60. 轍の先、闇の奥
師走四日、早朝。
北の森には、白く重い霧が立ち込めていた。
視界は悪い。
昨夜の雨気を含んだ土が、靴底に重く絡みつく。
「……ここか?」
同行した警備兵の一人が、疑わしげに声を上げた。
目の前にあるのは、ただの森。
鬱蒼と茂る下草。苔むした古木。
獣道すら見当たらない。
「座標は合っています」
メルシェが端末を見つめ、即答する。
「誤差修正済み。昨夜二十二時四十分に停止した地点と、完全一致」
「しかし……」
警備兵が槍の柄を握り直す。
「道がないぞ。轍も、掘り返した跡も」
昨夜、確かにここにあったはずの「大型車両の轍」。
そして、ジークが土壌サンプルのために掘り返した穴。
すべてが消えている。
あるのは、何年も人が踏み入っていないような、静寂な森の床。
「場所を間違えたんじゃないか? 夜道だったし—」
「間違えてねぇ」
ジークが道があったはずの場所へ歩み寄り、片膝をついた。
地面を凝視する。
草は自然に生えているように見える。
土の色も、周囲と変わらない。
ジークが指先で土を擦ると、さらさらと乾いた粒子が落ちた。
「……綺麗すぎるな」
指についた土を鼻に近づけ、短く嗅ぐ。
「……匂いがしねぇ」
「匂い?」
警備兵が首をかしげる。
「掘り返したばかりの土は、もっと生臭いもんだ。微生物や根の匂いがする。——だが、こいつは無臭だ。まるで『洗った砂』みたいにな」
ジークは立ち上がり、数歩先の古木を指差した。
「あれを見ろ。昨夜、俺がつけた目印だ。場所は合ってる。風景だけが違う」
樹皮の低い位置に、新しい傷がついている。
ライゼルが無言で古木に近づき、傷を確認する。
「……断面は新しい。昨夜のものだ」
現場に沈黙が落ちる。
鳥の声さえ遠い。
「メルシェ。観測だ」
ジークの指示。
「地表じゃない。その下を見ろ」
「了解」
メルシェが端末を地面に向け、走査光を広げる。
淡い光が、何もない地面をなぞっていく。
数値が走る。
瞳孔がわずかに収縮する。
「……異常値を検出」
メルシェの声は平坦だが、速度が速い。
「地表データ、昨夜と九九%不一致。植生分布、土壌密度、水分量——すべてが『平均値』に固定されています」
「平均値?」
警備兵が問う。
「……異常です」
メルシェが画面を弾く。
「粒子サイズ、均一。水分量、誤差ゼロ。植生分布、完全対称。 自然界ではあり得ません。——これは『森のコピー』です」
端末が警告音を鳴らす。
「深度二メートルまで、データが『整列』しています」
「……魔法で、森を埋めたのか」
警備兵の声が震える。
「いえ」
メルシェは首を横に振った。
「埋めたのではありません。別の地表データを上書きしています。……結果として、風景を貼り付けた状態です」
「実行時刻は?」
ライゼルが問う。
メルシェがログを遡る。
指先が止まる。
「——昨夜二十三時十五分。私たちが離脱したのは二十三時です」
空気が凍りついた。
メルシェは端末を閉じ、ジークを見た。
「私たちが去った直後、入れ替わりに作業が開始されています」
「逃げた後に消したんじゃねぇ。俺たちが『見つけたから』消したんだ」
ジークが忌々しげに舌打ちをした。
乾いた音が、霧の中に響く。
ライゼルが鋭い視線を巡らせる。
「昨夜の視線……。あれは、監視だったか」
ジークが頷く。
「俺たちが轍を見つけ、サンプルを取り、騒ぎ始めた。それを見ていた奴がいた。俺たちが去るのを待って、即座に『上書き』を実行した」
ただの証拠隠滅ではない。
こちらの行動に反応した、カウンターだ。
警備兵が青ざめた顔で周囲を見回す。
「も、もしかして……今も?」
「実行時刻から四時間。物理的な撤収は完了しています」
メルシェが淡々と告げる。
ジークが低い声で吐き捨てる。
「……相手は、俺たちが思ってるよりずっとデカいぞ」
霧が濃くなる。
整いすぎた森は、不気味なほど静か。
そこにあるのは「何もない」という証拠だけ。
「……戻るぞ」
ライゼルが踵を返す。
「ここにはもう、俺たちが拾える事実はない。——『何もなかった』という事実以外」
三人は撤収を開始する。
背後には、美しく整地された偽りの森が、ただ無言で広がっていた。
*
ギルド本館。昼前。
ホールは喧騒と熱気に包まれている。
三人は、報告先として指定された執務室へと向かった。
担当官が報告書を一瞥し、机の上に放った。
「——却下だ」
乾いた音が響く。
「現場に痕跡がなかった?ならば、君たちの見間違いだろう」
「見間違いじゃねぇ」
ジークの声は低い。
「昨夜の轍。今朝の更地。——その『変化』自体が証拠だ」
「ギルドは事実主義だ」
担当官は眼鏡の位置を直し、手元の書類に目を落とす。
「森の土が綺麗?結構なことじゃないか。自然豊かで」
視線は合わない。
ジークが一歩踏み出す。
空気が軋んだ。
ドン。
拳が机を叩く。
それでも担当官は顔を上げない。
ジークは暴れない。怒鳴らない。
ただ、冷めきった瞳で、机越しに相手を見ていた。
「……現場を見ろ。一夜で森ひとつ、風景ごと張り替える。あんな芸当ができるのは、個人じゃねぇ。——裏に」
バン、 乾いた音が、ジークの言葉を遮った。
手元の書類には『却下』の押印。
「……推測は不要だ。事実は『痕跡なし』。以上だ」
視線すら合わせない。
報告書がトレイに放り込まれた。
「ギルドは証拠主義だと言ったな」
ジークが唇の端を吊り上げる。
笑みではない。氷のような威圧。
「……現場の土が『一夜で森ごと入れ替わってる』のが、一番の証拠だと思わねぇか?それとも、あんたらの目は節穴か?」
「貴様……その物言いは……!」
「判断できないなら、上に通せ」
ジークは机上の報告書を指先で弾いた。
「俺たちは報告したぞ」
担当官は押し黙り、視線を逸らした。
「……預かる。だが、期待はするな」
逃げの言葉。
これ以上、ここを攻めても無駄だ。
「行くぞ」
ジークは踵を返す。
ライゼルが無言で続き、メルシェが一礼を残す。
扉が閉まる音だけが、部屋に残された。
*
廊下に出る。
窓の外は晴天。
だが、三人の周囲だけ空気が澱んでいる。
「……徒労だな」
ライゼルが短く、言葉を落とした。
ジークが頭をガシガシと掻く。
「却下はいい。だが、あの態度はなんだ。最初から聞く気がねぇ」
やるせない沈黙。
その中で、メルシェだけが端末を見つめていた。
「……不可解です」
「あ?」
ジークが振り返る。
「何がだ。却下された理由なら——」
「いえ。ログです」
メルシェは足を止め、画面を二人に向けた。
淡い光の中に、数字の羅列が並んでいる。
「現場での解析ログ。『上書き』の実行時刻です」
ジークが端末を覗き込む。
「俺たちが見つけた直後だろ?」
「はい。二十三時十五分そう報告しました。……ですが、現在はこう記録されています」
メルシェが指差す。
タイムスタンプの行。
【 Execution Time : 25:61 】
ジークが眉を寄せる。
「……は?」
ライゼルが覗き込み、目を細める。
「二十五時……六十一分?」
「そんな時間は存在しねぇぞ」
ジークが笑い飛ばそうとして、顔を引きつらせる。
「……おい、メルシェ。端末の故障か?」
「自己診断、正常。時計機能、誤差なし」
メルシェは淡々と、しかし困惑を滲ませて答える。
「システム上のバグではありません。観測された魔力波長そのものが、『この時間の座標』を示しています」
「二十五時……」
ライゼルが低く呟いた。
異質で、根源的な何かが、あの日、森に触れていた。
「……気味が悪ぃな」
ジークが腕をさする。
「ただの入力ミスか、バグか。……調べてみます」
メルシェが端末を閉じる。
光が消える。
廊下の先、窓から差し込む光は明るい。
だが、その光の届かない足元に、黒い影が伸びていた。
「……戻ろうぜ」
ジークが歩き出す。
「これ以上考えても、今の俺らには手が出せねぇ」
三人の背中が遠ざかる。
端末の奥底に記録された『存在しない時間』だけが、静かに明滅していた。
しばらく更新が止まってしまい、申し訳ありませんでした。また少しずつ動かしていきますので、引き続きよろしくお願いいたします!
また、昨日短編も投稿しました。
本作とは180度違う、現代AIコメディです。
もしよろしければ、長編の続きを待つ間にそちらも読んでいただけたら嬉しいです。




