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苦手な方はご注意ください。

刺青散華【別天町トラブルバスター 番外編】

作者: 七緒亜美

それいゆ文庫さんより発売中『別天町トラブルバスター 呪物師は眠らない』の番外編となります。

本編を未読でも楽しんでいただけると思います。

 俺が『別天町トラブルバスター』の看板を掲げる事務所兼自宅には、客がこなくて暇だという呪物師の白鷺しらさぎ時也ときやがやってきていた。

 白鷺は自分の家のように寛いでおり、俺も便利屋の仕事が一段落したので彼と応接用のテーブルを挟んでよもやま話をしていた。

 そんな時だった。玄関先に人の気配があり、すぐさま蒼馬そうまかけるが姿を見せる。

 赤嶺あかみね組の若頭補佐である彼が仕事のついでに顔を見せることがあるので、珍しいことではない。

 しかし、いつも仕立ての良いスーツに身を包んでいる蒼馬が今日は喪服を着ていた。

 おまけに彫りの深い整った顔には疲れが滲んでおり、隠しきれない極道者の剣呑な雰囲気と相まって妙にピリピリとした空気を纏っている。

 そんな蒼馬がこちらにやってきて白鷺の隣にどっかりと腰を下ろす。

 刹那、ふわりと微かな線香の匂いが鼻孔を掠めた。


「組員の葬儀か?」


 蒼馬は黒いフォーマルネクタイを少し粗っぽい手つきで緩めて「いや……」と溜息まじりに言う。

 その様子から、もしや、蒼馬の親族か? と考えていると、彼は「珈琲くれ」とこちらを見やる。

 うちはカフェじゃないぞ、いつもはそう返すが、なんだか妙にくたびれた蒼馬を前にしてそんな軽口を叩くことは憚れた。

 キッチンに向かい、俺と白鷺の分もついでに淹れることにした。

カップを乗せたトレーを手に彼らのもとに戻ると、白鷺は持ってきていた最近ハマっているというクッキーの箱を開けていた。

 ソファーの座面のへりに腕を置いて、ぐったりと座る蒼馬に「疲れた時は甘いものがいいよ」と、クッキーを一枚、差し出す。

 よほど疲弊しているのか蒼馬は黙って口を開け、白鷺は「はい、あーん」と食べさせている。

 咀嚼する蒼馬は「口の中の水分が奪われる」と眉間に皺を寄せ、俺は彼と白鷺の前にそれぞれカップを置く。

 白鷺は上機嫌で「クッキーってさ、やっぱり珈琲に合うよねえ」とにこにこしている。

 珈琲を飲んで一息ついた蒼馬は、少し肩の力が抜けた様子でシガレットケースから煙草を一本取り出して唇に挟んだ。


「実は、彫り師の葬式に参列してきたんだ」


 蒼馬が細く煙草の煙を吐き出しながら呟き、相槌を打つ。


「彫り師って……刺青のか?」

「ああ。うちの組でも世話になっていた彫り師で、かなり腕の良いジイさんだった……」


 なんでも蒼馬によると、その世界ではかなり有名で『彫幻ほりげん』という人だという。

 和彫りを得意とし、赤嶺あかみね組では刺青を入れるときは必ず彼に彫ってもらっているのだという。


「ヤクザの刺青スミっていうのは、ファッション感覚でいれるタトゥーと違って、人に見せびらかすもんじゃねえ。カタギの世界には戻らないっていう覚悟の証という意味もあるし、縁起を担いだ絵柄を選ぶこともある。各々の思いが込められているもんだ」

「縁起を担ぐってどういうこと?」


 白鷺がクッキーを齧りながら聞く。


「例えば龍の刺青は立身出世や飛躍という意味があるし、牡丹は豊かさとかな。願掛けみたいなもんだな。他の組だが、組長が龍が好きで組員には必ず龍の刺青を入れさせているっていう話もある」

「刺青というのは皮膚に針を刺して顔料を注入するんだよな? 例えば龍を彫る場合、鱗の一枚一枚を彫っていくわけで、時間もかかるだろうし……痛みもあるよな?」


 俺が聞くと、蒼馬はコーヒーカップを傾けて「まあな」と頷く。


「痛みの感じ方は人それぞれだな。彫幻のジイさんは機械は使わずに、手彫りにこだわっていた。手間は掛かるが色合いに深みがあって、それだけじゃなくジイさんの彫り物は、他の彫師には出せない妙な迫力があってな……」


 蒼馬がふと口を噤み、少し遠い目をしてソファーの背もたれに寄りかかった。


「まさに職人だったんだな。惜しい人を亡くしたな」


 俺が言うと、蒼馬は肩を竦める。


「ジイさんも年だったし、数年前から甥っ子が三代目として名前を継いでいたんだ。甥っ子も腕の良い彫師で、先代ゆずりの技術力とセンスがあってかなり評判が良いそうだ」


 蒼馬が短くなった煙草を灰皿に押し付け、小さく吐息を漏らす。


「……ジイさんが亡くなったと三代目から知らされてな。自分の葬式には生前に手掛けた彫り物をした皆さんにも見送ってほしい、と話していたそうだ。世話になった義理もあるし、組の連中と向かったわけだ」


 蒼馬は眉間に皺を寄せて再び溜息をつく。

ヤクザという()()()、相手を威嚇したり委縮させるために激しく怒りの感情を見せることはあれども、参った時などはそれを悟られぬよう表には出さない。

 だが、今日の彼の様子はらしくないというか……よほど先代の死がこたえているらしい。

 そんなことを考えていると、蒼馬は硬い面持ちで続けた。


「式場にはジイさんが手掛けた彫り物が入った者が集まり……中には他の組のやつもいた。それで坊さんが読経が始まって少しした時だ」


 蒼馬が新しく火をつけた煙草を深く吸い、呟いた。


「参列していた数人の様子がおかしくなったんだ。一様に『背中が』と苦しみだしてな」


 予想だにしない流れに俺も白鷺も目を瞠って蒼馬を見つめる。


「その直後だよ。呻いていた連中の背中からバリバリバリと妙な音がして、喪服が裂けたと思ったら、そこから天女や菩薩が飛び出してきたんだ」


ごくりと白鷺が固唾をのみ、俺もカップを手にしたまま唖然としてしまった。


「それって……背中に彫られた刺青が実体化したってこと……?」


 白鷺がくっきりとした二重の目を瞬かせて言い、蒼馬は「そうだ」と頷いた。


「飛び出してきた天女や観音や迦陵頻伽がりょうびんがはふわりと宙を舞ったかと思うと、列になり天に昇るように消えていった。その場にいた全員が呆気にとられてその様子を見守るしかなかった。一瞬、幻覚かと思ったが、彫り物が飛び出した連中の背中は刺青もろとも皮膚が剥がれていて、もう大騒ぎになった」


 蒼馬が苦く笑い、俺はぞくりと戦慄が走って身震いした。


「背中だけじゃなくて中には胸部や、どんぶり……全身に刺青をいれている奴もいるから、拷問かっていうくらい血まみれになってたな。当然、葬儀どころじゃない。赤嶺組の連中も数名、病院に運ばれちまった」


 そこまで聞いてはっとなった。


「蒼馬はなんともなかったのか?」

「ああ、俺は見てのとおり無傷だ」


 蒼馬が片頬で笑み、白鷺は考えを巡らせるように小首を傾げる。


「まるで仏画の来迎図みたいだよね」


 白鷺がぽつりと呟き、俺も「そうだな」と、相槌をうつ。来迎図……臨終の際に阿弥陀如来が聖衆とともに現れて極楽浄土へ迎えに来る様子を描いたものだ。


「先代の魂を迎えにきたみたいだな」


 俺が呟くと、蒼馬は「いきなり生皮を剥がれるんだぞ? 地獄絵図だろ」と片方の眉を上げる。たしかに彼の言うとおりだ。


「消えてしまった刺青って、先代の彫幻さんが会心の出来栄えだと気に入ってた?」


 白鷺の言葉に、蒼馬は考えを巡らせるように胸の前で腕を組む。


「気に入っていたかどうかは分からんが……ジイさんは観音や弁天、地獄太夫の彫り物が得意だった。妙に艶っぽくて、いまにも動き出しそうな雰囲気があったな」


 白鷺は「そっか……」と小さく言い、ためらいがちに続ける。


「呪物師としては、彼が使っている手彫りの道具が呪物となり怪異が起きたのかな、とも思ったけれど……道具は関係ないのかも。これは、あくまでも俺の推測だけど、彫幻さんが誰かを想いながら、特定の女性をモデルにして天女や太夫を彫っていたとしたら……ある種の情念みたいな強い気持ちも一緒に刻まれていたんじゃないかな……」

「女、か。そういえば……ジイさんから、若い頃に嫁さんを亡くしていると聞いたことがあった。えらい美人でベタ惚れだったと話していたな。考えてみると虎や龍、鬼神、般若を彫っていた連中は無傷だった」


 蒼馬の背中に彫られている刺青を思い出し、彼が無事だったのも納得できる。


「先代の彫幻さんがどんな気持ちで彫っていたのかは分からないけれど、あまりにも強い想いは『執念』にもなると思う……」

「例えば、自分が死んだら奥さんに似た刺青も一緒に持っていってしまいたい……とか?」


 俺の言葉に、白鷺は「かもね」とこっくりとして続けた。


「自分はもうこの世にいないし、他の誰の目にも触れさせたくない、とか」


 思わず深く溜息をついてしまった。早くに亡くした奥さんへの愛というには、あまりにも激しいものを孕んでいる気がする。

 そう言うと、蒼馬も「愛、ねえ……真相はどうあれ、迷惑なジイさんだぜ」と少し呆れた様子で肩を竦める。

 白鷺はサクサクとクッキーを咀嚼しながら、隣に座る蒼馬に顔を向けた。


「蒼馬さんが何度か修羅場を潜っても無事でいられるのも、背中が神様……阿修羅に守られているからかも」


 蒼馬は意外そうに眉を上げた。


「俺の背中の刺青を見せた覚えはねえが、見神にでも聞いたか?」

「白鷺と蒼馬の刺青の話なんてしたことはないぞ」


 俺はすかさず返し、白鷺は小さく首を横に振って微かに笑みを浮かべた。


「蒼馬さんの刺青は見たことないよ。俺には阿修羅様が背後にいるのが視えるだけ。何となく蒼馬さんに似た凛々しい顔だちだね」


 思わず蒼馬と俺は目を合わせる。確かに蒼馬の背中に彫られた阿修羅の刺青は、なんとなく彼の野性味のある整った顔に似ている気がする。

 彫幻さんは、蒼馬に似せて阿修羅を彫ったのだろうか。

 いや、葬儀場での一件を鑑みるに……蒼馬と背中の修羅道の主が一心同体となって、その顔つきが蒼馬に似てきてもおかしくはないのではないか?


「あの世にいるジイさんの気まぐれで、俺の刺青もいきなり剥がされないといいがな……さっきの光景を思い出すと、妙に背中がムズムズしやがる」


 蒼馬がげんなりと顔をしかめ、白鷺はにっこりとした。


「阿修羅様が蒼馬さんの背中は居心地が良いって。だから、心配ないんじゃない?」

「そりゃ、ありがたいことだぜ……」


 蒼馬がなんともいえない面持ちで呟き、俺は少し彼に同情して苦笑してしまう。

 とんでもない状況を目の当たりにして、誰かに吐き出したかったのだろう。

 事務所に来た直後より、幾分か彼の顔は強張りが解けている。

 蒼馬は、うんざりした様子でソファーの背もたれに寄りかかり、長い脚を組みながら「あ?」と呟く。

 目顔で問うと、蒼馬は片方の眉を上げて俺たちを見やる。


「前に組長オヤジから聞いたことがある。ジイさんが美人の嫁さんと死別しているって話だけどよ。ありゃあ、ジイさんが刺し殺しちまったんだよ」

「彫幻さんが奥さんを? それは一体どうして……?」


 驚愕して聞くと、蒼馬は軽く肩を竦めてみせた。


「詳しいことは分からんが、なんでも嫁さんの浮気を疑ってグサッとやっちまったそうだ。ムショ入りして刺青に魅了されたとかで、彫師になることを決めたって聞いたことがあったな……」


 俺と白鷺は言葉を失って、互いの顔を見合わせてしまった。

 蒼馬は唇の端に煙草を挟んで低く笑った。


「悋気で殺しちまった嫁さんの面影のある天女や太夫を彫り続けるっていうのは……それは、はたして愛ってやつなのかねえ?」


 懺悔や供養の気持ちがあったのか……

 今は亡き彫り師の心の内は分からない。

 しかし、手をかけてしまった妻に似た刺青をずっと彫り続けるというのは、執着や妄執といったほうがしっくりくる。

 思わず眉間に皺が寄り、白鷺がクッキーを口に放り込みながら言った。


「もし、奥さんへの呪いの感情を込めて彫幻さんが彫っていたら……刺青自体がある種の呪物のようになっていくと思う。彫幻さんが亡くなり、刺青に込められていた呪詛が解放された……そう考えることもできるかな」


 蒼馬は「ふうん」と、妙にさっぱりとした顔で煙草を燻らせている。

 ぞくりしたものが背中に走り、俺は冷めてしまった珈琲を飲んだ。



〔了〕


番外編をお読みくださり、ありがとうございました。

本編もご興味があれば、是非よろしくお願いします!


各配信サイトにて発売中です。

【別天町トラブルバスター 呪物師は眠らない あらすじ】


ネオン輝く街で「別天町トラブルバスター」の看板を掲げる便利屋・見神のもとには、今日も怪しい依頼が舞い込んでくる――


子猫の捜索依頼が無事解決して、泥のように眠っていた見神が目覚めると、隣に寝ていたのは、なんと市松人形『ひばりちゃん』!? 


しかもこの『ひばりちゃん』、前に見たときより髪が伸びている……?

 持ち主は階上の変わり者の若い呪物師・白鷺。今日という今日は許さん!と勇んで駆け込んだ先で鉢合わせたのは、赤嶺組の蒼馬だった。

咄嗟に引き返したものの、見神は蒼馬から、忽然と姿を消した組長の一人娘を探し出してほしいと持ちかけられる。警察には頼れない、いわくありげな依頼。白鷺とともに捜索するうちに浮かび上がる呪いの存在。

彼らがたどりつく思いもよらぬ真相とは?


別天町の便利屋と呪物師が謎を追う呪詛ミステリー!


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