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57.報告書はいずこ

師走一日、午前。

ギルド窓口には、ようやく静かな時間が戻っていた。


昨日の混乱——鶏だの幽霊だの、パンが空洞だのという騒ぎ——が嘘のように、空気は穏やか。


カンナが書類を束ね、レイチェルが隣でチェックを入れている。

奥ではメルシェが端末を開き、淡々とデータ整理。

いつもならすぐ騒がしくなるジークの姿も、今は見えない。


「……今日は平和ですねぇ」

カンナが、感極まったように呟いた。


「ええ。このまま一日終わってくれたら最高だわ」

レイチェルが書類から視線を外さないまま答える。

「報告書の山が減る音が、こんなに心地いいなんて」


その瞬間——。


「おいっ! ない!!!」


入口のドアが勢いよく開いた。

ジークが紙束を片手に乱入し、机の引き出しをがたんと引き抜いた。


「ど、どどどうしたんですか!?」

カンナが椅子から跳ねる。

ジークは髪をかきむしりながら叫んだ。

「昨日!俺が窓口手伝った時の報告書がねぇ!市場調査の分、どこ消えた!」


「提出してないの?」

レイチェルが手を止めた。

淡々とした声。それだけで場の空気が変わる。


「提出したはずなんだよ!あの辺に置いた……気がすんだよ!」


カンナは慌てて書類の束を抱え上げ、慌てふためく。

「え、えっと、どこに……!どこに置いたんですか!?」

「覚えてねぇ!!!」

「最悪の答えぇぇぇ!!!」


その叫びが響いた拍子に、カンナの腕から書類の山がふわりと浮き上がった。

——ひらひら、ぱさっ。

白い紙が空を舞う。


「ちょっ……!? カンナ!!!」

「ひ、ひゃぁぁぁ!! す、すみませんっ!」

床一面に広がる依頼書と報告書。


その横で、ジークは机の下に潜り込んでいた。

「ねぇな……引き出しもねぇ……あっ!」

「見つかりました!?」

「お菓子の包み紙だ!」

「関係ない!!!」


窓口に顔を出した職員が、「静かにしてください」と注意してまたすぐ引っ込む。

だがその直後、ドアが再び開き——。


「……何の騒ぎだ?」

ライゼルが現れた。


全員、ぴたりと静止。

床一面の書類、机の下から顔を出すジーク、半泣きのカンナ、そして怒りで眉を吊り上げたレイチェル。


一瞬の沈黙のあと。

ジークが顔を上げ、平然と言った。

「報告書が、逃げた」


「書類は生き物じゃありません」

メルシェの静かな声が落ちる。


ライゼルはわずかに目を細め、静かに息を吐いた。

「……朝から平和だな」


その一言で、再び全員の肩ががっくり落ちた。


——平和とは、こうして崩れるものらしい。



「昨日の昼、茶を置いた机……あそこだ!」

ジークが勢いよく指を差した。

「報告書、たぶんあの辺にあったんだよ!」


「“たぶん”って言葉を今すぐ禁止にしたいわ」

レイチェルがわずかに目を閉じる。


「ちゃんと置いた記憶があるの?」

「ある。“置いた気がする”くらいには!」

ジークの答えにレイチェルは眉を押さえる。


カンナは慌てて机に駆け寄り、周囲を見回す。

「ここですよね!? 確かお茶が……」

「そう、それ! 昼に俺が一息ついて——」

「私、拭きました!」

「…………」


三人が同時に固まった。


「拭いた……?」

ジークがゆっくり振り向く。

「はい! お茶の輪っかができてたので……。きれいに拭き取っておきました!」


レイチェルは目を閉じて小さく息を吐いた。

「——拭く前に確認」

淡々とした声。

それだけで、場の温度が一度下がる。


カンナは半泣きで手をばたばた。

「す、すみません!……それで、その時紙がぺったり張り付いてて、捨てちゃ……」

「捨てたぁぁ!?」

「かもしれません!!」


ジークが机の下に潜り込み、紙の切れ端を拾い上げた。

「これ、角っこ……? “市場・報告”って読めるな。……おい、こいつ湿ってるぞ」


「だから拭いたって言ってるじゃないですかぁ!」

「お前、それ謝ってるのか!?」

「すみませんでしたぁ!!」


ドタバタの最中、メルシェが無言で符録端末を起動。

淡い光が机上を走り、指先で何かをなぞる。


「メルシェ、なにやってるの?」

レイチェルが眉をひそめる。

「作業ログ照合中。拭き取り行動、記録されていません」

「誰のログを取ってるの!?」

「全員分です」


「そんな監視みたいな言い方しないでください!!」

カンナの叫びが響いた。


ジークがため息をついた。

「……おい、報告書って紙の一枚だろ? なんで全員で事件みたいに扱ってんだ」

「事件です!ジークさんが起こした書類事件です!」

カンナが机を叩いた瞬間、廊下から低い声が割り込む。


「……騒がしいな」


全員が固まる。

振り向けば、通りすがりのライゼル。

無表情のまま扉の脇に立ち、視線だけで状況を把握していた。


「ち、違うんですこれは、その、書類がその……」

カンナが必死に取り繕う。

「紛失。軽度の混乱中」

メルシェが淡々と要約する。

「軽度じゃねぇ!!」

ジークが即座に突っ込む。


ライゼルはわずかに目を細めた。

「……楽しそうで何よりだ」

それだけ言い残し、去っていった。


「……“楽しそう”って言われましたね」

カンナが力なく呟く。

「違う意味でな」

ジークが頭を掻く。

「笑ってる場合じゃないでしょ」

レイチェルが紙片を掴み、全員を見回した。

「倉庫と休憩室、全部探すわよ」


「「「了解!」」」


ジークが拳を握る。

「よし、作戦開始だ。目標:報告書、状態:半乾き」

「勝手に作戦名つけないでくださいっ!!」

カンナが半泣き。

レイチェルがため息をつく。


メルシェだけが静かに端末を閉じた。

「記録更新。現状:混乱、継続中」

「報告書よりお前の記録が早いわ!!」


騒がしい足音を残して、四人は窓口を飛び出していった。


——書類一枚。だが、それが今日の平和を壊すには十分だった。



倉庫の扉を開けた瞬間、紙と木箱の匂いが押し寄せた。

奥の棚には、封筒がぎっしりと積まれている。


「うわ……これ、全部報告書ですか?」

カンナが目を丸くする。


レイチェルは棚の一段を軽く撫でて、朱印を確認した。

「どれも“提出済み”印。封印は完璧」


ジークは段ボールをひっくり返して唸った。

「こっちは菓子箱ばっかりだな。なんで封開いてねぇやつあるんだ」

「差し入れ在庫です」メルシェが即答する。

「期限、今日まで。」

「……食っていいか?」

「業務中」

「業務後は?」

「在庫管理後」

「それ、結局ダメってことだな」


そんなやり取りの後ろで、カンナが悲鳴を上げた。

「ひゃぁっ! ね、ねずみっ!」

ジークが即座に飛び上がる。

「どこだ!? 捕まえる!」

「いません! 多分、影ですっ!」

「……影ってなんだよ影って!」


「倉庫での大声は禁止。外まで響く」

レイチェルが額を押さえる。

「提出済みなら、ここにはないわね。——次、食堂」



食堂は昼前で静かだった。

陽の光が木の机に落ち、湯気の残る鍋が端に寄せられている。


「この辺、昨日使ってたよな?」

ジークが机の下を覗き込み、ぐいっと手を突っ込む。

「……お? なんか挟まってるぞ」


取り出したのは、一部だけ茶色に染まった紙。

端が固く、表面に妙な模様。


「……なにこれ」

カンナが覗き込み、表情を引きつらせた。

「……これ、味噌汁の跡です」


「味噌汁!?」

ジークが絶句し、レイチェルが額に手を当てる。


「——鍋敷きと一体化してるわね」

淡々と呟く声に、カンナが青ざめた。

「ま、まさか……鍋の下に敷いたの、これ……?」


「犯行時刻の記録を照合中」

メルシェが端末を操作し、静かに告げる。

「——昨日十二時五分、温度異常検知。原因:熱伝導」


「いやいやいや、ログ取ってる場合じゃねぇ!!」

ジークが慌てて紙を持ち上げようとするが、びくともしない。


「乾燥すれば剥離可能」

メルシェが無表情のまま言った。


「……乾燥って、どうやるの?」

「熱風」

「また鍋でやる気か!?」


レイチェルが無言で袖をまくり、慎重に紙の端を押さえる。

「——少しずつ。焦らない」


「わ、分かりました!」

カンナが息を詰め、横で布巾を構える。


ジークは両手を組んで祈るように見守った。

「……頼むぞ、うちの昼飯の底力」


しかし次の瞬間、ぺりっ、と音を立てて紙が二つに割れた。


「うわぁぁぁ!」

カンナが悲鳴を上げる。

「……上半分、読めなくなってます」

レイチェルは静かに目を閉じた。

「これはもう、鍋敷きとして生きるしかないわね」


ジークが頭を抱える。

「報告書が昇天した……」


メルシェが淡々と補足した。

「再利用可能。——鍋の下限定」


「違う方向の再利用だよ!!」

ジークが力なく笑った。

「味噌の香りがする……報告書にも、味ってあるんだな」

「二度と、味つけしないでください」

レイチェルの冷静な一言が落ち、

食堂に小さな笑いが戻った。


——紙一枚のために、昼休みが消えた。



休憩室。


ジークが椅子に腰を下ろすなり、両手で頭を抱える。

レイチェルはこめかみに指をあて、小さく息を吐く。

カンナが机の端で両手を握りしめた。


「ど、どうしましょう……市場実況の報告書、明日提出期限なんです……!ジークさんの分がないと、提出完了にならない……!」


「おい、俺のせいか!?」

「はい! 完全に!」

「きっぱり言うな!」


その掛け合いの横で、茶の湯気がゆらりと揺れた。

レイチェルは沈黙のまま湯のみを置く。


「整理するわ」

声が低く、静かに落ちる。

「紛失:市場報告書。期限:明日。状態:鍋敷き」

「最後の一行が地獄!!」

ジークが叫ぶ。


カンナは涙目で書類を抱え込み、

「もう……どうしたらいいか……」と小声で呟いた。


レイチェルはゆっくり椅子を引き、

「落ち着きなさい。慌てて書き直しても、間違いが増えるだけ。まず、——状況を整理。」


「状況?混乱です!」

「その通り」

「褒められてないですよね!?」


小さな笑いが一瞬だけ漏れる。

ジークが苦笑しながら天井を見上げた。


「俺の人生で、一番くだらねぇ全力出してんな……」

「前向きに言えば、今日一番の運動量です」

「運動扱いかよ」


誰も何も言わず、短い沈黙が落ちた。

湯気が細く伸び、机の茶しみをなぞる。


そのとき、扉が静かに開く音。

一同が振り向く。


そこに——メルシェがいた。


端末を片手に、いつもの無表情。

「……静かになりましたね」

「いや、嵐の後だよ」

ジークが苦く笑う。


「嵐の後、ですか。……では、報告を」

メルシェは端末を開いた。

淡い光が机上を照らし、符が幾つか浮かぶ。


「——報告書、提出済みでした」


「……は?」

三人の声が重なった。


ジークが瞬きを三回。

「いやいやいや、待て。何が“提出済み”だよ。俺、出してねぇぞ?」


「終業後に自動転送設定を確認しました」

メルシェは淡々と続ける。

「市場調査報告書、昨日の二十時〇三分、転送完了。控えあり」


沈黙。

誰もすぐには動けなかった。


「……つまり」

レイチェルが低く確認する。

「昨日の時点で、提出は完了していた」

「はい」

「鍋敷きになったのは、控えのコピー」


カンナが椅子からずり落ちた。

「えええぇぇぇぇぇぇ!?!?」


ジークが頭を抱える。

「じゃあ俺のこの一日なんだったんだよ!!!」

「学習でした」

「誰のだよ!!」

「全員分です」


レイチェルが額を押さえた。

「……まさか、提出済みとは」

「バックアップは大事です」

「そういう問題じゃないのよ」


カンナは力なく笑った。

「お騒がせで済む範囲なら、平和ですよね……」

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