してあるわ」


 私は腰のポーチから、もう一つの特殊な形をしたコンパスを取り出す。

 腕時計タイプで、中央の針の代わりに小さな魔石が埋め込まれている。


「それは?」

「これは魔力探知機よ。磁場じゃなくて特定の魔力を示し続けるの。対象は私の部屋に置いてきた魔石に設定してあるから、ちゃんとお城には帰れるわよ」


 ちなみに、もちろんこれも錬金術製。


「実は今日の探索はこれの試験も兼ねていてね。こっちの通常のコンパスを持ってきたのは、本当に役に立たないのか確かめたかっただけ」

「なるほど……つまり興味本位ってことか」

「ええ、実験は大好きなの」


 にこやかに答えた私に、ギルが苦笑する。


「安心したよ。こんなとこで遭難なんて御免だからな。ただでさえいつ魔物に襲われるか……って、そんな話をしたら来たな」


 森の奥から聞こえたガサリという音。

 蠢く巨体の影……魔物だ。


「……大丈夫そう?」

「任せてくれ。そのために、俺を連れてきたんだろ?」


 ギルがおもむろに数歩前に出て、迷いなく剣を抜いた。

 その向こう、めきめきと大木がへし折られる。


 現れたのはゆうに体長五メートルを超すであろう、大柄な四足歩行の獣。

 口から生えた牙は異様なまでに肥大化し、刃のように白く光っている――ブレード・タイガー。

 魔物の中でも危険度Aに分類される凶獣だ。

 あの牙で噛みつかれたが最後、人間のカラダなど容易に貫通して骨ごと食いちぎられてしまうだろう。


「ガアアアアアアアアァァ――!!」


 雄叫びとともにブレード・タイガーが迫りくる。

 ネコ科特有のしなやか動き。殺意のこもった一撃がギルに迫る。


 けれど私は見守るだけ。助けには入らない。

 その必要がなかったからだ。


 殺到する顎がギルに届く刹那。

 ヒュッ、と空気が吸い込まれる音がして、紅い弧がひとつ。

 ブレード・タイガーの牙が鼻先ごと切り落とされ、くるくると宙を舞った。


「ギャアアアアア……ッ!!!!」


 傷口から鮮血が吹き出す。悲鳴を上げながらブレード・タイガーがよろめく。

 しかしながら敵が後退するよりも早く、ギルは次の行動を取っていた。


 前脚の付け根へ短い斬撃――筋肉と腱が断たれ、巨体が崩れる。

 そして倒れ込みかけた首筋へ、ためらいのない一太刀。

 断面が光り、重い頭部が地面に転がった。


 すべてが一瞬の出来事。

 あまりにも動きが滑らかすぎて、私は息を飲む暇もなかった。


「……さすがだな。この前の試し切りのときにも感じたけど、この剣の斬れ味はすごい。まさかブレード・タイガーの太い骨でさえ軽く寸断してしまうなんて」


 さすが、ね。それはこっちの台詞よ。


 ここまで美しい剣は見たことがない。

 しかもギルは息を乱さず、汗一つかいていない。

 これが若くして聖十字騎士団入りを果たした剣士の実力。凄まじいわね。


 私はズズンと地面に倒れ伏すブレード・タイガーをバックに、涼しい顔で剣についた血を払うギルを見てそう思った。


「やっぱり前言撤回の撤回ね。あなたは最高の剣士だわ」

「ありがとう。光栄だよ」


 短く返す声には照れも慢心もない。いつものギルだ。


 ――ギルバートがいる限り、私が夢の途中で倒れることはない。


 この強さを確かめられただけでも、今日ここへ来た価値があると思った。



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