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6.窓口を映す鏡

昼の休憩室。

カンナが端末を机にバン!と置き、大声を上げた。


「見ました!? 掲示板! “傾国降臨”って……! 降臨ですよ、降臨!」


メルシェは弁当箱の蓋を開け、淡々と返す。

「国を傾けるほどの美女が、神話の神々のように降り立つ……信じ難い話です。事実確認をお勧め致します」


「ひとごとみたいに言ってますが、メルシェさんのことですよ!」

カンナがむくれると、メルシェは箸を持ち直し、首を傾げた。

「……なぜ私の事になるのでしょうか」


レイチェルは肩を揺らして笑った。

「ああいう場は言葉遊びだから」


「ライゼル様のことは“王子”って書いてあったんですよ! みなさん表現が上手いですよねー。私も誰か付けてくれないかなぁ」


メルシェは手を止め、首を傾げる。

「……呼称の必要性は思えません。業務上、識別できれば十分です」


ジークがパンをかじりながら苦笑する。

「……カンナ、王子呼びされてること、ライゼル本人に言ったらどうなると思う?」


「え? えーっと……笑ってくれます?」


「普通に嫌な顔されるんじゃないかしら」レイチェルが苦笑する。

ジークも肩をすくめる。

「もしくは“アルカイックスマイル”で聞こえないふりするか」


「アルカイックスマイル……!」

カンナの目が輝く。

「生きてる芸術品! 掲示板でも“絵画みたい”って書かれてましたし! 誰か絵師さん描いてくれないかなぁ」


ジークが冗談めかして肩をすくめる。

「翌日にはギルドの壁に飾られてるかもな」


「……肖像画をギルドに掲示する意味は不明です」


場が笑いに傾いた。


カンナは再び端末を覗き込む。

「でも、“感情ゼロの処理機械”ってコメントもありました!」

頬を膨らませる。

「ひどくないですか!?」


ジークは口元を緩める。

「逆に褒め言葉だな。窓口はその方が安心できる」


「……効率的という意味なら、妥当です」メルシェはさらり。


「もー! メルシェさんまで!」

カンナが大げさに頭を抱えると、休憩室は再び笑いに傾いた。


「もー! メルシェさんまで!」

カンナが大げさに頭を抱え、休憩室は再び笑いに包まれた。


笑いの余韻の中、カンナは画面を覗き、ぱっと顔を上げる。

「そういえば、私の名前も出てたんですよ! “カンナ推し”とか、“可愛かった”とか!」


ジークが半眼でパンをちぎり、わざとらしく頷いた。

「はいはい、可愛い可愛い」


「うっ、流さないでくださいよー!」

カンナが抗議する。


メルシェは小さく首を傾げ、レイチェルに問う。

「……“推し”とは業務評価の一種でしょうか」


レイチェルは吹き出しそうになりながらお茶を口にして肩を竦めた。

「業務評価じゃなくて、誰を一番応援しているかって意味。カンナ、推されて良かったじゃない」


カンナはぱっと顔を上げ、目を輝かせた。

「先輩推しのコメントも沢山ありました! “叱られたい”そうです!」


レイチェルは箸を止め、眉を寄せる。


「私はもうお腹いっぱいなので、代わりにその方達を叱ってあげてください!」

カンナは無邪気に両手を合わせる。


レイチェルは深くため息をつき、鋭い視線を落とした。

「なんで私が見知らぬ誰かの趣味に付き合わなきゃいけないのよ」


ジークはニヤつきながら笑う。

「需要と供給が合ってるんだから、やってみたらどうだ?」


「……需要供給の定義が異様です」

メルシェが首を傾げ、合理語で切った。


カンナは机に突っ伏し、笑い転げる。休憩室の空気はすっかり和んだ。


レイチェルは笑いを収め、端末をひと目見て肩を竦める。

「はいはい、冗談はさておき、雑音にしては数字まで正確だった。“三分で処理”とか」


カンナが目を輝かせる。

「先輩も掲示板見てるんですね!?」


レイチェルはお茶を一口。

「一応ね。利用者の本音が一番早く出るでしょうし」


メルシェはご飯を一口。

「……正規資料への採用は難しいのではないでしょうか」


「そういうとこだって!」カンナが両手をバタバタ。

「ほら、“感情ゼロの処理機械”ってコメントありました!」


ジークは片眉を上げて、

「逆に褒め言葉だな」


場が笑いに傾き、昼休みは進んだ。



午後の窓口は、昼のざわめきが収まる間もなく混雑の波にさらされた。

冒険者は報告や依頼受注、商人は契約の確認、治安隊員は紙束を抱えて三人まとめてやって来る。


列は十人、十五人と入口近くまで伸びる。


「昨日よりさらに早い」

「案内がぶれてない」

「前より迷いが少ない」


小声は次々に伝わり、列全体に波のように広がっていく。

不満ではなく、驚きと安堵の合唱。


視線は自然と、白銀の髪を肩に流す新人——メルシェの窓口へ集まった。


「“傾国降臨”は冗談かと思ったけど……本当だ」

「いや、冗談じゃない。立ってるだけで周囲が静かになる」


そんなささやきが、窓口を挟んで確かに響く。


カンナは横耳で拾いながら、必死に処理へ集中した。

昨日教わった“付記”──それを思い出し、勇気を出して応用してみる。


「こちらの通達は、本日十六時で締め切りです。……最終時刻を付記しておきました」


端に「16時締切」と書き添えられた紙。

——通達の最終時刻を添えるだけで誤解が減る。


利用者は目を丸くし、安堵してうなずく。

「わかりやすい……助かるよ。今まで何度も聞き間違えて、並び直したことがあってね」


その一言に、カンナの胸は温かく弾んだ。。


——昨日までは“付記”なんて考えもしなかった。

ただ必要な欄を確認して返すだけだった。

けれど今日は違う。今日はちゃんと“付記”できた。

自分でも驚くほど、手順が体に馴染み始めていく。


奥からレイチェルが静かに見守る。

(昨日学んだことを、今日は応用……)

声には出さず、小さく「よくやったわね」と唇だけで呟いた。



窓口に来たのは老商人と孫らしき少女。

少女は文字を追うたびに眉を寄せ、つっかえる。


「——必要項目を口頭でお伝えします。記入はこちらで代行します。確認だけお願いします」


少女の肩が緩み、老商人は深く頭を下げた。


列の中でささやきが広がる。

「……窓口であんな配慮、初めて見た」

「列が流れるの、あの人のおかげだ」


列の端から小声が飛び交う。

誰に聞かせるでもなく、しかし確かに窓口の空気を変えていた。


レイチェルは心中で掲示板の文面を思い出す。

(“親切じゃなく効率だ”“列全体が早い”“横で見ていて嫌じゃない”……目の前で実証されてる)


これまでの窓口は“最小限”だけを重んじてきた。

でも彼女は違う。淡々と、感情を混ぜず、合理で配慮する。


結果、列は止まらず、利用者は安堵を抱いて帰っていく。


(今までの私たち……効率を見誤ってたのかもしれない)



奥の扉からジークが現れる。書類束を片手に足を止めた。

「……なるほど。掲示板を見て確かめに来た連中も多そうだな」

卓をとんと叩き、目を細める。

「現場の流れが、掲示板に引っ張られ始めてる」


「ええ。昨日より動きが早いのに列は減らない。“噂を見に来た”目が多いわ」

レイチェルが小さく頷く。


客は書類を進めながら、ちらりと“傾国”を覗く。

本人は意に介さず、処理を進め続ける。


ジークは肩をすくめ、呟いた。

「実際に見たら、確かに“降臨”だと思うかもな」


「ほら見てください! ジークさんまでそう思う!」

カンナが慌てて身を乗り出す。


ジークは苦笑して書類を渡す。

「ただの感想だ。窓口が止まらないことの方が驚きだ」


「……効率的な行動は業務を優先するためです」

メルシェはさらり。


ジークはわざと大げさにため息をついた。

「処理機械のごとき冷静さ、か」


「それ掲示板のコメントです!」

カンナが声を上げ、窓口に笑いが広がった。



列が一区切りつく頃には、窓口の空気は朝よりもずっと軽かった。

利用者は安心して書類を預け、声を荒げる者は一人もいない。


レイチェルは背筋を伸ばし、書類束を揃えながら胸の奥で小さく息を吐く。

昨日までと同じ窓口——けれど、何かが確かに変わっている。


効率の名を借りた一人の少女の配慮が、列の流れを変え、空気を変え、利用者の声までも変えていく。


窓口はまだ混雑のただ中。

だが、確かに歯車は回り始めていた。


淡々と処理をこなすメルシェ。

工夫を重ね、成長を見せ始めたカンナ。

匿名の声を実感に変えて受け止めるレイチェル。

そして、その様子を観測するジーク。


——回り出した歯車は、もう止まらない



夕方近く、列は短くなり始めた。

陽は赤く差し込み、外の足取りも軽い。


「……本日の受付はここまでです」

メルシェが告げ、最後尾の利用者が深く頭を下げる。


「今日の窓口は早かった。助かったよ」


その言葉に周囲も頷いた。



カンナは机に突っ伏すようにして息を吐く。

「はぁぁ……なんとか終わりました……」


額は汗、肩は重い。けれど心地よい疲労だった。

彼女は付記も忘れずに添え続けた。

利用者が「ありがとう」と微笑んで去っていくたびに、緊張と一緒に小さな自信が積み上がっていった。


レイチェルがちらりと見て声をかける。

「……随分と形になってきたじゃない」


「えっ、本当ですか!?」

カンナは顔を上げ、ずり落ちそうになる。


「褒めすぎると調子に乗るから一度だけよ」

レイチェルの横顔に、わずかな笑みが混じっていた。



日報を書く手を止め、レイチェルは今日を思い返す。


(昨晩の雑多な掲示板。真偽混じりの言葉。

でも今日、それが有効だと突きつけられた。


必要最小限だけに徹してきた私たち。

けれど、その隙間で確かに取りこぼしていたものがあった。


そう気づかされた一日だった。)


匿名の言葉。

偽りや虚構も入り混じる雑多な掲示板。


──けれど、真実を浮き彫りにする鏡でもある



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