8. 速度と安心
今回のお話は少し情報が多めです。
読み終わったあと「要はどういうこと?」が気になる方は、あとがきにダイジェストまとめを置いてありますのでご安心ください!
昼過ぎ。利用者が切れた一瞬、重い扉の音が響いた。
瞬間、場の空気が変わる。
「待たせたか?」
低い声。張り詰めた空気がわずかに震えた。
差し込む光を背にライゼルが現れる。
長身、整った装い。姿勢は凛とし、逆光に縁取られた姿は一枚の肖像画のようだった。
自然と視線を集める存在感。
ジークとメルシェの前に歩み寄る彼の笑みは、貴族らしい隙のなさを保っている。
しかし心なしか柔らかさを帯びているようにも見えた。
ジークが苦笑した。
「時間通りだ」
メルシェも小さく会釈。
「……よろしくお願いします」
「やっぱり……絵になる」
カンナが小声でつぶやく。
メルシェが小首を傾げる。
「……絵師に依頼されるのであれば、緊急依頼の準備を」
「ひっ、比喩! 比喩ですから!」
両手を振るカンナ。顔が真っ赤。
周囲の張りつめていた空気が緩んだ。
反面、ライゼルの表情はさきほどまでの柔らかさを潜め、何も聞こえていなかったかのように、隙のない微笑へと戻っていた。
「これが……アルカイックスマイル……眩しい」
カンナが小声で呟き、さらに真っ赤になる。
「顔赤いぞ」
ジークの呆れ声に、周囲が笑いに包まれた。
*
街路にはまだ喧噪の余韻。荷馬車の軋み、商人の声。
三人は人波に紛れ、一定のリズムで歩いた。
「昨日も窓口で効率が上がっていたと聞いた」
ライゼルが口を開く。
「……カンナさんは新しい事への挑戦意欲が高いです。成長には重要な要素です。レイチェルさんは安定度が高く、作業の偏りを抑制します。私は補助を行っただけです」
自慢も謙遜もなく、事実を並べるだけ。
ジークが横目で笑う。
「ほんとお前、合理語しか返さねぇな。……でも二人が落ち着いて動けてたのはお前のおかげだろ。カンナがどんだけ助かってたか。裏でも大活躍。おかげで俺まで楽できた」
「評価は過大です」
その平坦さが、かえって彼女らしさを際立たせる。
ライゼルは視線を伏せ、口元にかすかな笑み。
己に向けられる視線に色が乗らないことの方が少ない彼にとって、メルシェの淡々さは心地よかった
「……普通じゃないな」
「何か言ったか?」ジークが眉を上げる。
ライゼルは首を振った。
前を歩くメルシェは迷いなく前を見据える。
小柄な体に似合わぬほど真っ直ぐな足取り。
二人の男は、それぞれ違う印象を抱く。
ジークは「堅い奴」と呆れながらも頼もしさを。
ライゼルは静かに確信を深める。——やはり彼女は“普通”ではない。
やがて喧噪が遠のく。影が伸び、三人の姿が並ぶ。
どこか絵画のような調和。
*
依頼現場は街外れの倉庫街。
木造の倉庫が並び、積み下ろしの声と車輪の軋みが響く。
帳簿を抱えた依頼人が駆け寄る。顔は青ざめ、額に汗。
「ギルドの方! すみません!」
若い荷受係も伝票を抱えて走る。
「“北市便”の箱に“治安隊宛て”が混ざってて……伝票が合わないんです」
布張りの木箱が二つ。片方は薄青の刻印。もう一方は赤印。
周囲の顔に不安が走る。
「任せろ。列は右に寄せろ。荷は置いたまま。封は切るな」
ライゼルが手短に指示を出す。声だけで場が落ち着く。
ジークが工具袋を肩に。
「伝票、貸せ。照合は俺がやる」
メルシェは箱の前へ。
紐の巻き方向、結び目、張り具合を確かめる。
紐の巻き方向、結び目、張り具合を確かめる。
ライゼルが眉をわずかに動かす。
「つまり、南から混入した可能性が高い」
「はい。さらに……」
伝票の二行目を指で押さえる。
「『B-12』が『B-21』に読める配置。墨の滲み痕です」
「昨日は雨だったな」ジークが係員と視線を交わす。
「印が乾く前に重ねたか」
係員が青ざめたまま頷く。
「た、たぶん……」
メルシェは端末を起動。
「南倉庫へ確認。“B-12誤配送の可能性。封緘紐左回し。薄青刻印”」
緑灯が瞬き、返答。
『確認。B-12は南倉庫出し、“治安隊宛て”。北門混入、該当。回収希望』
「確定です」メルシェが顔を上げる。
「この箱は南へ返送。もう一方は“北市便”へ。」
伝票に細字で付記。
『付記:誤配送/南倉庫返送 14:10 封緘紐左回し確認 落款滲み』
「返送はギルドが責任を持つ」ライゼルが場を見渡す。
「北市便は予定通り出す。——薬商の方、確認を」
赤印の箱の前に女主人が進み出る。
「薬が入ってるんだよ。間に合わなきゃ診療所が……」
「封はギルド立会いで開ける。品名を読み上げる。異常がなければ即出発だ」
ライゼルが片手を上げ、落ち着かせる。
ジークが紐をほどき、蓋を開ける。
メルシェは中を確かめる。乾き、匂い、積み方。
「上段、二列目。傾き。輸送中のずれです」
仕切りを直す。
「破損なし。読み上げます。白花乾燥四、青根粉三、止血茶葉六——」
女主人が復唱する。
「……合ってる。よかった」
「一本だけ。封蝋に亀裂。
——現場での振動に注意が必要です。二重にしてください。」
替えの封蝋を渡す。
「北市便、出す。持ち手二名。落とすな」
ライゼルの視線が走り、短い返事。箱が運ばれる。
女主人が深く頭を下げた。
「助かったよ。こんなに早く……」
「“早さ”は彼女の仕事、“安心”はギルドの仕事だ」
ジークが笑って手を振る。場に安堵が広がる。
係員が小声で問う。
「これ、返送まで置いとくんですか?」
「いいえ。返送ルート上に治安隊の詰所が二つ。そこで渡せます」
メルシェが地図をなぞる。
「なるほど。寄り道にならない」ライゼルが笑む。
「はい。移動は最小。滞留はありません」
ジークが口笛を鳴らす。
「地理まで頭に入ってんのか。現場でも即戦力だな。
——係員、伝票はここに二重線。元の数字は読めるように。落款の乾燥時間も付記だ」
「三分待機で……」係員が筆を取る。
「二分半で十分です」メルシェが即答。
「雨天は三分。今日は晴れ。——条件付記に」
ジークが親指を立てる。
「標準、今日から一段上げようぜ」
周囲のざわめきが、安堵の色に変わっていく。
「掲示板で“処理機械”って呼ばれてたけど……ほんと早いな」誰かが囁く。
「機械じゃねぇ」ジークが肩越しに返す。
「人がやってんだ。手順がうまいだけだ」
笑いが起き、場が軽くなる。
荷の流れが戻る頃、ライゼルの視線が箱の角に留まる。
細やかで揺れない。見えない場所で速度に変わっている。
「助かった」
ライゼルがメルシェへ向けて短く告げる。
表情はいつもの“隙のない微笑”だが、声音にはわずかな温度。
メルシェは小首を傾げる。
「——業務を遂行しました」
女主人が息を吐く。
「ギルドの人が来てくれてよかった。安心するね」
ライゼルは軽く礼を返す。
そして、 メルシェの横顔を見やり、ほんのわずかに息を落とした。
「……普通じゃない」
初めて抱いた印象が、今は確信に変わっていた。
ジークがにやりと笑って肩をすくめる。
「さ、次だ。返送ルート押さえて。それと——近いし、カイルんとこ寄って帰るか」
薄青の箱が持ち上げられ、通りの向こうへ。
影が短くなる。場はもう滞らない。
——“安心”だけが、静かに残った。
今回のお話は、ちょっとややこしい荷物トラブルでした。
要は──
•北市便の荷に、治安隊宛ての箱がまぎれていた
•紐の結び方や伝票のズレから、南倉庫から来た誤配送だと判明
•南倉庫に確認を取って返送決定
•もう一方の薬商組合の荷は無事に出発
•治安隊宛ての荷も、返送の途中で詰所に寄って渡すことで解決!
……という流れでした。
現場はバタバタしていましたが、三人が動いたことで混乱はちゃんと収まっています。




